ジェイソン・バートレット
ジェイソン・アラン・バートレット(Jason Alan Bartlett, 1979年10月30日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州マウンテンビュー出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。アメリカ人の父と、フィリピン人の母を持つハーフ。 略歴プロ入り2000年に、ドラフト13巡目でサンディエゴ・パドレスから指名を受け、プロ入り。 ツインズ時代2002年7月12日に、ブライアン・ブキャナンとのトレードでミネソタ・ツインズへ移籍。 2004年8月3日のアナハイム・エンゼルス戦でメジャーデビューを果たした。2004年は8試合の出場に留まり、結果を伴わせる事は出来なかった。 2005年は、ワシントン・ナショナルズにFA移籍したクリスチャン・グーズマンの穴埋め要員として期待され、開幕からショートのレギュラーとして試合に出場。しかし、5月頃にスランプに陥り、マイナー降格。しかし、8月にメジャー復帰を果たすと、その後はまずまずの成績を残すようになった。 2006年は、開幕メジャーこそ果たせなかったものの、シーズン途中にメジャー昇格を果たすと、最後まで調子を維持し、打率.300超えを達成。シカゴ・ホワイトソックスのオジー・ギーエン監督から「ピラニア軍団」と形容された(ピラニア軍団とは、本塁打などで豪快に得点するのでは無く、バントや走塁などで相手を撹乱し、嫌らしい得点パターンで得点するツインズの選手をからかって言ったもの。他にルイス・カスティーヨ、ニック・プント、ジェイソン・タイナーの3人も含まれる。)。 2007年は、140試合に出場したが、遊撃手でリーグワーストの26失策を記録した。 レイズ時代2007年11月28日にデルモン・ヤング、ブレンダン・ハリスらとの3対3のトレードでマット・ガーザらと共にタンパベイ・レイズへ移籍。 2008年は岩村明憲と二遊間を組み、広い守備範囲で球団創設11年目で初のリーグ優勝とワールドシリーズ進出に貢献。チームのMVPに選出された。 2009年は開幕から打撃好調で一時は打率トップになるなど、その活躍で初のオールスターに選出された。 パドレス時代2010年12月17日にコール・フィゲロア、ブランドン・ゴームス、シーザー・ラモス、アダム・ラッセルとのトレードで古巣・パドレスに復帰した。 ツインズ復帰2013年11月11日に、古巣のミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ[2]。 2014年3月29日にツインズとメジャー契約を結んだ[3]。開幕ロースター入りしたが、4月7日に左足首を捻挫し、15日間の故障者リスト入りした[4]。4月17日にリハビリのため、A+級フォートマイヤーズ・ミラクルへ異動した。4月18日に現役引退することを発表した[5]。4月21日に契約を解除された。 詳細情報年度別打撃成績
脚注
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