ジェームズ・アバークロンビー (初代準男爵)初代準男爵サー・ジェームズ・アバークロンビー(英語: Sir James Abercrombie, 1st Baronet[注釈 1]、1679年と1683年の間 – 1724年11月14日)は、グレートブリテン王国の政治家。1710年に短期間庶民院議員を務めた[4]。 生涯第4代ハミルトン公爵ジェームズ・ハミルトンの庶子として生まれた[1][2][3]。 1696年5月24日にエンサイン(歩兵少尉)としてロイヤル・スコッツ連隊に入隊した[2]。1697年に一旦半給扱いになったものの、1701年に大尉に昇進した[4]。スペイン継承戦争で初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルの部下として参戦、1704年のブレンハイムの戦いで初代オークニー伯爵ジョージ・ダグラス=ハミルトンのエー=ド=カン(副官)を務めた[2]。以降1709年ごろまでオークニー伯爵の副官を務めたほか[4]、1706年に少佐への名誉進級辞令を受けた[2]。1709年のマルプラケの戦いにも参戦し、同年に中佐に昇進した後、戦争での功績により1710年3月8日に準男爵に叙された[4]。 1710年1月、ダイザート・バラ選挙区の補欠選挙に出馬した[5]。父ハミルトン公爵の影響力のほか、第3代リーヴェン伯爵デイヴィッド・レズリーの支持も得たため、第9代ロシズ伯爵ジョン・レズリーが反対したにもかかわらず当選を果たした[5]。議会ではコート派(宮廷派)を支持して投票した[4]。同年の総選挙に出馬せず、1年満たずで議員を退任した[4]。1713年イギリス総選挙ではダイザート・バラ選挙区かラナーク・バラ選挙区での出馬を検討したが、いずれも実現しなかった[4]。 1710年12月から1711年3月までコールドストリームガーズ副隊長を務め、1711年11月に大佐への名誉進級辞令を受けた[4]。1712年10月24日に副総督(Town Major (Lieutenant Governor))としてダンケルク駐留になり、ダンケルクの要塞解体を監督した[2][4]。 1724年11月14日におそらく生涯未婚のままチャリング・クロスで死去、準男爵位は廃絶した[2][4]。 注釈出典
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