ジム・アドゥチ (1985年生の外野手)
ジェームズ・チャールズ・アドゥチ(James Charles Adduci、1985年5月15日 - )は、カナダ・ブリティッシュコロンビア州バーナビー出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。左投左打。現在はシカゴ・カブスの打撃コーチ補佐を務める。 MLB公式ページによると、苗字は「ah-DOO-see」と発音する[1]。 同名の父は、元メジャーリーガーかつ横浜大洋ホエールズでの出場経験があるジム・アドゥチ。 経歴プロ入り前1985年5月15日にカナダのブリティッシュコロンビア州バーナビーで生まれる。その後、アメリカ合衆国・イリノイ州エバーグリーンパークへ移住する。地元のエバーグリーンパーク高等学校に進学し、ここでは、野球とバスケットボールの両方をプレーしていた。 プロ入りとマーリンズ傘下時代2003年のMLBドラフト42巡目(全体1252位)でフロリダ・マーリンズ(現:マイアミ・マーリンズ)から指名され、プロ入り[1]。 2004年からキャリアをスタートさせ、この年は、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・マーリンズで49試合に出場した。 2005年は、ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・マーリンズで11試合に出場した。 2006年は、ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・マーリンズで12試合に出場した後、A級グリーンズボロ・グラスホッパーズに昇格し、2試合に出場した。この年限りでマーリンズを退団した。 カブス傘下時代![]() 2007年は、シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。この年は、傘下のA級ピオリア・チーフスで107試合に出場した後、A+級デイトナ・カブスに昇格し、12試合に出場した。 2008年は、A+級デイトナで123試合に出場した。 2009年は、AA級テネシー・スモーキーズで自己最多の131試合に出場した。 2010年は、AAA級アイオワ・カブスで114試合に出場した。 2011年は、リハビリのため、ルーキー級アリゾナリーグ・カブスで開幕を迎えた。ここでは、4試合に出場した。その後、AA級テネシーに昇格し、71試合に出場した。 2012年は、AA級テネシーで84試合に出場した。その後、AAA級アイオワに昇格し、42試合に出場した。この年限りでカブスを退団した[1]。 レンジャーズ時代2012年11月12日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[1]。 2013年は、開幕を傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスで迎えた。ここでは、127試合に出場した。セプテンバーコールアップでメジャーに初昇格した後の9月1日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビューを果たした[2]。 2014年は、開幕をAA級フリスコ・ラフライダーズで迎えた。ここでは、6試合に出場した。その後、AAA級ラウンドロックに昇格した。ここでは、7試合に出場した。レンジャーズでも44試合に出場した。オフの11月24日にDFAとなった[1]。 ロッテ・ジャイアンツ時代2014年11月に保有権をKBOのロッテ・ジャイアンツに譲渡したことが11月25日に球団から正式に発表された[3]。登録名は「アドゥチ(아두치)」。背番号は23。 2015年、1番ないし4番打者として132試合に出場。打率.314、28本塁打、106打点と主力打者として活躍。また、中堅手として守備力を発揮し、走攻守に活躍した。 2016年7月1日、使用禁止薬物のオキシコドンの服用が発覚しKBOより公式戦36試合の出場停止処分を受けたことで、ウェイバー公示され退団した。 タイガース時代2017年1月10日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだ[4]。 開幕はAAA級トレド・マッドヘンズで迎え、4月23日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。同日のミネソタ・ツインズ戦で「7番・右翼手」で先発出場し、4打数3安打2打点と活躍した[5]。この年メジャーでは29試合に出場して打率.241、1本塁打、10打点、1盗塁を記録した。オフの11月2日に40人枠を外れる形でAAA級トレドへ配属された[6]後、7日にFAとなった[7]。12月5日にマイナー契約を結んで再契約し、2018年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[1]。 2018年も開幕をAAA級トレドで迎え、7月3日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[8]。この年は59試合に出場して打率.267、3本塁打、21打点、1盗塁を記録した。レギュラーシーズン終了後の10月24日にFAとなった[9]。 カブス時代2019年1月2日にカブスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[10]。開幕はAAA級アイオワで迎え、5月27日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[11]。6月3日にDFAとなり、5日にマイナー契約でAAA級アイオワへ配属された[1]。10月1日にFAとなった。 レンジャーズ傘下復帰2020年3月14日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。11月2日にFAとなった[1]。 現役引退後2021年よりシカゴ・カブスで「run production coordinator」という役職で球団スタッフに就任した[12]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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