未完成のフォールの肖像画。エドゥアール・マネ 画。
ジャン=バティスト・フォール (Jean-Baptiste Faure フランス語: [ʒɑ̃batist fɔʁ] 1830年1月15日 - 1914年11月9日[ 1] )は、フランス の著名なバリトン オペラ歌手。美術蒐集家としても非常に重要な人物であった。またクラシック の歌曲の作曲も行った。
キャリア
フォールはアリエ県 のムーラン に生まれた。幼少期には聖歌隊に所属し、1851年にパリ音楽院 に入学すると、翌年にはオペラ=コミック座 でヴィクトル・マセ の『Galathée』からPygmalionを歌い、オペラデビューを果たした。7年以上にわたってオペラ=コミック座に留まり、アダン の『山小屋 』のマクス、トマ の『ル・カイド 』のミシェルなどのバリトンの役を歌った。この頃には同劇場で行われた7つの作品初演のうち、オベール の『マノン・レスコー 』のエリニー侯爵(1856年)、マイアベーア の『ディノラ 』のオエル(1859年)を演じた[ 2] 。
1860年にはオエル役でロンドン のロイヤル・オペラ・ハウス 、また1861年にはパリ オペラ座 でのデビューを飾っている。1869年までは全シーズン舞台に上がり、その後1872年から1876年、そして1878年にも歌唱を披露している。加えて1877年までハー・マジェスティーズ劇場 やドルリー・レーン のシアター・ロイヤル など、ロンドン内外の舞台に立っていた。
パリではモーツァルト の『ドン・ジョヴァンニ 』の他、『北極星 』、『ユグノー教徒 』、『ラ・ファヴォリート 』など、数多くのオペラに出演した。
加えて、マイアベーア、ヴェルディ 、トマなどの有名作曲家の書いたオペラの役の初演として歴史に名を遺している。『アフリカの女 』(1865年)、『ドン・カルロ 』(1867年)、『ハムレット 』(1868年)における主要なバリトンの役がそれにあたる。
1886年のマルセイユ とヴィシー での公演を最後に舞台を退いたと記録されている。
その他業績
フォールは歌曲の作曲も行い、後世に残る楽曲もある。『Sancta Maria』、『Les Rameaux』、『Crucifix』などであり、後の2曲についてはエンリコ・カルーソー ら他が録音を遺している。また『Les Rameaux』にはヘレン・トレットバー (英語版 ) による英訳も存在する[ 3] 。1876年にはオペラ座で彼の舞台の主演を務めたガブリエーレ・クラウス にワルツ=伝説曲『Stella』を献呈している[ 4] 。
印象派 の絵画の熱心な蒐集家であったフォールは、複数回にわたりエドゥアール・マネ の肖像画のモデルとなり、傑作『草上の昼食 』や『笛を吹く少年 』を含む計67点のモネの作品を所有していた。またクロード・モネ の作品も『アルジャントゥイユの橋 (フランス語版 ) 』に加えて62作品を所有していた。彼のコレクションの一部(ドガ 、シスレー 、ピサロ 、アングル 、プリュードン らの作品も含まれる)は、エトルタ にある彼の別荘「Les Roches」に保管されている。彼はこの地にある有名な崖の絵の作製を40回もモネに委嘱している[ 5] 。
フォールは第一次世界大戦 の開戦間もない1914年にパリで自然的要因により没した。『ニューヨーク・タイムズ 』紙の死亡記事よると、彼はレジオンドヌール勲章 のオフィシエに叙されていたという。彼は歌手のコンスタンス・カロリーヌ・ルフェーブル(1828年-1905年)と結婚していた。
役柄
判明している役柄をまとめた下表には、複数の言語で演じたことによる重複が含まれる。記載された西暦は彼がその配役デビューを果たした年を示している[ 6] 。
ソート可能
配役
作品名
作曲者
年
Amleto
アムレート(ハムレット のイタリア語版)
トマ
1871年
Alfonso D'Este, Duke of Ferrara
ルクレツィア・ボルジア
ドニゼッティ
1876年
Alphonse XI, King of Castille
ラ・ファヴォリート
ドニゼッティ
1860年
Assur
セミラーミデ
ロッシーニ
1875年
Borromée
マルコ・スパダ
オベール
1853年
Cacico
グワラニー族
ゴメス
1872年
Charles VII
ジャンヌ・ダルク
メルメ
1872年
Crèvecœur
Quentin Durward
ジュヴァール
1858年
Don Giovanni
ドン・ジョヴァンニ
モーツァルト
1861年
Don Juan
ドン・ジュアン(ドン・ジョヴァンニのフランス語版)
モーツァルト
1866年
Dulcamara
愛の妙薬
ドニゼッティ
1864年
Falstaff
夏の夜の夢
トマ
1854年
Fernando
泥棒かささぎ
ロッシーニ
1860年
Figaro
フィガロの結婚
モーツァルト
1866年
Gaspard
魔弾の射手
ウェーバー
1872年
Guillaume Tell
ウィリアム・テル
ロッシーニ
1861年
Hamlet
ハムレット
トマ
1868年
Hoël
ディノラ
マイアベーア
1859年
Hoël
ディノラ(イタリア語版)
マイアベーア
1860年
Iago
オテロ
ロッシーニ
1870年
Il conte di Nevers
ユグノー教徒 (イタリア語版)
マイアベーア
1876年
Julien de Médicis
Pierre de Médicis
ポニャトフスキ
1861年
Justin
Le chien du jardinier
グリサール
1855年
Le Comte de Nevers
ユグノー教徒
マイアベーア
1863年
Le duc de Greenwich
Jenny Bell
オベール
1855年
Le Marquis d'Hérigny
マノン・レスコー
オベール
1856年
Lotario
ミニョン
トマ
1870年
Lysandre
Joconde ou Les coureurs d'aventures
イズアール
1857年
Malipieri
エイデ
オベール
1853年
Max
山小屋
アダン
1853年
Méphistophélès
ファウスト
グノー
1863年
Michel
ル・カイド
アダン
1852年
Nélusko
アフリカの女
マイアベーア
1865年
Paddock
La coupe du roi de Thulé
ウジェーヌ・ディアス
1873年
Pedro
La mule de Pedro
マセ
1863年
Peters Michaeloff (Peter the Great)
北極星
マイアベーア
1854年
Pharaon
エジプトのモーゼ
ロッシーニ
1863年
Pietro
北極星(イタリア語版)
マイアベーア
1864年
Pietro
ポルティチの唖娘
オベール
1863年
Pietro
マサニエッロ(ポルティチの唖娘のイタリア語版)
オベール
1853年
Pietro Manelli
La Tonelli
トマ
1853年
Polus
La fiancée de Corinthe
デュプラート
1867年
Pygmalion
Galathée
マセ
1852年
Riccardo
清教徒
ベッリーニ
1863年
Rodolfo
夢遊病の女
ベッリーニ
1864年
Rodrigue, Marquis of Posa
ドン・カルロ
ヴェルディ
1867年
St. Bris
ユグノー教徒(イタリア語版)
マイアベーア
1860年
Torrida
マルコ・スパダ
オベール
1854年
Valbreuse
Le sylphe
クラピソン
1856年
出典
^ Baker, Theodore; rev. by Nicolas Slonimsky (1994) The Concise Edition of Baker's Biographical Dictionary of Musicians ; 8th ed. New York: Schirmer Books, p. 289.
^ Soubies, A. & Malherbe, C. Histoire de l'Opéra comique; La seconde salle Favart 1840–1887. Flammarion, Paris, 1893.
^ “The palms; Les rameaux / Historic American Sheet Music / Duke Digital Repository ” (英語). Duke Digital Collections . 2021年6月6日閲覧。
^ Stella (Faure, Jean-Baptiste) の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
^ in Sophie Monneret, L'Impressionnisme et son époque, Denoël, 1978
^ De Curzon, Henri. "Jean-Baptiste Faure" (translated by Theodore Baker ), The Musical Quarterly , Vol IV, No. 2 (April 1918), pp. 271–281 (at the Internet Archive ). New York: Schirmer Books.
外部リンク