ジョン・セカダ
ジョン・セカダ(英語:Jon Secada、1961年10月4日 - )は、キューバ系アメリカ人のシンガーソングライター。セカダはキューバのハバナで生まれ、アメリカのフロリダで育った。1992年に英語圏でデビューしてから、グラミー賞を2回獲得し、2,000万枚のアルバムのセールスを記録している。セカダの音楽はファンク、ソウル、ポップとラテン音楽を融合させたものである[1]。セカダはソングライターとしても働いており、グロリア・エステファン、ジェニファー・ロペス、リッキー・マーティン、マンディ・ムーアや他のアーティストなどに楽曲を提供している。 若年期セカダは9歳のときに両親とともにアメリカ合衆国へ移り住み、10代の頃に音楽に関心をもつようになった[2]。多様な文化が共存するマイアミで、セカダはサルサやメレンゲに触れた[2]。さらに、バリー・マニロウ、マーヴィン・ゲイ、ビリー・ジョエル、エルトン・ジョンやスティーヴィー・ワンダーといったR&Bやポップ・ミュージックに関心をもった[2]。 1979年にセカダは高校を卒業した後、マイアミ大学へ進学した。大学では、ジャズ・ミュージシャンとして学び、同時にソングライターとしての技術を習得した[2]。 略歴1980年代後半、グロリア・エステファンはセカダをバックコーラスのシンガーに採用した[2]。さらに、セカダはエステファンの楽曲を制作するようになり、例えばグロリアのナンバー1ヒット曲である1991年の「Coming Out of the Dark」のバックコーラスを歌い、共作者として名を連ねている[3]。エステファンの Coming Out of the Darkツアーに参加しているときに、ソロでパフォーマンスする場を与えられるようになり、そこからソロ歌手としてのキャリアが始まった。 ![]() 1991年にセカダはファーストネームをジュアン (Juan) からジョン (Jon) へ変更した。翌年、セカダはセルフタイトルのデビューアルバム『Jon Secada』を発表し、世界中で600万枚の売上を記録し[1]、アメリカではトリプル・プラチナを認定され、Billboard 200アルバム・チャートで15位を記録した。さらに、シングル「Just Another Day」はアメリカとイギリスでナンバー5ヒットとなり、「Angel」(アメリカで18位、イギリスで23位)、「I'm Free」(アメリカで27位、イギリスで50位)、「Do You Believe in Us?」(アメリカで13位、イギリスで30位)、「Do You Really Want Me」(イギリスで30位)といったトップ30ヒットを連発した。スペイン語バージョンのセカダのソロ・アルバム『Otro Dia Mas Sin Verte』は、1992年のラテン・アルバムでナンバー1を記録し、グラミー賞の最優秀ラテン・ポップ・アルバムを受賞した[4]。 1994年に発表されたセカダの2ndアルバム『Heart, Soul & a Voice』には、マイアミ・サウンド・マシーンのメンバーや、トランペット奏者のアルトゥーロ・サンドヴァル、バックコーラスでベティ・ライトが参加している[5]。このアルバムもアメリカでプラチナを認定された。シングル「If You Go」はトップ10ヒットとなり、映画『スペシャリスト』のサウンドトラックにも収録された「Mental Picture」はトップ30ヒットとなった。1995年に発表された3rdアルバム『Amor』は、セカダにとって2回目となるグラミー賞を獲得した(最優秀ラテン・ポップ・パフォーマンス部門)[6]。 セカダは「She's All I Ever Had」という楽曲を共同で制作し、この曲はリッキー・マーティンの1999年のアルバム『Ricky Martin』に収録された[7]。この曲のスペイン語バージョンにあたる「Bella」という楽曲は、ジェニファー・ロペスに提供され、1999年のアルバム『On the 6』のヨーロッパ版ボーナストラックに収録され[8]、セカダ自身もソングライターとしてのみではなく、プロデューサーとして名を連ねた。さらに、マンディ・ムーアへ2曲(「One Sided Love」、「It Only Took a Minute」)を提供し、これらの曲はムーアのセルフタイトルのアルバムに収録された[9]。2001年にはエンリケ・イグレシアスのアルバム『Escape』に収録されている「Don't turn off the Lights」と「Love 4 Fun」にバックコーラスとして参加している[10]。1990年には日本の歌手松田聖子のアルバム『Seiko』に楽曲「Leave It Up to Fate」を提供している[11]。 セカダはフランク・シナトラのアルバム『Duets II』の「The Best Is Yet to Come」で、オペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティとともにシナトラとデュエットした[2]。 1995年、セカダはブロードウェイのミュージカル『グリース』で主役を演じた[2]。ブロードウェイには2003年にもサム・メンデスの『キャバレー』に出演した[2]。2004年の秋、アンドルー・ロイド・ウェバーとティム・ライスのミュージカル『ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート』にヨセフ役で出演した[2]。 2007年11月30日、フロリダのディズニー・ワールドのマジック・キングダムで行われたクリスマス・パレードに、セカダは参加した。 2011年6月3日、ニュージャージー州ユニオンシティにあるキューバ系アメリカ人のコミュニティであるセリア・クルース・プラザの名声の道に、セカダの星がおかれた[12]。 ディスコグラフィアルバム
コンピレーション
シングル
客演
ミュージック・ビデオ
声演技
外部リンク脚注
|
Portal di Ensiklopedia Dunia