ジョン・モンタギュー (初代ボートンのモンタギュー男爵)![]() モンザーマー侯爵および初代ボートンのモンタギュー男爵ジョン・モンタギュー(英語: John Montagu, Marquess of Monthermer, 1st Baron Montagu of Boughton、出生名ジョン・ブルーデネル(John Brudenell)、1735年3月18日 – 1770年4月11日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。トーリー党に所属し、1761年から1762年まで庶民院議員を務めた[1]。1735年から1762年までブルーデネル卿の儀礼称号を、1766年から1770年までモンザーマー侯爵の儀礼称号を使用した[1]。 生涯第4代カーディガン伯爵ジョージ・ブルーデネルとメアリー・モンタギュー(1711年頃 – 1775年5月1日、第2代モンタギュー公爵ジョン・モンタギューの娘)の息子として、1735年3月18日にメイフェアのアルベマール・ストリートで生まれた[1]。1747年から1750年までイートン・カレッジで教育を受けた後、1752年にパリで進学、1754年から1756年までグランドツアーに出てフランス、オランダ、イタリアを旅した[2]。1749年に母方の祖父が死去すると、父と同じく姓を母方の旧姓「モンタギュー」に改めた[1]。 1761年イギリス総選挙で叔父にあたる第2代ブルース男爵トマス・ブルーデネルの後援を受けてマールバラ選挙区から出馬[2]、無投票で当選した[3]。翌1762年5月8日にグレートブリテン貴族であるノーサンプトンシャーにおけるボートンのモンタギュー男爵に叙され[1]、庶民院を離れた[2]。1766年に父がモンタギュー公爵に叙されると、「モンザーマー侯爵」の儀礼称号を使用するようになった[1][2]。 1770年4月11日に生涯未婚のまま死去、23日にノーサンプトンシャーで埋葬された[1]。後継者がおらず、爵位は廃絶したが、16年後の1786年に父が叙される形で再創設された[1]。 出典
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