ジョン・ロードン (初代モイラ伯爵)初代モイラ伯爵ジョン・ロードン(英語: John Rawdon, 1st Earl of Moira FRS、1720年3月17日 – 1793年6月20日)は、アイルランド王国の貴族。 生涯第3代準男爵サー・ジョン・ロードンとドロシー・レヴィング(Dorothy Levinge、初代準男爵サー・リチャード・レヴィングの娘)の息子として、1720年3月17日に生まれた[1]。1724年2月1日、父から準男爵位を継承した[1]。ダブリン大学トリニティ・カレッジで教育を受け、1753年にLL.D.の学位を修得した[1]。また、1744年4月12日に王立協会フェローに選出された[2]。 1750年4月9日、アイルランド貴族であるダウン県におけるモイラのロードン男爵に叙され、翌日にロードン男爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[1]。1762年1月30日に同じくアイルランド貴族であるモイラ伯爵に叙され、2月9日にモイラ伯爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[1]。 1793年6月20日にダウン県モイラで死去、3人目の妻との間の息子フランシスが爵位を継承した[1]。 家族1741年11月10日、ヘレナ・パーシヴァル(Helena Perceval、1718年2月14日 – 1746年6月11日、初代エグモント伯爵ジョン・パーシヴァルの娘)と結婚[1]、2女をもうけた[3]。
1746年12月23日、アン・ヒル(Anne Hill、1751年8月1日没、初代ヒルズバラ子爵トレヴァー・ヒルの娘)と再婚した[1]。 1752年2月26日、エリザベス・ヘイスティングズ(1731年 – 1808年、第9代ハンティンドン伯爵セオフィラス・ヘイスティングズの娘)と再婚[1]、3男3女をもうけた[3]。エリザベスは1789年10月2日に兄フランシスの死に伴いヘイスティングズ女男爵位、ハンガーフォード女男爵位、バットリー女男爵位を継承した[1]。
出典
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