ジョー・スミス (投手)
ジョゼフ・マイケル・スミス(Joseph Michael Smith, 1984年3月22日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入り前もともとオーバースローだったが、高校時代に受けた右肩の手術の影響で肩を完全にトップの位置に戻すことができなくなった。ライト州立大学ではグレッグ・ラレディコーチがサイドスロー投手を探していたため、前述の影響もあってスミスが名乗り出てサイドスローに転向。卒業までの2年間、抑えとして活躍した[1]。 プロ入りとメッツ時代2006年のMLBドラフト3巡目(全体94位)でニューヨーク・メッツから指名され、プロ入り。 2007年はメジャーのスプリングトレーニングに招待選手として参加すると、見事開幕メジャー入りを果たし、2006年のドラフトでメッツに入団した選手の中では最も早いメジャー昇格となった。4月1日のセントルイス・カージナルスとの開幕戦に2番手としてメジャー初登板を果たすと、17試合連続無失点という好スタートを切り[2]、4月24日に初勝利を挙げた。夏場には多投からの制球難に陥ってマイナー落ちしたが、シーズン終盤に再び戻った。最終的に54試合にリリーフ登板して3勝2敗、防御率3.45という成績を記録した。また、投球イニング数以上の奪三振を記録し、奪三振率は9.1という数値だった。 ![]() (2008年6月25日) 2008年はナショナルリーグ3位となる82試合に登板して6勝3敗、防御率3.55という成績を記録した。リリーフとはいえ、2年連続で.600以上の勝率を記録した。 インディアンス時代2008年12月10日にメッツ、シアトル・マリナーズ、クリーブランド・インディアンスの間で計12選手が移籍する三角トレードが成立し、インディアンスへ移籍した[3]。 2009年はメジャーデビュー以来、最少となる37試合の登板に留まったが、防御率3.44は自己ベスト (当時) だった。この年は、左打者に.355と打ち込まれた[4]。 2010年は登板試合数が2年ぶりに50試合を超えたが、防御率3.83は自己ワーストの数値であり、やや調子を落としたシーズンとなった。 2011年は前半戦は防御率0.71という好成績を残した[5]。後半戦はやや成績を落としたが[5]、シーズン全体でチーム最多タイの71試合に登板し、防御率2.01という好成績を残した。また、打たれた本塁打は僅かに1本だけであり、2009年には苦手としていた左打者も克服し、むしろ右打者相手よりも低い被打率だった[5]。 ![]() (2012年9月1日) 2012年も2年連続チームトップとなる72試合に登板し、自己最多の7勝、防御率2.96という成績を挙げチームに貢献した。 2013年1月18日にインディアンスと315万ドルで1年契約した[6]。シーズンでは、3年連続70試合以上となる70試合に登板し、6勝2敗、防御率2.29を記録した。オフにFAとなった。 エンゼルス時代2013年11月24日に3年総額1500万ドルでロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと契約した[7]。 2014年は4月下旬からクローザーとして起用される機会が出始め、その後ヒューストン・ストリートが移籍してくるまで前半戦の間は、抑えとして15セーブをマークした[8]。この年はア・リーグ2位、4年連続70試合以上となる76試合に登板し、防御率は自身初の1.00台となる1.81を記録。また7勝を挙げ、リリーフ投手ながら2012年以降の3年間で20勝を挙げた。 ![]() (2015年5月16日) 2015年は5年連続70試合以上となる70試合に登板したが、防御率はその5年間でワーストの3.58だった。 2016年は移籍までに38試合に投げたが、1勝4敗、防御率3.82と前年から更に調子を落としていた。 カブス時代2016年8月1日にヘスス・カスティーヨとのトレードで、シカゴ・カブスへ移籍した[9]。移籍後は16試合で1勝1敗、防御率2.51であった。シーズン合計では54試合登板に終わり、連続70試合登板は5年で途切れた。オフの11月3日にFAとなった[10]。 ブルージェイズ時代![]() (2017年5月19日) 2017年2月9日にトロント・ブルージェイズと1年300万ドルで契約した[11]。ブルージェイズでは38試合に投げ、3勝0敗、防御率3.28であった。 インディアンス復帰2017年7月31日にトーマス・パノーン、サマド・テイラーとのトレードで、インディアンスへ移籍した[12]。移籍後は21試合登板で防御率3.44であった。オフの11月2日にFAとなった[13]。 アストロズ時代2017年12月14日にヒューストン・アストロズと2年1500万ドルで契約した[14]。 2019年オフの10月31日にFAとなった[15]が、12月16日に2年総額800万ドルで再契約を結んだ[16]。 2020年の短縮シーズンは、ハンチントン病末期患者である実母を看病するためにプレーせず、年俸400万ドルが没収された[17]。 2021年は2年ぶりにMLBに復帰したが、後述の移籍まで27試合に登板して防御率7.48と不調であった。 マリナーズ時代2021年7月27日にケンドール・グレーブマン、ラファエル・モンテロとのトレードで、エイブラハム・トロと共にマリナーズへ移籍した[18]。マリナーズでは23試合に登板して防御率2.00と復調したが、オフの11月3日にFAとなった[19]。 ツインズ時代2022年3月20日にミネソタ・ツインズと単年契約を結んだ[20]。8月3日にDFAとなり、8月5日に自由契約となった。 2023年はいずれの球団にも所属しなかった。 投球スタイル一般的なアンダーハンドよりは高く、サイドハンドよりは低いリリースポイント[22]から、平均球速88.2mph(約141.8km/h)のシンカーと平均79.8mph(約128.4km/h)のスライダーの2球種を投げる。例年、7:3程度の割合で投げていたが、2014年から平均88.7mph(約142.7km/h)のフォーシームを投げるようになり、その分シンカーを約70%から50%弱にまで減らした。さらに2016年からは平均78.7mph(約126.7km/h)のチェンジアップも持ち球に加えたが、あまり多投せず約4%程度にとどめている[23]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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