スウェード (バンド)
スウェード(Suede)は、イギリス・ロンドン出身のロックバンドである。 概要1989年結成。 デビュー当時は、ボーカルのブレット・アンダーソンとギターのバーナード・バトラーを中心に、デヴィッド・ボウイやザ・スミスらに影響を受けた耽美的な音楽性で、1990年代のUKロックシーンに衝撃を与え、後のブリットポップのきっかけを作ったとも評価されている。メンバー間の不仲によりバーナードが脱退した後も、新メンバーの加入を経て1990年代を通じて人気を維持した。 アメリカでは同名の女性シンガーから訴訟を起こされたため、The London Suedeと言う名義で活動していた。 2003年に活動休止を発表。メンバーはそれぞれソロ活動を行っていたが、2010年にアルバム『カミング・アップ』期のメンバーで行った一夜限りの再結成ライブが成功したのを機に、本格的に活動を再開している。 2011年にはすべてのオリジナル・アルバムがリマスター盤として再発された。 来歴バンド結成1989年にイギリスの田舎町ヘイワーズ・ヒースからロンドンの大学に進学してきたブレット・アンダーソンとマット・オズマンは、当時ブレットのガールフレンドだったジャスティーン・フリッシュマンとともに、バンドを結成する。バンド名はジャスティーンの提案により「Suede」と命名された。その後、『NME』誌に出したギタリスト募集の広告をきっかけに、バーナード・バトラーが加入。ドラムは当初ドラムマシーンで代用したり、元ザ・スミスのマイク・ジョイスや後にエラスティカのメンバーとなるジャスティン・ウェルチが一時参加するなど、なかなか定着しなかったが、1990年にようやくサイモン・ギルバートが加入。1991年にジャスティーンがバンドを脱退するも、その頃からライブ活動で徐々にプレスから注目を浴び始めたスウェードは、1992年に無名のインディーレーベルだったヌード・レコードと契約を結ぶ。 デビュー1992年、デビュー・シングル「ザ・ドラウナーズ」のリリースを控えたバンドを、音楽誌『メロディ・メイカー』が「イギリス最高のニュー・バンド」と賞賛したことから、一躍注目を浴びる[1]。同年9月発表のセカンド・シングル「メタル・ミッキー」は全英トップ20入り、1993年2月発表の「アニマル・ナイトレイト」(アミル・ナイトレイトをもじったタイトル[1])が全英トップテン入りしたことから、インディー・バンドとしては当時異例ながら、全英にテレビ中継されるブリット・アワードに出演が決定。バンドは「アニマル・ナイトレイト」を演奏したが、ブレットはマイクのコードで自らのお尻を繰り返し叩くなど、刺激的なパフォーマンスを披露。それまでスウェードを知らなかった人々にも衝撃を与えた。 1993年3月、ファースト・アルバム『スウェード』をリリース。発売一週目で10万枚を売り上げ、全英1位を獲得。当時のイギリスでのデビュー作最速売り上げを記録し、その年のマーキュリー賞のベスト・アルバム・オブ・ザ・イヤーにも選出された[1]。ブレットの中性的な歌声とバーナードの唸るようなギターのコンビネーションは、ザ・スミスのモリッシーとジョニー・マーの関係にも例えられた。また同性愛・近親姦・獣姦などを扱った刺激的な歌詞や、「大衆を墜落させたい」「僕は男性経験のないバイセクシャルだ」といったブレットの発言[1]、この発言を受けてサイモンが「僕は異性経験のないバイセクシャルだ」と、自らが本物のゲイであることをカミングアウトするなど、スウェード現象はマスコミの報道を通じてますます大きくなっていった。 バーナード脱退、新メンバーの加入しかしバーナードは音楽以外の面でも話題になるバンドに対して、とりわけブレットに対して嫌気が差しつつあった。しかしそんな中にあってもセカンド・アルバムのレコーディングは進められ、8分にも及ぶ大作シングル「ステイ・トゥゲザー」は、全英3位と最大のヒットになった。しかしセカンド・アルバム完成直前に、メンバー間の不和は頂点に達し、1994年にバーナードがバンドを脱退することが発表された。 残されたメンバーは活動続行を決意し、バンドは音楽雑誌に匿名で「名の知られたバンドがギタリストを探しています。コクトー・ツインズ、スウェード、ビートルズの影響を受けています」というメンバー募集広告を打ち、600通の応募の中から当時17歳のリチャード・オークスを加えて活動を再開。 1994年10月に発表されたセカンド・アルバム『ドッグ・マン・スター』は、オーケストラの大々的な導入や退廃的な雰囲気を強めた内容が高く評価されたものの、当時はバーナード脱退騒動の影響もあって全英3位までしか上らず、チャートからはすぐに姿を消した。またその直後、オアシスやブラーなどによるブリットポップ・ムーブメントが勃発し、プレスの関心はそういった新人バンド群に集中したことから、スウェードはこの時期「終わったバンド」として見られるようになった。 起死回生のヒット作『カミング・アップ』1996年1月、キーボードにサイモンの従兄弟であるニール・コドリングが加入。この5人編成でレコーディングされたサード・アルバム『カミング・アップ』は、これまでよりも「明るくポップになった」とも評され、先行シングル「トラッシュ」の大ヒットもあって全英1位を獲得。デビュー・アルバムの倍近いセールスを挙げ、スウェード最大のヒット作となった。またアルバムからは「ビューティフル・ワンズ」や「サタデイ・ナイト」など計5曲がシングルカットされ、その全てがトップテン入りした。 1997年にシングルのB面曲を集めた『サイ・ファイ・ララバイズ』を発表(全英9位)。この時ロンドンのみでB面曲のみのスペシャル・ライブもファンクラブで披露された。 商業的不振1999年、アルバム『ヘッド・ミュージック』を発表。ダンス・ミュージックの要素を取り入れるなどの新たな試みが見られたが、前作の爆発的なヒットには及ばず、アルバムの内容も賛否両論となった。『ヘッド・ミュージック』収録時の問題は、以前からのブレットの薬物中毒が悪化したことにあり、後にこの頃の薬物漬けの日々を後悔しているとメンバーはコメントしている。 2000年には5枚目のアルバムのレコーディング・セッションがスタートしたが、2001年にはキーボードのニールが慢性疲労症候群という難病によりバンドを脱退することが発表され、後任に元ストレンジラヴのアレックス・リーが加入。またプロデューサーのトニー・ホッファーとのレコーディングも全てボツにして、新たにスティーヴン・ストリートを起用してレコーディングを再開。このようにアルバム制作が長引くにつれて費用がかさんだことも一因となってか、彼らがデビューから所属していたヌード・レコードが倒産してしまう。 結局バンドは新たにソニーと契約を結び、2002年にアルバム『ニュー・モーニング』を発表。アルバムはそれまでの耽美的な雰囲気は消えて、アコースティック主体で歌詞も前向きなものが増えた。この方向転換は従来のファンから猛烈な反発を受け、全英24位とセールス面でも大きく失敗した。 解散2003年、ベスト・アルバム『シングルズ』を発表。これに合わせて、同年9月にこれまで発表した5枚のアルバムをまるごと1枚演奏していく、というユニークな企画での5夜連続のコンサートを行った。『スウェード』と『ドッグ・マン・スター』の日が特に人気で、チケットには数十万円のプラチナ価格も付いたと言われている。 同年11月、バンドの公式サイトを通じて「当分の間、スウェードの名の下においていかなるプロジェクトも行われることはないだろう」と、活動停止を発表した。同年12月、スウェード最後のライブでブレットは、ファースト・アルバム収録曲をもじって「来世で会おう (See you in the next life)」と言い残して、スウェードの歴史はいったんここで幕を下ろした。 解散後の活動スウェード活動休止すぐに、ボーカルのブレット・アンダーソンは、断絶状態といわれていたバーナード・バトラーとの復縁が伝えられ、2004年にザ・ティアーズを結成。2005年にファースト・アルバム『ヒア・カム・ザ・ティアーズ』を発表。その年の8月にはSUMMER SONICへの出演を果たしたが、アルバムの商業的不振により同年秋にはレーベルから解雇され、予定されていたツアーは全て中止。そしてブレットの自身のソロ活動を追求したいという意向により、ザ・ティアーズはスウェードと同じく活動休止となっている。 ![]() 2007年、ブレットが初のソロ・アルバム『ブレット・アンダーソン』を発表(全英54位)。2008年には自主レーベルから『ウィルダネス』(全英161位)、2009年には『スロー・アタック』(全英174位)と、一年に一枚のハイペースでソロ・アルバムを発表したが商業的成功には恵まれなかった。 再結成ブレットは2007年のインタビューで「バンドの再結成ってのは、かなり哀れだと俺は思うよ。ちょっと絶望的っていうかさ。でも、この台詞に俺自身がしっぺ返しをくらう可能性もあるかもね」[2]と、スウェードやザ・ティアーズの再結成を完全には否定しない発言をする一方で、今後しばらくはソロ活動を続けていく意思も表明していた。 しかし2010年には、チャリティ・コンサートのために『カミング・アップ』期のメンバーで一夜限りの再結成ライブを行うことを発表。ちなみに、この再結成ライブにはバーナードは誘われなかったため参加しなかった。それにもかかわらず、ライブは成功し大好評となったことから、「一夜限り」というのはなかったことにされ、ヨーロッパの各フェスティバルや2万人収容のO2アリーナでライブを行った。ブレットによると、2011年以降も活動は継続されるであろうとのことである[3]。 SUMMER SONIC 2011に出演。 2013年、約10年半ぶりにアルバム、『ブラッドスポーツ』を発表した。 メンバー現在のメンバー
旧メンバー
ディスコグラフィ*日付は英国での発売日を示す。「英」とはイギリスの "UK Albums(Singles) Chart" の、「米」はアメリカの "Top Heatseekers" 、「日」は日本のオリコンにおけるチャートの最高位を示す。 オリジナル・アルバム
コンピレーション・アルバム
シングル
来日公演初来日(Suede Tour 1993)
2度目の来日(Dog Man Star Tour 1995)
3度目の来日(《BEAT UK '96》)
4度目の来日(Coming Up Tour 1997)
5度目の来日(Head Music Tour 1999)
6度目の来日(A New Morning Tour 2002)
7度目の来日(A New Morning Tour 2002)
SUMMER SONIC 2011
NANO-MUGEN FES 2012
10年ぶりのジャパンツアー
JAPAN JAM 2014
Dog Man Star再現ライブ
Night Thoughts再現ライブ
SUMMER SONIC 2016
マニック・ストリート・プリーチャーズとのダブルヘッドライナー公演
脚注・出典
外部リンク |
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