スクーター・ジェネット
ライアン・ジョゼフ・ジェネット(Ryan Joseph Gennett, 1990年5月1日 - )は、 アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身のプロ野球選手(二塁手、外野手、三塁手)。右投左打。現在は、フリーエージェント(FA)。 経歴プロ入りとブルワーズ時代2009年のMLBドラフト16巡目(全体496位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名され、8月17日に契約。 2010年に傘下のA級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズでプロデビュー。118試合に出場して打率.309、9本塁打、55打点、14盗塁を記録した。同年のミッドウェストリーグ・西地区のオールスターチームに二塁手として選出された[1]。 2011年はA+級ブレバード・カウンティ・マナティーズでプレーし、134試合に出場して打率.300、9本塁打、51打点、11盗塁を記録した。6月2日には同年のフロリダ・ステートリーグ・北地区のオールスターチームに二塁手として選出された[2]。 2012年はAA級ハンツビル・スターズでプレーし、133試合に出場して打率.293、5本塁打、44打点、11盗塁を記録した。6月7日にはサザンリーグ・北地区のオールスターチームに二塁手として選出された[3]。オフの11月20日にブルワーズとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした[4]。 2013年1月25日にブルワーズと1年契約を結び、3月15日にAAA級ナッシュビル・サウンズへ異動した。6月3日にメジャーへ初昇格した[5]。同日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。8点ビハインドの9回裏に代打として出場したが、ピッチャーゴロに終わった[6]。17試合に出場したが、打率.214と結果を残せず、6月26日にAAA級ナッシュビルへ降格した[7]。7月30日に再昇格[8]も、2試合の出場しただけで8月7日にAAA級ナッシュビルへ降格した[9]。だが、翌8日に正二塁手のリッキー・ウィークスが故障者リスト入りしたため再昇格した[10]。昇格後は二塁手の定位置を獲得し、2割台だった打率を3割台まで上げた。この年メジャーでは69試合に出場して打率.324、6本塁打、21打点、2盗塁を記録した。 2014年は自身初の開幕ロースター入りを果たした[11]。この年は、二塁手のレギュラー格で起用されて137試合に出場して打率.289、9本塁打、54打点、6盗塁を記録した。打者としては主に1、2番で起用され、得点圏で打率.327を記録した[12]。 2015年は出番がやや減少し、114試合の出場だった。打撃面では打率.264、6本塁打、29打点という成績を残したが、出塁率は.300を割り込んだ。 2016年は136試合に出場し、初めて規定打席に到達。打率.263、14本塁打、56打点、8盗塁という成績のほか、二塁打も30本放った。 レッズ時代2017年3月28日にウェイバー公示を経て故郷のシンシナティ・レッズへ移籍した[13]。6月6日に本拠地グレート・アメリカン・ボール・パークで行われたセントルイス・カージナルス戦では、2012年のジョシュ・ハミルトン以来史上17人目となる1試合4本塁打、史上15人目となる1試合10打点、史上6人目となる1試合17塁打という大記録を達成。この年は規定打席にわずかに届かなかったものの、打率.295、27本塁打、97打点、OPS.874と自己最高成績を残した。 ジャイアンツ時代2019年7月31日に後日発表選手とのトレードで、金銭と共にサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[14]。8月27日に自由契約となった[15]。 人物登録名の「スクーター」はニックネームで、5歳の頃にファンだったキャラクター人形に由来している。ある日、母親のティナとシートベルト講習を受けるため、警察署に行ったが、その際に「自分は逮捕されるのかも。もし、本名を言ったら逮捕される」と思ったらしく、本名の「ライアン」ではなく、偽名として「スクーター」と名乗った事から、それ以来「スクーター」という名前を使っている[16]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別投手成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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