スターリング・レコード (アメリカ合衆国)スターリング・レコード(Sterling Records Inc.)は、かつて1940年代後半にアメリカ合衆国に存在したニューヨークのレコードレーベル[1]。ハンク・ウィリアムズがMGMレコード(MGM Records)と契約する前に、最初にレコードを出したレーベルとして広く知られている。 最初期1945年、スターリング・レコードは「古典的ジャズと黒人向けレコード (Classic Jazz and Race Records)」を標榜し、黒人音楽のレーベルとして新しく登場した。最初にリリースしたのは、リレット・トマス(Lillette Thomas)という黒人女性ブルース歌手によるレコード番号100番「Blues For My Daddy / Lillette's Boogie」と101番「Variety Blues / That's What Happened To Me」であった[2]。これに続いてバディ・バンクス・セクステット(Buddy Banks Sextet)による102番「I Need It Bad / Banks' Boogie」がリリースされた[3]。 ハンク・ウィリアムズハンク・ウィリアムズは、演奏者としてのロイヤルティーを放棄する代わりにセッション1回につき250ドルを受け取るという条件でスターリング・レコードと契約し、ナッシュビルのラジオ局WSMのスタジオで、1946年12月11日と1947年2月11日にセッションを行い、そこから8曲が4枚の78回転盤となってリリースされた[4][5]。ハンク・ウィリアムズの作品は、レコード番号201番「Calling You / Never Again (Will I Knock on Your Door)」、204番「Wealth Won't Save Your Soul / When God Comes and Gathers His Jewels」、208番「I Don't Care (If Tomorrow Never Comes) / My Love for You (Has Turned to Hate)」、210番「Honky Tonkin' / Pan American」でいずれも1947年のリリースであった[1]。ハンク・ウィリアムズがMGMレコードへ移籍した後、スターリング・レコードはウィリアムズの録音原盤権をMGMレコードに売却し、MGMはスターリングと同じ音源からレコードを制作したが、「ホンキー・トンキン」だけは再録音したものを発売した[5]。 オクラホマ・ラングラーズハンク・ウィリアムズの最初の録音セッションでバックを務めたのは、ウィリス・ブラザーズ(The Willis Brothers)として知られるウィリス兄弟のグループで、当時はオクラホマ・ラングラーズ(Oklahoma Wranglers)と名乗っていた[6]。オクラホマ・ラングラーズ名義の78回転盤は、ハンク・ウィラムズの最初のセッションと同じ日に録音されたレコード番号203番「I Can't Go On This Way / You Don't Have To Worry」、204番「Farther And Farther Apart / I'm Sorry If That's The Way You Feel」が、スターリング・レコードからリリースされた[5][7]。 ジミー・ウェイクリーやはり、カントリー歌手のジミー・ウェイクリー(Jimmy Wakely)も、1948年にレコード番号213番「Cool Water / Saddle Pals」、214番「If You Can't Go Right / I've Got Nuggets In My Pockets」をスターリング・レコードからリリースしている[1][7]。その後、スターリング・レコードの破産手続きがとられた1952年に、ウェイクリーは、かつて別のレコード会社で録音した原盤をスターリング・レコードが勝手に使ったとして訴訟を起こし、原盤権が自分にあることを確認させた[8]。 出典・脚注
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