ステファン・エバーツ![]() ステファン・エバーツ(Stefan Everts、1972年11月25日 - )は、ベルギー人のモーターサイクル・モトクロスライダー。ゼッケン番号は72。 「エバーツ乗り」と呼ばれる、スタンディングを多用した走りを駆使し、モトクロス世界選手権史上最多となる10回のタイトルを獲得した[1]。 父親のハリー・エバーツは4度の世界王者[1]で、息子のリアム・エバーツも現在世界選手権に参戦中である。 来歴![]() 3歳で父からプレゼントされたイタルジェットで初めてオートバイに乗る。10歳で初レース。1988年ベルギー選手権デビュー。 1989年モトクロス世界選手権開幕戦イタリアで世界デビュー。 1991年ハンガリーで初優勝し、史上最年少で125ccチャンピオンを獲得。初チャンピオン獲得後はAMAスーパークロス参戦を意識した発言も多かったが、1990年代後半には世界選手権に専念する道を選んだ。 1999年2月にフランスのボケーで開催されたインターナショナルレースで転倒し、膝の前の骨とその下をつなぐ靭帯を切断、膝の後ろの靭帯が伸びる怪我を負い、シーズンのほとんどを棒に振る。同年第13戦ルクセンブルクで復帰し第15戦ドイツで優勝。 ホンダからハスクバーナに移籍して迎えた2000年、またも開幕前の同レースで左腕を骨折。第13戦ベルギーを出場(ヒート1リタイヤ、ヒート2不出走)しただけで終わった。 度重なる怪我の影響、2シーズンレースから離れていることなどを考えると、チームとしても契約には慎重にならざるをえない。そんな状況ながら2001年は名門チームリナルディ(ヤマハ・L&M)からの参戦が実現する。グランプリ復帰戦となった開幕戦での優勝を含めて全14戦中7勝しチャンピオンを獲得。以来同チームで2006年まで6年連続タイトルを制覇し続けた。 2006年はモチベーションに反して衰えていく自分の健康状態(30歳を超えて回復力の低下を感じていた上、脾臓を摘出して血液の濾過機能を失っており、薬を服用していた)と将来を鑑みて、最後のシーズンと決めて挑んだ。「もう40分間レースするのは無理だ」と言いつつも[2]、15戦14勝という圧倒的な成績で有終の美を飾った[1]。 またこの年のモトクロス・オブ・ネイションズ(MXoN)では、AMAスーパークロス王者で初の海外戦となった若きジェームス・スチュワートとの一騎打ちとなったが、スムーズな走りのエバーツがホールショットを奪った後、終始圧倒して勝利した[3]。 2007年からは選手としてではなくレッドブルKTMファクトリーチームのレーシングディレクターとしてモトクロスに関わっている[4]。 戦績
記録
脚注
外部リンク |
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