ストーン・ザ・クロウズ (Stone the Crows )は、1969年末にグラスゴー で結成されたスコットランド のブルースロック ・バンド。マギー・ベル をリード・ヴォーカリストに擁して、1970年代前半まで活動した。
ギタリストで創設メンバーのレスリー・ハーヴェイ がステージで感電死したことでも記憶されている。
略歴
結成
ストーン・ザ・クロウズが結成されたきっかけは、マギー・ベル (ヴォーカル)がアレックス・ハーヴェイ [ 注釈 1] から弟のレスリー・ハーヴェイ(ギター)を紹介されたことだった[ 2] 。両者はハーヴェイのバンドだったキニング・パーク・ランブラーズ(The Kinning Park Ramblers)で一緒に演奏した後、ジェームス・デュワー(ベース、ヴォーカル)、ジョン・マクギニス(キーボード)、ヘンリー・ライト(ドラム)とパワー(Power)を結成して、グラスゴーを中心に活動した。
ハーヴェイはルル の代表曲「いつも心に太陽を (To Sir With Love)」(1967年)の共作者だったマーク・ロンドン [ 注釈 2] の目に留まった。ロンドンは自分がマネージメントしていたカートゥーン(Cartoone )がレッド・ツェッペリン のアメリカ・ツアーの前座を務めることになっていたので、ハーヴェイを参加させた。レッド・ツェッペリンのマネージャーだったピーター・グラント はカートゥーンに経済的関心を抱いていた[ 4] 。ハーヴェイはアメリカから帰国すると、ロンドンとグラントをグラスゴーに招待してパワーのライヴを見せた。その結果、両者が共同でパワーをマネージメントすることになり、グラントは彼等をストーン・ザ・クロウズ [ 注釈 3] と改名した[ 5] [ 6] 。
やがてライトが脱退して、ズート・マネー やジョン・メイオール と共演した経験を持つコリン・アレン が加入した。
オリジナル・ラインナップ
マギー・ベル (Maggie Bell) - ヴォーカル
レスリー・ハーヴェイ (Leslie Harvey) - ギター
コリン・アレン (Colin Allen) - ドラム
ジェームス・デュワー (James Dewar) - ベース、ヴォーカル
ジョン・マクギニス (John McGinnis) - キーボード
最初の2作のアルバムはオリジナルのラインナップで録音され、ベルのボーカルはジャニス・ジョプリン に似ていると評された[ 7] 。彼女はロッド・スチュワート のアルバム『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー 』(1971年)のセッション・ワークに招かれて、スチュワートと共にタイトル曲のリード・ヴォーカルを担当した[ 注釈 4] [ 8] 。
セカンド・ラインナップとステージでのハーヴェイの事故死
1971年、マクギニスとデュワーが脱退し、ロニー・リーハイとスティーヴ・トンプソンが加入した[ 2] 。
1972年5月、ウェールズ大学スウォンジー校で開催されたコンサートでトップ・ランク・スイートの観客が見守る中、ギタリストで共同創設者のハーヴェイがステージで感電死した。伝えられるところによると、機材につないでいるワイヤーが聴衆によって壊されて、ロード・クルーが破損箇所を修復した時にアース線が緩んでいる箇所を見落したという[ 9] 。ハーヴェイはマイクに手を伸ばすと同時にギターの金属弦に触れ、電気の衝撃を受けて体が空中に飛ばされた。仰向けに倒れた彼の胸部にギターとマイクスタンドがXの字をなして乗ったままで、彼を救おうとしたバンド仲間も感電してしまったので、誰かがギターを蹴り飛ばして[ 注釈 5] [ 11] 、ようやく医療関係者が救命措置を施せたとされる。彼は直ちに病院に搬送されたが、到着時に死亡が確認された。
彼等は5月27日にリンカンシャー でザ・グレート・ウェスタン・フェスティバルに出演する予定だったので、急遽元フリートウッド・マック のピーター・グリーン を代役に迎えたが、彼は出演の2日前に離脱。イエス のスティーブ・ハウ が自発的に援助を申し出て代役をこなした[ 12] 。
6月、ジミー・マカロック がリード・ギタリストの座に就いた[ 2] 。メイン・ソングライターだったハーヴェイを失って、彼等は自分達の方向性を考え直さざるを得なくなった[ 13] 。
1973年6月、彼等は最終的に解散した[ 2] 。
解散後
ベルは引き続いてグラントのマネージメントの下で活動して、ソロ・アルバム『クイーン・オブ・ザ・ナイト』(1974年)、『熟れた果実』(1975年)、彼がマネージメントするミッドナイト・フライヤーのアルバム『真夜中の罠』(1981年)をレコーディングした。
マカロックは1974年にテネシー州 ナッシュビル で、ポール・マッカートニー のウイングス に参加した。
アレンは1973年10月、オランダ のプログレッシブ・ロック ・バンドのフォーカス に3代目ドラマーとして加入した。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
『デビュー』 - Stone the Crows (1970年、Polydor)
『オード・トゥ・ジョン・ロー』 - Ode to John Law (1970年、Polydor) ※旧邦題『ジョン・ロウに捧げる歌』
『ティーンエイジ・リックス』 - Teenage Licks (1971年、Polydor)
『オンティニュアス・パフォーマンス』 - Ontinuous Performance (1972年、Polydor) ※旧邦題『ストーン・ザ・クロウズ』。全英 33位[ 14]
ライブ・アルバム
The BBC Sessions, Volume 1 – 1969–1970 (1998年、Strange Fruit)
The BBC Sessions, Volume 2 – 1970–1971 (1998年、Strange Fruit)
『ライヴ・イン・モントルー 1972』 - Live Montreux 1972 (2002年、Akarma)
『ラジオ・セッションズ 1969-1972』 - Radio Sessions 1969–1972 (2009年、Angel Air)
『ライヴ・クロウズ 1972 / 73』 - Live Crows 1972/73 (2015年、Angel Air)
脚注
注釈
^ 1972年にセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド を結成してイギリスで人気を集めた。
^ ルルのマネージャーであるマリオン・マッシー と結婚していた。
^ イギリス/オーストラリア系英語で驚きやショックを表す感嘆詞にちなむ。
^ 『ボーカルの研磨剤』(vocal abrasives)とクレジットされた。
^ ドラマーのアレンは、自分がギターを蹴り飛ばしたがハーヴェイは殆ど即死したのだろう、と自伝に記している。
出典
^ Kurtz, Peter. “Artist Biography ”. AllMusic. 2021年12月17日閲覧。
^ a b c d Colin Larkin , ed (1997). The Virgin Encyclopedia of Popular Music (Concise ed.). Virgin Books . pp. 1142/3. ISBN 1-85227-745-9
^ “Biography of Mark London ”. Uncredited, Led Zeppelin: Achilles Last Stand (2009年8月19日). 2011年9月5日時点のオリジナル よりアーカイブ。2023年10月5日閲覧。
^ Welch, Chris (2002). Peter Grant: The Man Who Led Zeppelin . p. 23. ISBN 0-7119-9195-2
^ Pingitore, Silvia (2021年10月6日). “Maggie Bell of Stone the Crows and the 1970s blues-rock: interview with the UK's Janis Joplin ” (英語). the-shortlisted.co.uk . 2021年10月22日閲覧。
^ Logan, Nick &Woffinden, Bob (eds.) The New Musical Express Book of Rock , W.H. Allen &Co. Ltd (Star), 1973, p. 489-490. ISBN 0-352-39715-2 .
^ Liner notes to Rod Stewart's album Every Picture Tells a Story , Mercury Records , catalog no. SRM-609, 1971.
^ “Clipped From The Record” . The Record : pp. 43. (1972年5月21日). https://www.newspapers.com/clip/48264000/the-record/ 2018年4月8日閲覧。
^ “Clipped From Daily Press” . Daily Press : pp. 25. (1972年6月18日). https://www.newspapers.com/clip/48264414/daily-press/ 2020年4月8日閲覧。
^ Howe, Steve (2020). All My Yesterdays . London: Omnibus Press. p. 89. ISBN 978-1-785581-79-3
^ Tobler, John (1992). NME Rock 'N' Roll Years (1st ed.). London: Reed International Books Ltd. pp. 238. CN 5585
^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 534. ISBN 1-904994-10-5
引用文献
Allen, Colin (2018). From Bournemouth to Beverly Hills: "Tales of a Tub-Thumper" . Independently published. ISBN 978-1731511355
外部リンク