スペンサー・デイヴィス・グループ
スペンサー・デイヴィス・グループ(The Spencer Davis Group)は、イギリスのバンド。スペンサー・デイヴィス(1939年7月17日-2020年10月19日)を中心に結成。メンバーはスペンサー・デイヴィス (ボーカル、ギター)、スティーヴ・ウィンウッド (ボーカル、オルガン)、マフ・ウィンウッド (ベース)、ピート・ヨーク (ドラム)。 キャリア1965年デビュー。1966年から1967年にかけて代表曲となる「愛しておくれ (Gimme Some Lovin')」、「アイム・ア・マン」などの全英TOP10ヒットを放った。アメリカのビルボード・チャートでも、「愛しておくれ」は7位[注釈 1]、「アイム・ア・マン」は10位まで上昇した。当時十代後半だったボーカリスト、オルガニストのスティーヴ・ウィンウッド[3]は、そのソウルフルな歌声から音楽メディアなどによって、もてはやされた。グループのヒット曲には他に「キープ・オン・ランニン」、「サムバディ・ヘルプ・ミー」がある[注釈 2]。しかし1967年にスティーヴとマフのウィンウッド兄弟が脱退すると、バンドの活動は行き詰まった。 スペンサー・デイヴィスはアイランドとの契約について、不公正なものでありヒットが何曲も出たにもかかわらず、大きな金額を見たことがなかったと回想している。彼は破産寸前だったが、オールマン・ブラザーズ・バンドの一曲にかかわり、なんとか破産を免れたという。その一曲に関する報酬は、過去の楽曲よりも大きかったという。彼はクリス・ブラックウェルと厳しく交渉し、ボブ・マーリー[注釈 3]、ロバート・パーマー、エディ&ホットロッズらの宣伝担当で収入アップをはかった。ウィンウッドはブラインド・フェイスやトラフィックを結成。佳作のアルバムを発表した。彼はツトム・ヤマシタズ・ゴーにも参加した。さらにソロとなってからは、数年ほど低迷したが、1981年には「ユー・シー・ア・チャンス」「アーク・オブ・ア・ダイバー」のヒットを放った。その後も「ヴァレリー」「ハイアー・ラヴ」「ロール・ウィズ・イット」のヒットを記録している。 スペンサー・デイヴィスは1970年代からジャズ作品のプロデュースなどを手がけた。彼はその後もライブを中心に活動したが、2020年に死去している。 「愛しておくれ」はブルース・ブラザーズなどにカバーされ[注釈 4]、ウィンウッドのライブでもレパートリーとして披露される。 ラインナップ最新メンバー
過去のメンバー
ディスコグラフィアルバム
関連項目脚注注釈出典
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