セバスティアン・ビエラ
マリオ・セバスティアン・ビエラ・ガライン(Mario Sebastián Viera Galaín, 1983年3月7日 - )は、ウルグアイ・フロリダ出身の元サッカー選手。ウルグアイ代表であった。現役時代のポジションはゴールキーパー。父親のマリオ・ビエラもゴールキーパーとしてプレーするサッカー選手であった。 経歴2003年にナシオナル・モンテビデオからデビューした。2005年8月にはイングランド・プレミアリーグのアーセナルFCへの移籍すると思われたが、メディカルチェックをパスしなかったことからアーセン・ベンゲル監督は獲得を取りやめた[1]。同8月、ペペ・レイナの後釜を探していたスペイン・リーガ・エスパニョーラのビジャレアルCFと4年契約を結んだ[2]。同時期にアルゼンチン人GKマリアーノ・バルボサも加入したが、2005-06シーズンと2006-07シーズンはバルボサとポジションを争い、より多くの試合に出場している。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは準決勝まで勝ち進んだが、アーセナルFC戦には2戦とも出場を逃した。2007-08シーズンもレギュラーとしてシーズン開幕を迎えたが、2007-08シーズン中盤に新加入のディエゴ・ロペスにポジションを明け渡した。2008-09シーズンはリーグ戦の出場機会がゼロとなり、2009年7月に契約満了により退団するまでにポジションを奪い返すことはできなかった。 2009年11月11日、ギリシャ・スーパーリーグのAEL 1964と1年半契約を交わし[3]、2010年1月にデビューした。2010年後半に契約を解除し[4]、そのすぐ後にコロンビアのアトレティコ・ジュニオールと契約した。 代表歴ウルグアイ代表としての出場機会がないながらもコパ・アメリカ2004の出場メンバーに選ばれ、準々決勝のパラグアイ戦で代表デビューを果たした。準決勝のブラジル戦にも出場し、ブラジルに敗れたものの3位入賞に貢献した。コパ・アメリカ2004ではキャップを被って試合に臨んだところ、調子が良かったため、験を担いでクラブの試合でもキャップをかぶるようになった。2005-06シーズンのリーグ戦で調子を落としたため、それからはキャップを被っていない。2005年の夏頃まではウルグアイ代表の正GKであったが、2009年6月のブラジル戦で4失点を喫し、以降メンバーから外れることが増え、2010 FIFAワールドカップの予備登録26人からも外れた。 個人成績クラブ
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia