セミ・スラヴ・ディフェンス
セミ・スラヴ・ディフェンスは、クイーンズ・ギャンビットの一変化であり、以下の手順により現れる局面で定義される。 この局面は、様々な別の手順からも容易に表れる。黒はポーンをe6とc6に進めており、序盤はオーソドックスなクイーンズ・ギャンビット・ディクラインドとスラヴ・ディフェンスの混合系に似たものとなる。 黒は白のc4のポーンを取り、そのポーンをb7-b5で守る狙いがある。白はこの狙いを様々な方法で避けることができる。80%のゲームは5. Bg5あるいは5. e3と続く。5. Bg5は激しいポーン・サクリファイス含みのゲームになる一方、5. e3は白の黒マスビショップを自然な展開地点であるg5へと運べなくなる。他に可能な手としては5. Qb3、5. g3、5. cxd5がある。最後の5. cxd5は、5... exd5ののち、白の早いNf3のおかげで黒が白マスビショップを自由に展開でき、黒が互角にできるクイーンズ・ギャンビット・ディクラインドの一変化になる。 セミ・スラヴ・ディフェンスに対しては、Encyclopaedia of Chess OpeningsではD43からD49のコードが指定されている。 5.e3メインラインは、5... Nbd7と続く。ビショップの手である5... Bd6と5... Be7はほとんど見られない。理由は、マスター達は初期のころよりe7にビショップを置くことは受け身の形であり、黒の後の狙いであるところの自陣を開放する手、...e5のために何の役にも立たないことを認識していたためである。稀な5... a6は、黒にとって手堅いと考えられている。5... e6を「アクセレレーテッド・メラン」と呼ぶ出典もある。[1] メラン・ヴァリエーション: 6.Bd3セミ・スラヴ・ディフェンスの主要な変化はメラン・ヴァリエーションであり、6... dxc4 7. Bxc4 b5となる(ECOコードはD46-D49)。ゲームは通常8. Bd3と続く。8. Be2や8. Bb3と続くのはあまり一般的ではない代替手である。このラインは、シュレヒター対パーリスの1906年のゲーム[2]で初めて指された。この変化は、北イタリアの土地メラーノ(メラン)より名前が取られている。メラーノで開かれた1924年のトーナメントでは、グリュンフェルト対ルービンシュタインのゲームで採用され、成功を収めた。グリュンフェルトは同じ変化を2ラウンド後のシュピールマンとのゲームでも採用し、同様に勝った。[3]ヴィスワナータン・アーナンドは、ウラジーミル・クラムニクとの2008年の世界チェス選手権で、黒番で2局を勝った。黒はd5のアウトポストを放棄するが、手得しながらb7-b5によってクイーンサイドでスペースを拡大する。白はセンターで戦い、結果として豊かで複雑なゲームになる。これらの対立する戦略と、その後の鋭いプレーのおかげで、メラン・ヴァリエーションは長い間、白黒どちらにおいても意欲的なプレーヤーに好まれることとなった。例えばGligoric対Ljubojevic、ベオグラード、1979年.[4] 8. Bd3の後は、黒はしばしば8...a6と指す。ベント・ラルセンは8...Bb7を導入しており、この手は「改良メラン」と呼ばれてきた。[5] ある出典によると、この手ははじめ1923年に指されていたが、ラルセンにより発展されたため、彼の名前が付けられている。 黒は8...Bd6と指すこともできる。この手はアナンドが2013年のタタ・スチールチェストーナメントでアロニアンに勝利したゲームで指された手である.[6] 現代のマスターのゲームではメラン・ヴァリエーションよりも現れにくい形ではあるが、他の可能性も存在する。6... Be7や、イタリアのマスターであるマックス・ロミにより導入された6... Bb4、そしてメラン・ヴァリエーションが現れる前には最も人気があり、アメリカ人のグランドマスターであるアーサー・ビスガイヤーにより生涯にわたり支持されてきた手である6... Bd6がある。 6...Bd6ののち、7. 0-0 0-0 8. e4 dxe4 9. Nxe4 Nxe4 10. Bxe4が最もよくあるラインである。ここで黒にはいくつかの選択肢があるが、一つはポーンを失うため明確な誤りである。10... e5 11. dxe5 Nxe5 12. Nxe5 Bxe5 13. Bxh7+ Kxh7 14. Qh5+ Kg8 15. Qxe5.しかし、実戦的にはこのラインは、すべてのクイーンとルークが盤上に残っているにもかかわらず、逆色ビショップのために、ドローになる傾向が強い。 黒の他の選択肢は10... c5を含むが、白が11. Bc2からQd3、Bg5といったキングサイドへの攻撃が可能になるため、理論的には10... c5は時期尚早とみなされている。10... Nf6も指されてきているが、ナイトの位置としては悪く、黒がセンターに対抗するために今後指す、ポーンでの突破の手であるc6-c5やe6-e5という手にとって何の役にも立っていない。ビスガイヤーは10... h6を好んでおり、これが最善のプランだと考えられるようになった。 その他のアイデアは、6...Be7である。これは、5. e3 Be7と同じ欠点がある。この手と6... Bb4は、現代においてはサイドラインとなっている。 アンチ・メラン・ヴァリエーション: 6.Qc26. Bd3の主要な代替手は、6.Qc2である。、かつてはサイドラインであったが、1990年代には、爆発的人気を呼んだ。おもな原因は、 アナトリー・カルポフの貢献である。 アイデアは、白がBd3を指す前に黒が...dxc4を指すように、黒の手を待つことである。黒は一般的に6... Bd6と指すが、そのあと白には2つの全く異なる継続手がある。 カルポフ・ヴァリエーション:7.Bd37.Bd3については、カルポフは最初は7. Be2と指していたが、d3マスのほうが白によりよいチャンスがあることが明らかになった。 シロフ・シャバロフ・ギャンビット: 7.g4
Position after 7.g4
別の、アンチ・メラン・ヴァリエーションでますますよく使われるようになってきているギャンビットのラインは、激しい7. g4である。アレクサンドル・シャバロフとアレクセイ・シロフにより一般的になった手であり、このギャンビットにより黒のセンターは不安定になる。このギャンビットはガルリ・カスパロフを含む何人かのグランドマスターが使用して成功をおさめている。カスパロフは、コンピュータチェスプログラムであるディープ・ジュニアとの2003年のマッチにおいてこのギャンビットを使い、第1ゲームを勝った。[7] 5. Bg5
Position after 5.Bg5
アンチ・メラン・ギャンビット(ECOコード D44)は、5. Bg5から始まる。対して黒の可能な手としては5...Nbd7, 5...dxc4, 5...h6, 5...Be7がある。白は、黒マスビショップが閉じ込められるのを防ぎ、黒のナイトをピンできる活動的な位置にビショップを展開する。黒は、5... Nbd7 6. e3 Qa5としてケンブリッジ・スプリングス・ヴァリエーションに変化することも、6... Be7としてオーソドックス・ディフェンスに変化することもできる。 ボトヴィニク・ヴァリエーション: 5...dxc4この変化は極めて複雑であり、ある変化においては30手を超えてもまだ序盤の理論が続いている。黒は5... dxc4としてポーンを取る。白はセンターを6. e4として支配し、黒は6... b5としてポーンを守る。ボトヴィニク・ヴァリエーションのメインラインは、7. e5 h6 8. Bh4 g5 9. Nxg5 hxg5 10. Bxg5 Nbd7のように続く。白はポーン1つというおまけ付きでピースを取り返したが、黒はすぐに展開を完了し、動的な代償を得る。一方白の課題はより難しい。白は白マスビショップをフィアンケットし、キングサイドにキャスリングする。一方黒はc5、Qb6といった手を指し、クイーンサイドにキャスリングし、センターあるいはどちらかのサイドで攻撃を行える。結果として、複雑なゲームになる。この序盤はミハイル・ボトヴィニクにより1945年のソ連対アメリカのラジオ・マッチでのアーノルド・デンカー戦で導入された。今日では、白番でアレックス・イェルモリンスキーが素晴らしい戦績を挙げており、アレクセイ・シロフが黒番での第一人者である。この変化はボトヴィニクの名前が付いているにもかかわらず、ボトヴィニクはこの変化を指したことで知られる最初の人物ではない。クラウス・ユンゲが実際の発明者であると信じられている。[8] モスクワ・ヴァリエーション: 5...h6モスクワ変化5... h6 6. Bxf6 Qxf6はボトヴィニク・ヴァリエーションとは異なった性格のゲームになる。黒はビショップ・ペアを持っており、長期的には良いチャンスがある。しかし、黒の陣形は手堅いが受け身であるため、白の展開の早さとセンターの支配に直面するような、局面を素早く開いていく指し方は避けねばならない。アレクセイ・ドレーエフが黒でこのラインを使い、成功している。ギャンビット・ラインである6. Bh4(アンチ・モスクワ・ヴァリエーション)はかつて疑わしいと考えられていたが、近年復活した。ポーンの見返りに、白は展開で先んじ、強い主導権を獲得できる。現代のゲームの特徴であるダイナミックさがある、このラインは、理論的には結論が出ていないまま、多くの強いグランドマスターが指している。 参考文献
出典
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