セルジオ・セッテ・カマラ
セルジオ・セッテ・カマラ・フィーリョ(Sérgio Sette Câmara Filho, 1998年5月23日 - )は、ブラジル出身のレーシングドライバー。 経歴フォーミュラ32014年16歳の時に「ブラジル・フォーミュラ3選手権」(Brazilian Formula Three Championship)のクラスAから参戦が決まる。セサリオ・F3チームから第4戦(インテルラゴス・サーキット)よりデビューを果たす。チームメイトのペドロ・ピケは同年のタイトルを獲得し速さで後れを取ったが、最終的に総合7位と健闘した。 10月には、「ヨーロッパ・F3」へユーロインターナショナルからスポット参戦する。第10戦(イモラ・サーキット)の3レースに出場した。 2015年昨年スポット参戦した「ヨーロッパ・F3」へ、フルシーズン挑むことが発表される。チームは、モトパークからの出走に決まった。前半戦は入賞圏外でのフィニッシュが多かったが、第5戦(スパ・フランコルシャン)レース2で初の表彰台3位を獲得した。後半戦には入賞を決めるレースも増え始め、第8戦(レッドブル・リンク)レース3で再び3位表彰台に立った。57.5ポイントを獲得し、総合14位でシーズンを終えた[1]。 マスターズ・オブ・フォーミュラ39月にザントフォールトで開催される「マスターズ・オブ・F3」に出場した。モトパークのメンバーとして走り、予選では1分31秒281をマークし、ポールポジションを獲得した。その後の予選レース・決勝レースでは共に3位に入ったが、優勝を飾ることは出来なかった[2]。 マカオグランプリセッテ・カマラは11月、F3カテゴリーである「マカオグランプリ」に参戦する。予選Q1のタイムは全体の22番目と苦戦したが、Q2では立て直し全体の7番手タイムをマークした。続く予選レースでは1つポジションを上げて6位でフィニッシュし、決勝6番グリッドを確保した。決勝レースは、アクシデントに遭い順位を大きく落とし22位でチェッカーを受けた[3]。残念な展開とはなったが、従来のラップレコードを塗り替える走りを見せた。 2016年モトパークから2年目の「ヨーロッパ・F3」へ参戦した。前半戦は比較的コンスタントにポイントを獲得したが、中盤戦以降は入賞圏外で終えるレースが多くなりブレーキとなってしまう。最高位は第3戦(パウ・サーキット)(Pau Circuit)レース2で記録した2位。総合11位に入り、昨年の順位を上回った[4]。 マスターズ・オブ・フォーミュラ3再び「マスターズ・オブ・F3」へ出場し昨年のリベンジを狙った。1分30秒098を記録し予選7番手タイムをマークする。予選レースではポジションを2つ上げ5位で終え、決勝5番手のポジションを確保した。迎えた決勝レースでも2つ順位を上げ3位でチェッカーを受けた。2年連続の3位となったが、同年も優勝には届かなかった[5]。 マカオグランプリ2016年は「ヨーロッパ・F3」「マスターズ・オブ・F3」とモトパークから参戦を続けてきたが、今回の「マカオグランプリ」ではチームを離れカーリン(Carlin)からの出走となった。予選は、トップと0.616秒差の4位につける。続く予選レースでは、グリッドを1つ上げての3位で終えた。決勝レースは3番グリッドからスタートし、ポジションをキープしたままチェッカーを受け3位表彰台を獲得した[6]。 トヨタ・レーシング・シリーズ2015年1月、ニュージーランドで開催される「トヨタ・レーシング・シリーズ」へ第4戦(タウポ・モータースポーツ・パーク)から参戦した。チームは、ジャイルズ・モータースポーツからの出走となる。199ポイントを獲得して、総合20位となった[7]。 F12015年12月、2016年からレッドブル・ジュニアチームに加入することが発表された[8]。 2016年4月には、スペインのモーターランド・アラゴンで初のデモランをする[9]。2012年型である、レッドブル・レーシングのシャシー「RB8」をドライブした。第10戦イギリスGP終了時に開催されたインシーズンテストには、スクーデリア・トロ・ロッソのドライバーとして参加した[10]。 2019年にマクラーレンのテストドライバーを経て、翌2020年からレッドブル・レーシングおよびスクーデリア・アルファタウリ(旧トロ・ロッソ)のリザーブ兼テストドライバーに復帰した[11]。 スーパーフォーミュラ2020年にBuzz Racing Team with B-MAXからスーパーフォーミュラに参戦することが決まっていたが、新型コロナウイルス感染症の流行のため実際に出走したのは第3戦の1度きりだった[12][13][14][15]。 レース戦績略歴
FIA フォーミュラ3・ヨーロピアン選手権
FIA フォーミュラ2選手権
フォーミュラE
スーパーフォーミュラ
出典
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