ソヴィエトスター
ソヴィエトスター (Soviet Star) はアメリカ合衆国生産の競走馬。フランスで調教を受けG1競走5勝を挙げる。イギリス、日本、アイルランドで種牡馬となった。同じヌレイエフ産駒でG1競走10勝のミエスクと3度戦い、1度だけ勝利している。 戦績1986年10月30日のサモレ賞で、アラン・ルクー騎手騎乗でデビュー。このデビュー戦を1着で勝ち上がると、次走、年明け初戦となる1987年4月20日のフォンテンブロー賞もグレヴィル・スターキー騎手騎乗で勝利し、重賞初勝利を果たす。そして5月10日のプール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー)も制し、デビューから3連勝でG1勝利を達成した。その後、ジャンプラ賞とセントジェームズパレスステークスは2着に惜敗したが、サセックスステークスで勝利しG1競走2勝目を挙げた。 同時期、フランスにはマイル戦で快進撃を続ける牝馬のミエスクがいた。1000ギニー、プール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)、ジャック・ル・マロワ賞を勝利しているG1競走5勝の強豪である。この2頭がムーラン・ド・ロンシャン賞を走ることになる。この年のマイルチャンピオン同士の対決であった。勝負はミエスクが勝利し、ソヴィエトスターは2馬身1/2差の2着に敗れた。次走のフォレ賞は2着ハイエストオナーに1馬身差をつけて勝利し、G1競走3勝目を挙げた。 休養後の1988年4月22日、トラストハウスフォルテマイルも2着シェイディハイツに2馬身1/2差をつけ勝利。なお、このレースからソヴィエトスターには、キャッシュ・アスムッセン騎手が騎乗することとなる。次走、6月14日のクイーンアンステークスは2着に敗れたが、7月7日のジュライカップには勝利し、G1競走4勝目を挙げた。 8月14日のジャック・ル・マロワ賞では、再びミエスクと対戦するも4着。しかし9月4日のムーラン・ド・ロンシャン賞にて、3度目の対決となったミエスクを直線での競り合いの後、アタマ差に押さえて勝利。ついに雪辱を果たした。次走、9月24日のクイーンエリザベス2世ステークスでは、ウォーニングから8馬身差の4着と完敗し、このレースを最後に引退となった。 引退後1989年よりイギリスで種牡馬入り。1995年から日本のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで、2000年からアイルランドで供用されていた。 2014年10月7日、余生を送っていたアイルランドのバリーリンチスタッドで死亡した[1]。享年30歳だった。 代表産駒日本国外調教馬
日本調教馬血統父ヌレイエフは産駒にミエスク、シアトリカル、スピニングワールド、パントルセレブル、ハートレイクがいるなど活躍馬多数。日本の産駒にはブラックホークなどがいる。母の父ヴェンチアは日本にて多くの重賞勝ち馬を輩出する。 またソヴィエトスターの半姉には、米G1のサンタバーバラハンデキャップを勝ち、第1回ジャパンカップで1番人気3着に敗れたザベリワン(父One for All)がいる。 血統表
出典
外部リンク
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