ダニエル・エルズバーグ
ダニエル・エルズバーグ(英語: Daniel Ellsberg、1931年4月7日 - 2023年6月16日)は、アメリカ合衆国の政治活動家、経済学者、核戦略研究者、平和運動家。ランド研究所に在籍していた1971年、ベトナム戦争に関するアメリカ政府の意思決定に関する国防総省の極秘研究「ペンタゴン・ペーパーズ」を「ニューヨークタイムズ」、「ワシントンポスト」などに持ち込んで暴露し、国政論争を引き起こした。 経歴![]() ミシガン州デトロイト出身[1]。1952年、ハーバード大学経済学部卒業[1]。ケンブリッジ大学に留学[1]。1954年、アメリカ海兵隊に志願し入隊[1]。1957年、中尉で退役[1]。のちハーバード大学、ランド研究所、アメリカ合衆国国務省に勤務[1][3]。 1961年の論文で、経済活動の意思決定理論をめぐりエルズバーグの逆説(エルズバーグのパラドックス)とよばれる現象を指摘した。 →「曖昧さ回避 (経済学)」も参照
1964年、アメリカ国防総省に入り国防次官補ジョン・マクノートンの特別補佐官に就任[1][2]。1965年、ゲリラ対策顧問としてベトナム戦争に参加[2]。1967年、ポーター次席大使の下でベトナム戦争の平定計画担当補佐官[2]。こうした中、米国のベトナム政策に批判的となり、タカ派からハト派に転向、1967年7月国防総省からランド研究所に移った[1]。 1971年、自らも執筆に加わったベトナム政策決定過程に関する国防総省秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」などに持ち込んで暴露し、世論に反戦を訴えた[1][3]。合衆国法典793条[注釈 1]e項違反(スパイ防止法に基づく国防機密漏洩罪)に問われ起訴されたが、ロサンゼルス連邦地方裁判所で公訴棄却の判決を受けた[1][3][2]。 →「ペンタゴン・ペーパーズ」も参照 以来、軍縮の研究を続けつつ、平和運動に参加、米国で核廃絶をめざす超党派の運動体「マンハッタン・プロジェクト2」を主宰する[1]。 2023年6月16日、膵臓癌のためカリフォルニア州の自宅で死去した[4]。 日本との関係
著作
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク
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