ダニエル・ロバートソン
ダニエル・ロジャー・ロバートソン(Daniel Roger Robertson, 1985年9月30日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンバーナーディーノ郡フォンタナ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 経歴2008年のMLBドラフト33巡目(全体1005位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入り。この年は傘下のA-級ユージーン・エメラルズでプロデビュー。73試合に出場して打率.377・3本塁打・45打点・20盗塁の成績を残した。 2009年はA-級フォートウェイン・ティンキャップスでプレーし、121試合に出場して打率.296・5本塁打・65打点・20盗塁の成績を残した。 2010年はA+級レイクエルシノア・ストームでプレーし、135試合に出場して打率.300・6本塁打・61打点・30盗塁の成績を残した。 2011年はAA級サンアントニオ・ミッションズでプレーし、124試合に出場し、打率.283・5本塁打・44打点・20盗塁の成績を残した。 2012年はAAA級ツーソン・パドレスでプレーし、129試合に出場して打率.302・2本塁打・38打点・18盗塁の成績を残した。 2013年はAAA級ツーソンでプレーし、136試合に出場して打率.285・2本塁打・53打点・23盗塁の成績を残した。 2014年はAAA級エル・パソ・チワワズ[1]でプレーし、5試合に出場して打率.364・2本塁打・5打点の成績を残した。4月23日に金銭トレードで、テキサス・レンジャーズへ移籍し、メジャー契約を結んだ[2]。4月29日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。7回裏から秋信守の代走として出場し、9回裏のメジャー初打席は三振に終わった[3]。11月20日に金銭もしくは後日発表選手とのトレードで、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍した[4]。 2015年は出場試合数が約半減し、37試合でプレーした。本塁打は2年連続で放てなかったが、打率は前年を少し上回って.280をマークした。外野の守備では左翼手27試合・中堅手7試合・右翼手1試合でそれぞれ守りに就き、無失策・トータルのDRS + 5という安定した内容だった。11月6日にウェイバー公示を経てシアトル・マリナーズへ移籍した[5]。12月23日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級タコマ・レイニアーズへ配属された[6]。 2016年7月5日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。8月12日にDFAとなり、15日に40人枠を外れる形でAAA級タコマへ配属された。この年メジャーでは9試合に出場して打率.263・1打点の成績を残した。10月3日にFAとなった[7]。11月23日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結び、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[7][8]。 2017年は開幕から傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズでプレーし、5月14日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[9]。8月9日にジェイ・ブルースの加入に伴ってDFAとなり、翌10日に自由契約となったが、15日にマイナー契約を結んでAAA級コロンバスへ配属された[7]。 2018年2月14日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結ぶ。8月3日に自由契約となり、14日に独立リーグ・アトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズと契約。 2019年2月15日にアメリカン・アソシエーションのカンザスシティ・ティーボーンズと契約したが、6月1日に自由契約となった[10]。6月17日に同リーグのクリーバーン・レイルローダーズと契約した。この年限りで現役を引退。 2021年より、母校のオレゴン州立大学のアシスタントコーチに就任した[11]。 2022年より、クリーブランド・ガーディアンズ傘下A-級リンチバーグ・ヒルキャッツのベンチコーチに就任した[12]。2023年は傘下AA級アクロン・ラバーダックスのベンチコーチを務める[13]。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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