ダーモット・チチェスター (第7代ドニゴール侯爵)第7代ドニゴール侯爵ダーモット・リチャード・クロード・チチェスター(英語: Dermot Richard Claud Chichester, 7th Marquess of Donegall,LVO、1916年4月18日 - 2007年4月19日)は、イギリス及びアイルランドの貴族、政治家、陸軍軍人。 経歴1916年4月18日、第4代テンプルモア男爵アーサー・チチェスターとその妻クレア(第7代ポーズコート子爵マーヴィン・ウィンフィールドの娘)の間の長男として生まれる[1]。テンプルモア男爵家は初代ドニゴール侯爵アーサー・チチェスターの三男スペンサー・チチェスター卿の子孫にあたる。 1936年に国王所有第7軽騎兵連隊に入隊し、第二次世界大戦に従軍。中東やアフリカで戦ったが、捕虜になった[1]。 1953年10月2日に父の死により第5代テンプルモア男爵位を継承し[1]、貴族院議員に列し、1999年11月11日の貴族院改革まで議席を維持した[2]。 1975年5月24日には本家筋の第6代ドニゴール侯爵エドワードー・チチェスターが子供なく死去したため、もっとも血縁が近い分家である彼が第7代ドニゴール侯爵位を継承した[1]。 2007年4月19日にアイルランド・ウェックスフォード県で死去した[1]。 フリーメイソンでの活動1953年にフリーメイソンのプリオリー・ロッジに加入した。1961年に同ロッジのマスターに就任。その後、メリディアン・ロッジNo12やロイヤル・シャムロック・ロッジNo32に参加した。1965年には南東県のグランドマスター代理となった。1981年12月からアイルランド・グランドロッジ・グランドマスターに就任し、以降11年にわたって在職した[3]。 栄典爵位
勲章
家族1946年に第7代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグの娘ジョセリンと結婚し、彼女との間に以下の3子を儲ける[1]。
脚注出典
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia