ツァイス・イコン![]() ツァイス・イコン(独: Zeiss Ikon )は である。 歴史
製品一覧写真乾板使用カメラアンゴー元々ゲルツで製造されていたクラップカメラで、日本においては報道用カメラの元祖として知られる。ツァイス・イコンになっても引き続いて製造された。 →詳細は「アンゴー」を参照
アトム元々ヒュッティヒで製造されていたスプリングカメラで、イカを経てツァイス・イコンになっても引き続いて製造された。6×4.5cm(アトム)判の写真乾板。 →詳細は「アトム (カメラ)」を参照
ベベ元々イカで製造されていたカメラで、ツァイス・イコンになっても引き続いて製造された。 →詳細は「ベベ (カメラ)」を参照
イデアル元々ヒュッティヒで製造されていた蛇腹カメラで、イカを経てツァイス・イコンになっても引き続いて製造された。高級機。 →詳細は「イデアル (カメラ)」を参照
ジュウェル
マキシマー
ミニマム・パルモス
ミロフレックス
116フィルム使用カメラコカレッテ
120フィルム使用カメラ![]() ボブ元はエルネマンが使用していたブランド。 ツアイスイコン成立後も運用され、イコンタブランド成立後はイコンタ510,イコンタ510/2へと改称している。 ネッターレンズはエルネマン社が開発したものでありレンズとしてのネッターの普及型とするのは誤りである。 ボックステンゴール元々はゲルツの廉価なボックスカメラ。統合前から引き続いて販売され、レンズは戦後までゲルツ銘のままであった。当初は6×9cm判のみだったが後に6×4.5cm判が追加された。 →詳細は「ボックステンゴール」を参照
コカレッテ
イコフレックス6×6cm判の二眼レフカメラ。 →詳細は「イコフレックス」を参照
イコンタいわゆるスプリングカメラ。距離計連動の製品はスーパーイコンタと称される。イコンタ、スーパーイコンタともに6×4.5cm判、6×6cm判、6×9cm判がある。 →詳細は「イコンタ」を参照
ネッターイコンタの普及版。 →詳細は「ネッター」を参照
シンプレックスイコンタの普及版。 →詳細は「シンプレックス (カメラ)」を参照
126フィルム使用カメラコンタフレックス126→詳細は「コンタフレックス」を参照
戦後の普及版レンズシャッター24×36mm(ライカ)判の一眼レフカメラに似た外観だが、実際にはシャッターはフォーカルプレーン式であり一通りの交換レンズシステムを持っている一眼レフカメラ。 127フィルム使用カメラベビーボックス廉価なボックスカメラ。ボックステンゴールの小型版。 →詳細は「ボックステンゴール」を参照
ベビーイコンタ4×3cm(ヴェスト半裁)判のいわゆるスプリングカメラ。 →詳細は「イコンタ」を参照
コリブリ4×3cm(ヴェスト半裁)判の小型カメラ。 →詳細は「コリブリ」を参照
135フィルム使用カメラコンタフレックス戦前の高級24×36mm(ライカ)判二眼レフカメラ、戦後の普及版レンズシャッター24×36mm(ライカ)判一眼レフカメラがある。 →詳細は「コンタフレックス」を参照
コンタレックス出遅れた一眼レフカメラの分野でツァイス・イコンが総力を結集した高級24×36mm(ライカ)判一眼レフカメラ。 →詳細は「コンタレックス」を参照
コンタックス戦前、および戦後西ドイツのツァイス・イコンから発売された24×36mm(ライカ)判レンジファインダーカメラ、東ドイツのツァイス・イコンから発売された24×36mm(ライカ)判一眼レフカメラ。 →詳細は「コンタックス」を参照
![]() コンテッサ
コンティナフーベルト・ネルヴィン設計のスプリングカメラ。24×36mm(ライカ)判。
イカレックスフォクトレンダーとの合併後発売された24×36mm(ライカ)判一眼レフカメラ。 →詳細は「イカレックス」を参照
イコネッテ351958年発売の入門機。巻き上げはレンズの横のレバーで行うテナックス式。レンズはノバー45mm3.5、シャッターはプロント。外装はプラスチックボディー、ビニール張り。光漏れが多発して回収された。 イコンタ35コンパクトな24×36mm(ライカ)判スプリングカメラ。後にコンティナIと改名された。 →詳細は「イコンタ」を参照
ネタックス
スーパーネッテルコンタックスIの廉価版という位置づけのカメラ。後継はネタックス。
テナックス/タクソナテナックスは元々ゲルツの商標だが、その時代に発売された製品と機構上の共通点はない。24×24mm判コンパクトカメラ。フィルム巻き上げが「招き猫」と俗称される特徴的なレバー式で、いわゆるレチナ式のレバー巻き上げが一般的になる前に試行錯誤された迅速巻き上げ方式の一つ。フーベルト・ネルヴィン設計。東ドイツのツァイスが西側で旧ツァイスの商標を使えなくなったためタクソナと改名された。 →詳細は「テナックス」を参照
写真フィルムテナックスブランドでロールフィルムやパックフィルムを製造していたゲルツの子会社ゲルツ・フォトヘミシェ・ヴェルケ(Goerz Photochemische Werke Gmbh )を1928年2月に合併し、写真フィルムを製造販売していた[3]。 保安設備ゲルツの関連会社ハーン(AG Hahn für Mechanik & Optik )を合併したため錠前なども製造しており[2]、2011年現在、アッサ・アブロイ傘下でツァイス・イコンブランドでの保安設備の製造が続けられている。 新生ツァイスイコンカール・ツァイスはアーノルド&リヒター製のアリフレックスに装着する映画用のウルトラプライムなど超高性能レンズを製造しており、その技術を一般スチルカメラ用に転用しようとした。一眼レフカメラではレンズ設計に制約が出るためレンジファインダーカメラを想定したが、市場にはそこまでの高精度なカメラは存在しなかった。カール・ツァイスには1902年から1909年までのパルモス、第二次世界大戦後すぐのイエナコンタックスやヴェラしか製造経験がなく、コシナに製造を委託した。ボディデザインはポルシェデザインとも相談したが結局ヘンスラー・シュルトハイス(Hennsler Schultheiss )に依頼した[9]。ボディはコシナ、レンズは15mmと85mm以外はコシナ、15mmと85mmはツァイスが担当した。 ツァイスイコンボディー
ツァイスイコン用レンズレンズマウントはライカMマウントと互換性があるZMマウント。 →詳細は「ライカマウントレンズの一覧 § カール・ツァイス」を参照
関連項目製品関わった設計者その他
出典参考文献
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