ティム・レディング
ティモシー・ジェームズ・レディング(Timothy James Redding, 1978年2月12日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスター出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、ワシントン・ナショナルズの傘下のA-級オーバーン・ダブルデイズで投手コーチを務めている。 経歴プロ入りとアストロズ時代1997年のMLBドラフトでヒューストン・アストロズからドラフト20巡目(全体610位)で指名され入団。 1998年は傘下のA-級のオーバーン・ダブルデイズで16試合に登板した。 1999年はA級ミシガン・バトル・キャッツで43試合に登板した。 2000年はA+級キシミー・コブラズとAA級ラウンドロック・エクスプレスで計29試合に登板した。 2001年はAA級ラウンドロックとAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズで計20試合に登板した。6月24日のシンシナティ・レッズ戦で、メジャーデビューを果たす。7月2日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で、メジャー初勝利を記録した。 2002年はAAA級ニューオーリンズで11試合で登板した後、メジャーに昇格した。 2003年は1年を通してメジャーで投げ続けた。 2004年はメジャーで27試合に登板した。 パドレス時代2005年3月28日にハンベルト・キンテーロとのトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍した。この年は、パドレスでは6試合に先発登板したが1勝も出来なかった。 ヤンキース時代2005年7月2日にポール・クアントリルとのトレードでダレル・メイと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。怪我人続出のチーム事情で急遽加入するも、期待された結果は残せず、1試合に先発しただけで傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズへ降格した。 ホワイトソックス傘下時代2006年はシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級シャーロット・ナイツで29試合に登板した。この年は、マイナーでは好投するもメジャーで登板する事は無かった。オフに、FAとなった。 ナショナルズ時代2006年11月にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。 ![]() 2007年は開幕を傘下のAAA級コロンバスで迎えた。先発ローテーションに怪我人が続出してチーム事情から7月にメジャーに昇格し、2年振りにメジャーで登板した。 メッツ時代2009年1月にニューヨーク・メッツと1年契約を結んだ[2]。開幕前に先発5番手として期待されるも、スプリングトレーニング中に自身のエラーで右肩を負傷する。5月18日のロサンゼルス・ドジャース戦で、この年初めて登板した。オフにノンテンダーFAとなった。 ロッキーズ傘下時代2010年1月26日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスでプレーしていたが、不振で5月22日に解雇された。 ヤンキース復帰2010年5月22日、ロッキーズから解雇された数時間後に古巣のヤンキースとマイナー契約を結んだ[3]。 サムスン・ライオンズ時代2010年8月5日に、故障により退団した元日本ハムのブランドン・ナイトの代役としてKBOのサムスン・ライオンズと契約を結んだ[4]。9試合に登板するも、成績不振でオフに退団する。 ドジャース傘下時代2011年1月3日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。傘下のAAA級アルバカーキ・アイソトープスで13試合に登板するも、成績不振で6月に契約を解除される。 フィリーズ傘下時代その後、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び[5]、傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで5試合に登板するも、成績不振で解雇される。 ブルージェイズ傘下時代2012年1月27日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結ぶ。傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズで23試合に登板するも1勝も挙げられず、8月10日に解雇される。 独立リーグ時代2012年8月17日にアトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズと契約を結んだ。 2013年は、開幕をメキシカンリーグのアグアスカリエンテス・レイルロードメンで迎えた。シーズン途中にモンテレイ・サルタンズへ移籍した。その後、アトランティックリーグのサザンメリーランド・ブルークラブスでプレーし、1年を終えた。 指導者として2014年からは、古巣のナショナルズ傘下となったA-級オーバーンで投手コーチを務めている。 詳細情報年度別投手成績
背番号
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