テイラー・ハーン
テイラー・リン・ハーン(Taylor Lynn Hearn, 1994年8月30日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ロックウォール郡ロイズシティ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 経歴プロ入り前2012年のMLBドラフト22巡目(全体676位)でピッツバーグ・パイレーツから指名されたが、この時は契約せずにサンジャッキント大学へ進学した。 2013年はMLBドラフト36巡目(全体1095位)でシンシナティ・レッズから指名されたが、この時も契約せず。 2014年はMLBドラフト25巡目(全体740位)ではミネソタ・ツインズから指名されたが、この時も契約せず。 プロ入りとナショナルズ傘下時代2015年のMLBドラフト5巡目(全体164位)でワシントン・ナショナルズから指名され、プロ入り。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズでプロデビュー。A-級オーバーン・ダブルデイズでもプレーし、2球団合計で12試合(先発11試合)に登板して1勝5敗、防御率3.56、45奪三振を記録した。 2016年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズとA級ヘイガーズタウン・サンズでプレーした。 パイレーツ傘下時代2016年7月30日にマーク・マランソンとのトレードで、フェリペ・リベロと共にパイレーツへ移籍した[2]。移籍後は傘下のA級ウェストバージニア・パワーへ配属され、移籍前を含めた3球団合計で18試合(先発7試合)に登板して2勝1敗、防御率2.44、75奪三振を記録した。 2017年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ パイレーツとA+級ブレイデントン・マローダーズでプレーし、19試合(先発18試合)に登板して4勝6敗、防御率4.03、109奪三振を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、グレンデール・デザートドッグスに所属した。 ![]() (2018年5月5日) 2018年はAA級アルトゥーナ・カーブでプレーした。 レンジャーズ時代![]() (2019年1月28日) 2018年7月31日にキーオン・ケラとのトレードで、後日発表選手[注 1]と共にテキサス・レンジャーズへ移籍した[4]。移籍後は傘下のAA級フリスコ・ラフライダーズへ配属され、移籍前を含めた2球団合計で24試合に先発登板して4勝8敗、防御率3.49、140奪三振を記録した。オフの11月20日にメジャー契約を結んで40人枠入りした[5]。 2019年は開幕をAAA級ナッシュビル・サウンズで迎え、4月25日にメジャー初昇格を果たした。同日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビューも、1回持たず5失点で降板して敗戦投手となった[6]。直後に左肘を痛めて故障者リスト入り(その後、骨折と診断される)した以降はシーズンを棒に振り、この年メジャーでは上記の1試合のみの登板だった。 ブレーブス時代2023年7月24日に金銭とのトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した[7]。 ロイヤルズ時代2023年7月30日にニッキー・ロペスとのトレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[8]。 広島時代2023年12月4日、広島東洋カープと契約したことが発表された[9]。契約金30万ドル(約4400万円)、年俸60万ドル(約8800万円)+出来高払いで、背番号は68[1]。 2024年は調整が遅れていたが、二軍で10試合連続無失点で防御率0.00という成績を残し、5月26日に出場選手登録[10]。5月29日のセ・パ交流戦対オリックス戦(マツダスタジアム)に来日初登板し、三者凡退(2奪三振)に抑えた[11]。6月14日の対楽天戦(宮城)にて来日初セーブ[12]。6月22日にNPB感染症特例により登録抹消されるも[13]7月に復帰、その後初登板から16試合連続無失点を記録したが、8月4日の対中日戦(マツダ)8回二死三塁の場面で適時打を喫し、来日初失点[14]。9月13日に妻の出産に立ち会うため一時帰国し、出場選手登録を抹消された[15]。19日にチームに戻り、翌日には練習を再開した[16]。同年は35試合に登板し、0勝1敗17ホールド2セーブ、防御率1.29を記録[17]。11月8日、契約を更新することが発表された[17]。 投球スタイル身長198cmの長身からNPBでの最速158km/hの速球にツーシームやスライダー、スプリットを投げる。 MLB時代は大谷翔平と相性が良く、2年間の対戦成績で計12打数2安打1打点5奪三振、1四球、被打率.167に抑えていた[18]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB
背番号
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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