ディエズ・イラエ
ディエズ・イラエ (Dies Irae)は、ポーランド出身のデスメタル・バンド。 一度解散していたが、同国を代表するメタルバンド「ヴェイダー」に所属するメンバーのプロジェクトとして再興。2005年に再度活動を停止した。 略歴黎明期 (1992年 - 1997年)1992年にマウザー (G、Vo)、チャイナ (G)、チャルヌィ (B)、ギラン (Ds)の4名で結成[1]。 1994年に1stデモ『Fear of God』をリリース。同デモは2年後の1996年に「Serenades Records」からMCDとして再リリースされた。当時の音は、「ヴェイダー」や「モービッド・エンジェル」からの影響の強い典型的なデスメタル・サウンドだった[1]。 1997年に2ndデモ『Promo '97』をリリース。しかし、同年にチャイナと入れ替わりでマウザーが「ヴェイダー」に加入し、5年余りでバンドは解散した。 復活再デビュー〜活動停止 (2000年 - 2005年)2000年に、マウザーが「Massive Management」とソロ契約したことを機に「ディエズ・イラエ」の再結成が模索される[1]。しかし、マウザーを除く解散前のメンバーが既に音楽活動を辞めていたり、ポーランド在住ではなくなっていたりしたため、結局マウザーと「ヴェイダー」のドラマー、ドック (Ds)の2名で再結成された[1]。 再結成から2カ月ほどでマウザーとドックで作曲を行った。また、「セプティック」のギタリスト、ヤツェク・ヒロ (G)と「デヴィリン」のノヴィ (B/Vo)が加入する。その後すぐにレコーディングが行われ、同年中に1stアルバム『Immolated』を「メタル・ブレイド・レコーズ」からリリースしデビューする[1]。同アルバムは「アヴァロン・レーベル」から日本盤もリリースされた。 元々は、スタジオ・バンドの予定だったが、1stアルバムの評判やメンバーの相性の良さなどからライヴも計画されるようになった[1]。実現には至らなかったが「ナイル」とのツアーも予定されていた[1]。 2002年に、2ndアルバム『The Sin War』をリリース[2]。同アルバムは、マウザーとドックが「ヴェイダー」の活動で多忙なため、同年5月に集中録音された[1]。 2003年には計画されていたライヴも敢行し、ステージに立った。また同年にはノヴィも「ヴェイダー」に加入する。この加入でヤツェク・ヒロ以外のメンバーがヴェイダーと兼任という形になった。 2004年に3rdアルバム『Sculpture of Stone』をリリース[3]。しかし、怪我を理由にドックが脱退し、「ディキャピテイテッド」のドラマー、ヴィテックが加入した。 2005年8月、ドックが死去。以降2006年頃を境に目立った活動が無く、事実上解散した。
2007年11月にはヴィテックの訃報も伝えられた。2008年に、2004年と2005年のライヴDVDと3rdアルバム『Sculpture of Stone』をカップリングした『The Art of an Endless Creation』をリリース。 メンバー最終ラインナップ
旧メンバー
ディスコグラフィ
脚注外部リンク |
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