国王マヌエル1世の命令で、マダガスカル(当時は葡: Ilha de São Lourenço聖ロレンソの島、と呼ばれていた)の偵察と貿易の可能性を探るために派遣され、後にはインドに至った。この旅の途上で彼はパサイやスマトラ島に到達し、各所にポルトガルの国章のついた標識パドレイオ(英語版)を立てた。また別の旅ではセウタ、アシラー、クサル・スギール、ディーウ、ゴアなども通った。
1509年9月11日に船団を率いてマラッカ王国に到着した[1]。マラッカにポルトガルの船団が来たのはこれが初めてだった。地元のスルタンの許可を得て5隻の船を接岸させ、信任状と贈り物を届けて交易を始めようとした。最初はそれは受理され、貨物と人員が陸揚げされたが、しかし交易の開始は認められなかった。グジャラート人のイスラム系商人が政府高官(en:Bendahara)の支持を得て反対していた。
最終的に攻撃を受けたディオゴ・ロペス・デ・セケイラは3隻だけの船を率いてインドに脱出し、後には2隻の炎上する船といくらかの負傷者、そして19人の捕虜が残された[2]。
その後セケイラはポルトガル領インドの総督(在1518年–1522年)になり、いくつかの戦いを指揮した。
また、1520年には紅海への航海を指揮し、初代ポルトガル駐箚エチオピア大使のロドリゴ・デ・リマ(葡: Rodrigo de Lima)や、エチオピアがヨーロッパに派遣した大使アルメニアのマテウス(英語版)たちからなる外交官の一行をマッサワまで送り届けた[3]。
^Sanjay Subrahmanyam, The Career and Legend of Vasco Da Gama, p.300, Cambridge University Press, 1997
関連書籍
Ronald Bishop Smith, Diogo Lopes de Sequeira, "Diogo Lopes de Sequeira: Elements on His Office of Almotacé Mor", Silvas, 1975 (Inclui o texto de cinco cartas (Fev.1524-Dez.1524) trocadas entre o rei, D.João III e Diogo Lopes de Sequeira, regulador real de pesos, medidas e preços).
David B. Quinn, Cecil H. Clough, Paul Edward Hedley Hair, "The European outthrust and encounter",p. 97, Liverpool University Press, 1994, ISBN978-0-85323-229-2
Henry Morse Stephens, "Albuquerque", p. 97 - the conquest of Malacca
James Maxwell Anderson, "The history of Portugal", p. 72, conquest of the city of Malacca, Greenwood Publishing Group, 2000, ISBN978-0-313-31106-2
Sanjay Subrahmanyam, "The Career and Legend of Vasco Da Gama", p. 300, Cambridge University Press, 1997