デルフォニックス
デルフォニックス(The Delfonics)は、フィラデルフィア・ソウルのボーカル・グループ。1960年代後半から1970年代前半に活躍した。 代表曲には「ララは愛の言葉」「Didn't I (Blow Your Mind This Time)」「Break Your Promise」「Tell me This is a Dream」などがある。トム・ベルと、グループのリーダーを務めるウィリアム・ハートがこれらのの楽曲を作曲した。 来歴1960年代にフィラデルフィアの高校で出会った、ウィリアムとウィルバートのハート兄弟、ランディ・ケインで結成。さらにリッチー・ダニエルズが加入した。最初の録音はムーン・ショットという弱小レーベルからのシングル「He Don't Really Love You」で、1966年のことだった。ダニエルズは引き抜きにより脱退(1968年)。 メンバーはカメオ・レーベルで、音楽プロデューサーのスタン・ワトソンから若き日のトム・ベルを紹介された。ベルはその頃、チャビー・チェッカーと共に仕事していた。カメオからシングル「You've Been Untrue」を発表し、小ヒットを記録した。 デビュー・アルバム『ララは愛の言葉』は、ワトソンのレーベル「Philly Groove」レコードから発売され、ここからのシングル「ララは愛の言葉」が1968年にポップ、R&B両チャートでヒットした[1]。100万枚以上売れ、ゴールドディスクとなる[2]。以降、数年間でさらに4枚、ベルのプロデュースによるアルバム『サウンド・オブ・セクシー・ソウル』『The Delfonics Super Hits』『デルフォニックス』『テル・ミー・ディス・イズ・ア・ドリーム』を発表した。「Didn't I (Blow Your Mind This Time)」はグラミー賞を受賞。「(For The Love) I Gave To You」や、後にジャクソン5やフージーズがカバーした「Ready or Not Here I Come (Can't Hide from Love)」、「Hey Love」などもヒットした。 トム・ベルは「最初に彼らと仕事していたときはストリングスとかオーケストラを入れる金なんて全然なくてさ、ほとんどの楽器を僕自身が演奏してたよ」と振り返っている。1968年以降の、フル・オーケストラを使った時代とは大変な違いである。[3] 「Didn't I (Blow Your Mind This Time)」はミリオン・セラーとなり、1970年にアメリカレコード協会が「ゴールドディスク」に認定した。[2] ランディ・ケインが1971年に脱退。彼は1973年にブルー・マジックへと籍を移し、そこでは「Sideshow」がヒットした。グループには、替わりにメイジャー・ハリスが加入した。トム・ベルはスタイリスティックスやスピナーズのプロデュースに移っていった。デルフォニックスはアルバム『アライヴ&キッキング』をスタン・ワトソンのプロデュースで発表したがヒットせず、「Hey Love」「When You Get Right Down to It」などがわずかにヒットしたものの、1975年以降は下降線をたどっていった。トム・ベルが離れて以降、曲を書いていたのはウィリアム・ハートだった。 分裂1975年前後にふたつのグループへと分裂。片方は、メイジャー・ハリスとウィルバート・ハート、元フューチャーズのフランク・ワシントンによるグループであった(メイジャー・ハリスはソロで「Love Won't Let Me Wait」がヒット)。 もう一方は、ウィリアム・ハートと新メンバーたちによるものだった。一時期、ふたつの「デルフォニックス」がツアーをしている状態だった。 1980年にメイジャー・ハリスが、ウィリアム・ハートの「デルフォニックス」に移り、ランディ・ケインもが戻ってきた[4]。 1980年代以降1980年代、1990年代もグループは音楽活動を続けた。ウータン・クラン一派のラッパーゴーストフェイス・キラーの1996年のアルバム『ムキムキマン (Ironman)』収録の「After the Smoke has Cleared」という曲に参加した。ノトーリアスBIGは「Hey Love」を「Playa Hata」でサンプリングしている(1997年)。1996年、ナズは「Walk Right Up To the Sun」のサビのメロディを「If I Ruled the World」で使い、当時人気絶頂だったフージーズのローリン・ヒルが歌った。 ミッシー・エリオットとティンバランドは「Ready Or Not Here I Come」をヒット曲「Sock it 2 Me」でサンプリング。ゴーストフェイス・キラーは「ララは愛の言葉」を「Holla」で使用。イージー・イー、ギャング・スター、Ed O.Gが「Trying To Make a Fool of Me」を使用。 2001年の映画『天使のくれた時間』の誕生日パーティのシーンでは、ニコラス・ケイジ扮する主人公が「ララは愛の言葉」を歌った。 影響彼らの楽曲の使用例としては、クエンティン・タランティーノの1997年映画『ジャッキー・ブラウン』での「ララは愛の言葉」と「Didn't I Blow Your Mind」があげられる(主演はパム・グリア)。 彼らの楽曲は、ジャクソン5、ローラ・ニーロ、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、ザ・ジェッツ、トッド・ラングレン、プリンス、スウィング・アウト・シスター、フィル・ペリー、ウィル・ダウニング、マーヴィン・ブラウンといったミュージシャンにカバーされた。 オリジナル・メンバー1965年結成。当初は「The Four Gents」という名前だった。
ディスコグラフィスタジオ・アルバム
コンピレーション・アルバム
シングル
脚注/参照
外部リンク
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