デーン・デラロサ
デーン・デラロサ(Dane David De La Rosa, 1983年2月1日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州トーランス出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入りとヤンキース傘下時代2001年のドラフト34巡目(全体1011位)でテキサス・レンジャーズから指名されるも、契約せずにリバーサイド・シティ・カレッジへ進学。 2002年のドラフト24巡目(全体726位)でニューヨーク・ヤンキースに入団。 2004年12月18日にヤンキースを解雇された。 独立リーグ時代2005年は独立リーグ・ゴールデンベースボールリーグのユマ・スコーピオンズでプレー。23試合に登板し、1勝6敗、防御率6.45だった。 2006年は球団に所属しなかった。 2007年はゴールデンベースボールリーグのロングビーチ・アーマダでプレー。39試合に登板し、2勝4敗、防御率3.69だった。 ブルワーズ傘下時代2007年9月4日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。ルーキー級ヘレナ・ブルワーズで1試合に登板した。 独立リーグ時代2008年はゴールデンベースボールリーグのオレンジカウンティ・フライヤーズでプレー。32試合に登板し、2勝2敗14セーブ、防御率4.41だった。 2009年はアトランティックリーグのサザンメリーランド・ブルークラブス、アメリカン・アソシエーションのエルパソ・ディアブロスでプレー。7月からはゴールデンベースボールリーグのビクトリア・シールズでプレーした。 レイズ時代2009年11月11日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ。 2010年はA+級とAA級で49試合に救援登板して防御率2.06という成績を残し、オフの11月19日に40人ロースターに入った[1]。 ![]() 2011年は主にAAA級ダーラム・ブルズでプレー。7月19日にメジャーへ昇格し、7月20日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビューを果たしたが、7試合で防御率9.82と結果を残せなかった。 2012年は主にAAA級ダーラムでプレーし54試合に登板。一方メジャーでは防御率12.60と結果を残せず、5試合の登板にとどまった。 エンゼルス時代2013年3月27日、スティーブ・ゲルツとのトレードでロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムに移籍[2]。4月9日にメジャーへ昇格。6月に10日間降格したのを除けばほぼフルシーズンメジャーで過ごし、最終的にア・リーグ5位となる75試合に登板、6勝1敗2セーブ20ホールド、防御率2.86という成績を残し、飛躍的なシーズンとなった[2]。 2014年3月29日に右前腕の故障のため15日間の故障者リスト入りし[2]、4月5日にリハビリのためAA級アーカンソー・トラベラーズへ異動した。その後メジャーでは4月に1試合、6月に2試合の計3試合に登板したが、前年の力はなく、9月29日にFAとなった[2][3]。 オリオールズ傘下時代2015年1月26日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。この年はAAA級ノーフォーク・タイズで開幕を迎え、8試合に登板して防御率4.35を記録していたが、シーズン中の6月29日に現役引退が発表された[2]。 現役復帰2017年6月13日にアトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズと契約した。4試合に登板して0勝2敗、防御率7.71に終わり、7月8日に自由契約となった[4]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
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