トマス・サウスウェル (初代サウスウェル男爵)![]() 初代サウスウェル男爵トマス・サウスウェル(英語: Thomas Southwell, 1st Baron Southwell PC (Ire)、1665年頃 – 1720年8月4日)は、アイルランド王国の政治家、貴族。弟にウィリアム・サウスウェルとリチャード・サウスウェルがいる。 生涯リチャード・サウスウェル(1680年2月以前没[1]、初代準男爵サー・トマス・サウスウェルの息子)とエリザベス・オブライエン(Elizabeth O'Brien、初代インチクィン伯爵マーロウ・オブライエンの娘)の息子として生まれた[2]。1681年に父方の祖父が死去すると、準男爵位を継承した[3]。 アイルランド総督初代ティアコネル伯爵リチャード・タルボットによる統治を嫌い、ウィリアマイト戦争初期の1689年2月に弟ウィリアムとともに100人を率いてジェームズ2世に対抗しようとしたが、隘路で包囲され降伏を余儀なくされた[3]。3月17日には大逆罪として絞首刑を宣告されたが、第4代シーフォース伯爵ケネス・マッケンジーによる調停もあり、処刑が数度延期された末、サウスウェルは1690年1月2日に釈放され、イングランドに渡った[3]。4月1日には正式な恩赦を受けた[2]。その後は戦友だったほかの捕虜の救出に奔走したが、それが成功するのはウィリアム3世がボイン川の戦いで勝利した後のことだった[3]。 1697年6月16日に歳入委員の1人に任命され、1702年に再任命された後1712年まで務めた[3]。アイルランド庶民院では1695年から1713年までと1715年から1717年までリムリック・カウンティ選挙区の代表として議員を務めた。また、1710年にアン女王よりアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命され、1714年にはジョージ1世によって同様の任命がなされた[2]。 1717年9月4日、アイルランド貴族であるリムリック県におけるキャッスル・マットレスのサウスウェル男爵に叙された[2]。 1720年8月4日にダブリンで急死、ラスキールで埋葬された[3]。息子トマスが爵位を継承した[2][3]。 家族1696年4月、メリオーラ・コニングスビー(Meliora Coningsby、1736年2月没、初代コニングスビー伯爵トマス・コニングスビーの娘)と結婚した[3]。
出典
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