トマス・ニュージェント (第6代ウェストミーズ伯爵)第6代ウェストミーズ伯爵トマス・ニュージェント(英語: Thomas Nugent, 6th Earl of Westmeath KP PC (Ire)、1714年4月18日洗礼[1] – 1792年9月7日)は、アイルランド王国の貴族、政治家。1752年から1754年までデルヴィン卿の儀礼称号を使用した[2]。フリーメイソンの一員としてアイルランド・グランドロッジのグランドマスターを務めた。 生涯第5代ウェストミーズ伯爵ジョン・ニュージェントとマルゲリーテ・モルツァ(Marguerite Molza、1776年1月18日没、カルロ・モルツァ伯爵の娘)の息子として生まれ、1714年4月18日に洗礼を受けた[1]。 1754年7月3日に父が死去すると、ウェストミーズ伯爵位を継承、さらにアイルランド国教会を遵奉して、1755年10月7日にアイルランド貴族院議員に就任した[2]。1765年から1788年までウェストミーズ首席治安判事を務めた[1]。 1763年から1767年までフリーメイソンの一員としてアイルランド・グランドロッジのグランドマスターを務めた[1]。 1774年11月22日、アイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[3]。 1783年2月までウェストミーズ県総督を務めた[4]。 1783年2月5日に聖パトリック騎士団が創設されると[2]、同年3月11日に定員15名のうちの1人に選出された[5]。1787年、800ポンドの年金を与えられた[2]。 1792年9月7日にダブリンで死去、息子ジョージ・フレデリックが爵位を継承した[2]。 家族1741年頃、メアリー・ステイプルトン(Mary Stapleton、1750年没、ウォルター・デュランド・ステイプルトンの娘)と結婚、1男をもうけた[1]。
1756年8月7日、キャサリン・ホワイト(Catherine White、1772年8月7日没、ヘンリー・ホワイトの娘)と再婚、2男1女をもうけた[1]。
出典
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