トレド教会会議トレド教会会議 (Concilia toletana)は、5世紀から7世紀にかけてトレドで開催された教会会議。トレド会議[1]、トレド公会議とも表記される[2]。702年までに18回開かれた[1]。 西ゴート王国第1回教会会議(400年)400年に開催された第1回教会会議は、イベリア半島で広まっていたプリスキリアニスムス派(en、グノーシス主義やマニ教の影響を受けていた)に対抗するため開催された。 第3回教会会議(589年)589年に開催された第3回教会会議では、西ゴート王国の王レカレド1世がアリウス派からカトリックへ改宗した[1]。このことで、ヒスパニアの政治的統合が進められた。第3回トレド公会議でユダヤ人がキリスト教徒の奴隷や妻を持つことが禁止された[2]。 612年、シセブート王がユダヤ人にキリスト教の洗礼を強制した[2]。 第4回教会会議(633年)633年に開催された第4回教会会議はセビリアのイシドールス主導の下で行われ[1]、王国全体で典礼の均一化が命じられた。ガリシアに暮らすケルト人たちはラテン語での典礼を受け入れた。第4回トレド公会議では改宗したユダヤ人に訴訟を禁止した[2]。 第6回教会会議(639年)639年の第6回トレド公会議でユダヤ教儀礼を禁止する誓約書を提出されるキンティラ王の政策を追認した[2]。 第8回教会会議(653年)653年の第8回トレド公会議で西ゴート法典でユダヤ教の宗教儀礼を禁止した[2]。 第12回教会会議(680年)680年[2](または681年[1])に開かれた第12回教会会議では、トレド大司教がヒスパニアの首位大司教であるとみなされた。第12回トレド公会議でエルウィック王の反ユダヤ法が承認され、ユダヤ人の強制改宗が法的に定められ、違反者は追放、奴隷や財産の没収が課せられた[2]。 第16回教会会議(693年)693年、エギカ王が前王の勢力の陰謀に対して、第16回トレド公会議で陰謀に加担した大司教や貴族の財産没収を命じるとともに、キリスト教に改宗しないユダヤ人の財産没収を命じ、西ゴート法典に同文が追加された[2]。 第17回教会会議(694年)694年、第17回トレド公会議で、エギカ王はユダヤ人による王国転覆計画が発覚したと告発し、司教たちは「ヒスパニアのユダヤ人を全員奴隷とする」と議決した[2]。 スペイン王国1565年と1566年にスペイン王国で開催された同名の教会会議は、トレント公会議の決定によるものと考えられている。そして1582年と1583年の教会会議は、『王家の責任者』の名の下でローマ教皇が命じ、フェリペ2世が詳細に指揮した。 脚注参照
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia