トレ・チーメ・ディ・ラヴァレード
トレ・チーメ・ディ・ラヴァレード(Tre Cime di Lavaredo)は、イタリアのドロミーティにある標高2999 mの岩山群である。短縮してトレ・チーメ(「三つの峰」の意)とも呼ばれ、3 Cimeとも表記される。ドイツ語ではドライ・チンネン(Drei Zinnen)と呼ばれる。イタリア共和国のヴェネト州とトレンティーノ=アルト・アディジェ州の境に位置する。トレ・チーメ自然公園(Parco naturale Tre Cime)[1][2]の中核を成す。 地理3つのピークは東から、
と呼ばれる。ドイツ語では、それぞれ、クライネ・チンネ(Kleine Zinne)、グローセ・チンネ(Große Zinne)、ヴェストリッヒェ・チンネ(Westliche Zinne)である。 トレ・チーメは、コルティーナ・ダンペッツォ(Cortina d'Ampezzo)の約15km北東、西に向かって流れるリエンツァ川(Rienza)水源の南にある。リエンツァの谷は南北約2km幅、谷の北にはサッソ・ディ・セスト(Sasso di Sesto)、東にモンテ・パテルノ(Monte Paterno, 2744 m)がある。 歴史1869年にPaul Grohmann、Franz Innerkofler、Peter Salcherがチーマ・グランデ、1879年にMichael InnerkoflerとG. Plonerがチーマ・オーヴェストに初登頂した。チーマ・ピッコラを登るのは難しく、1879年に隣接するチーマ・グランデ登攀中にMichael InnerkoflerがEmil Zsigmondyに「羽がなければ登れない」[3]と言ったほどだった。しかし、2年後の1881年にM. Innerkoflerは頂上へのルートを発見、1884年にZsigmondyがチーマ・ピッコラの頂上に初めて立った。 第一次大戦中、トレ・チーメでのイタリア王国とオーストリア=ハンガリー帝国の直接的な衝突は無かったが、見晴らしの良さは戦略的に重要だった。1915年7月、イタリア軍はシーマ・グランデ頂上にサーチライトを運び、8月14日夜から高原のオーストリア軍を照らすのに使用した。 参考文献
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia