ドニー・ビール
ドナルド・タイロン・ビール(Donald Tyrone Veal, 1984年9月18日 - )は、アメリカ合衆国・ミシシッピ州ジャクソン出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴カブス傘下時代2005年のMLBドラフトでシカゴ・カブスから2巡目(全体68位)指名され、6月30日に契約。同年は傘下のルーキー級アリゾナリーグ・カブスで4試合に登板し、0勝1敗・防御率5.06だった。8月にA-級ボイシ・ホークスへ昇格。11試合に登板し、1勝2敗・防御率2.48だった。 2006年はA級ピオリア・チーフスで14試合に登板し、5勝3敗・防御率2.69だった。6月にA+級デイトナ・カブスへ昇格。14試合に登板し、6勝2敗・防御率1.67だった。 2007年はAA級テネシー・スモーキーズで28試合に登板し、8勝10敗・防御率4.97だった。 2008年はAA級テネシーで29試合に登板し、5勝10敗・防御率4.52だった。 パイレーツ時代2008年12月に行われたルール・ファイブ・ドラフトで、ピッツバーグ・パイレーツから指名され移籍[1]。 2009年3月3日にパイレーツと1年契約に合意し、自身初の開幕ロースター入りを果たした。4月7日のセントルイス・カージナルス戦でメジャーデビュー。8点ビハインドの5回裏から登板し、1回を投げ1安打1失点3四球3奪三振だった。この年は19試合に登板し、1勝0敗・防御率7.16だった。 2010年3月2日にパイレーツと1年契約に合意[2]。3月15日にAAA級インディアナポリス・インディアンズへ異動した。この年はAAA級インディアナポリスで9試合に登板し、0勝1敗・防御率6.43だった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなり[3]、12月15日にパイレーツとマイナー契約を結んだ[4]。 2011年はA+級ブレイデントン・マローダーズ、AA級アルトゥーナ・カーブ、AAA級インディアナポリス、ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・パイレーツでプレー。AAA級インディアナポリスでは7試合に登板し、防御率5.68だった。11月2日にFAとなった。 ホワイトソックス時代2011年11月10日にシカゴ・ホワイトソックスと契約[5]。 2012年3月4日にホワイトソックスと1年契約に合意[6]。3月19日に傘下のAAA級シャーロット・ナイツへ異動した[7]。7月18日にメジャーへ昇格[8]。8月13日にAAA級シャーロットへ降格した[9]。この年は24試合に登板し、0勝0敗1セーブ・防御率1.38だった。 2013年2月22日にホワイトソックスと1年契約に合意し[10]、開幕ロースター入りした。5月1日にAAA級シャーロットへ降格した[11]が、5月18日に再昇格[12]。5月22日に再びAAA級へ降格した[13]。7月13日に再昇格した[14]。この年は50試合に登板し、2勝3敗・防御率4.60だった。 2014年3月1日にホワイトソックスと1年契約に合意し[15]、開幕ロースター入りした[16]。開幕後は7試合に登板したが、4月17日にDFAとなり[17]、4月19日にAAA級シャーロットへ降格した。オフにFAとなった。 ブレーブス時代2014年11月11日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[18]。 2015年シーズンは開幕を傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスで迎え、4月30日にメジャー昇格した[19]。3試合に登板後、5月5日にDFAとなり[20]、6月8日に自由契約となる。 ブレーブス退団後2015年7月10日に独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレーした。12月30日、テキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[21]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
外部リンク
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