ナターリヤ・ロジェストヴェンスカヤ

ナターリヤ・ペトロヴナ・
ロジェストヴェンスカヤ
出生名 Наталья Петровна Рождественская
生誕 1900年5月7日(ユリウス暦4月24日)ロシア帝国の旗 ロシア帝国ニジニ・ノヴゴロド
死没 (1997-09-01) 1997年9月1日(97歳没)[注 1]ロシアの旗 ロシアモスクワ
ジャンル クラシック
職業 歌手ソプラノ
レーベル メロディア
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ナターリヤ・ペトロヴナ・ロジェストヴェンスカヤロシア語: Наталья Петровна Рождественская, ラテン文字転写: Nataliya Petrovna Rozhdestvenskaya1900年5月7日(ユリウス暦4月24日) - 1997年9月1日[注 1])は、ソビエト連邦ロシアオペラ及び室内楽歌手ソプラノ)、翻訳家

概要

弁護士の娘としてニジニ・ノヴゴロドに生まれる。生地のギムナジウムロシア音楽協会ニジニ・ノヴゴロド支部音楽学校で学ぶ(音楽学校ではピアノ科に在籍)[注 2]。1918年以降、モスクワに移り国立演劇大学ロシア語版ГИТИС)でソフィヤ・ドゥルジャキナロシア語版アレクサンドル・ヘシンロシア語版に師事する。1926年より演奏活動を開始し、1929年から1960年までの30年以上にわたり全連邦放送(Всесоюзное радио)のオペラ・アンサンブルのソリストとして活躍した。『石の客』(ダルゴムイシスキー)のドンナ・アンナ、『フィガロの結婚』(モーツァルト)の伯爵夫人ロジーナ、『見えざる街キーテジと聖女フェヴローニヤの物語』(リムスキー=コルサコフ)のフェヴローニヤなどを主な持ち役とし、フェヴローニヤを歌った録音はフランスグランプリを受賞している[注 3]。また、外国語のオペラ台本のロシア語訳も手掛け、ラヴェルの『スペインの時』『子供と魔法』、リヒャルト・シュトラウスの『アラベラ』、ストラヴィンスキーの『放蕩児の遍歴』、プーランクの『人間の声』などが遺されている。同時代のロシア人作曲家の作品の普及にも貢献した。

1997年9月1日[注 1]モスクワで没した。

家族

夫は指揮者ニコライ・アノーソフ。息子は同じく指揮者のゲンナジー・ロジェストヴェンスキー。息子の妻はピアニストヴィクトリア・ポストニコワ

主な録音

以下はメロディア録音[注 4]

オペラ
  • ダルゴムイシスキー:石の客(ドンナ・アンナ役、1946年録音)
  • チャイコフスキーオプリーチニク(ナターリヤ役、1948年録音)
  • チャイコフスキー:地方長官(抜粋、マリヤ・ヴラスエヴナ役、1952年録音)
  • プッチーニマノン・レスコー(マノン・レスコー役、1946年録音)
  • モーツァルト:フィガロの結婚(伯爵夫人ロジーナ役、1948年4月9日録音)
  • リムスキー=コルサコフ:パン・ヴォエヴォーダロシア語版(ヤドヴィガ・ザポリスカヤ役、1951年録音)
  • リムスキー=コルサコフ:不死身のカシチェイ(王女役、1949年5月12日録音)
  • リムスキー=コルサコフ:見えざる街キーテジと聖女フェヴローニヤの物語(フェヴローニヤ役、1956年7月30日録音)
その他
翻訳した作品の録音[注 5]

受賞

脚注

注釈

  1. ^ a b c 墓標に刻まれた日付による[1]
  2. ^ 外部リンク「サンクトペテルブルク・フィルハーモニアの100年」による。
  3. ^ フランスの共産主義者が創設したレコードレーベルであるシャン・ドゥ・モンドフランス語版より発売され1963年に受賞。
  4. ^ サイト「ソビエト連邦のレコード・カタログ」[2]の検索結果(画像含む)による。
  5. ^ ロジェストヴェンスカヤ本人が録音に参加しているのではない。

出典

外部リンク

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