ノート:あまちゃんの登場人物/過去ログ1
この記事が分割された経緯
外部リンク補完
--Benzoyl(会話) 2013年7月24日 (水) 03:38 (UTC) 「あまちゃん」へリンクしているページからあまちゃん、あまちゃんの登場人物には直接記載されていない項目を中心に抽出。他の編集者も参加してもらいたいという気持ちを表明。
--Benzoyl(会話) 2013年8月22日 (木) 03:44 (UTC) --Benzoyl(会話) 2013年8月30日 (金) 03:33 (UTC) --Benzoyl(会話) 2013年9月2日 (月) 12:28 (UTC) --Benzoyl(会話) 2013年9月16日 (月) 07:50 (UTC) --Benzoyl(会話) 2013年10月8日 (火) 01:01 (UTC) --Benzoyl(会話) 2013年10月27日 (日) 01:57 (UTC)
単発質問・報告
過剰な記載内容を整理しましょう。分割提案して、こちらでの「過剰な記載内容」に関しては特にそれが問題視されていないような、そんな危惧を覚えるのは私だけでしょうか。分割したから、大きくしてもいいって話ではないと思うのですが、、、。 「Wikipedia:あらすじの書き方」(登場人物の説明は「あらすじ」ではないという意見もあるが、実質はあらすじと変わらない)では、「ウィキペディアにおける作品記事の目的は、物語の内容を網羅することではなく」とありますが、実際書かれている内容は、物語の内容をかなり網羅しているのではないでしょうか。 網羅して喜ぶのは、この番組のファンであると思いますが、ここはファン専用のサイトではありません。 ですので、ここにおいてもあまりにも過剰な記載内容を整理(除去もふくめ)していきたいと思います。例えば、正宗の「クリスマスの夜にサンタクロースに扮して」うんぬん。娘思いなことは、そのエピソードを1つにする(中学まで一緒に寝ていた、というものもある)などして、整理できると思うのですが。 特にここで合意をとるまでもなく(wikipediaの推奨事項に沿うわけだから)、整理や除去するにあたって疑問や確認などがあれば、こちらでコメントをして頂くなりしていただけたらと思います。それ以外は、要約欄で書いて頂ければと思います。整理内容について反論があれば、リバートをむやみやたらにするのではなく、それもこちらで議論して頂きたいなと思います。 よろしくお願いいたします。--Megevand (会話) 2013年8月9日 (金) 00:04 (UTC)
1. 注釈の使い方早速、問題提起ですが、注釈は基本どのように使えば良いでしょうか?例えば、花巻珠子の洋楽ネタや、たとえツッコミネタはもともと本文に書かれたものでしたが、後に注釈にまわされました。「洋楽に詳しい」と書くなら、「どんな風に?」と思って書くのを良しとするのか、「いや、"洋楽に詳しい"だけで充分だ」とするのかで、意見が分かれると思いますが、Wikipediaとしてどうあるべきなのか、悩むところです。分割前の私は、どうして良いか分からなかったので、とりあえず除去せずに注釈にしていましたが、これを続けるのは無理があるのかなとも思い始めています。 現在の記事の中には、以前の私のような考え方で編集すれば、「注釈」になるような「候補」がワンサカあると思いますが、これを全て注釈にするようなことでは、内容の整理になっているのかどうか甚だ疑問ですし、とはいえむやみやたらに除去するというのもどうかという疑問もあります。--Megevand (会話) 2013年8月9日 (金) 00:21 (UTC)
2. やたら細かい描写やたら細かい描写が目立ちますが必要でしょうか?例えば、栗原しおりの説明(ついでに言うと、足立ヒロシもそう)。
単純に、「ヒロシと職場恋愛をするが、性格不一致のため終局。吉田との結婚を決める。」でいいのではないでしょうか?細かいことを言えばキリがないですし、心理描写をいちいち事細かくかく必要性が果たしてどこまであるのか疑問に思うところです。--Megevand (会話) 2013年8月9日 (金) 12:39 (UTC) (訂正 --Megevand (会話) 2013年8月9日 (金) 15:44 (UTC))
小道具から解析された人物設定この記事を拝見するに、執筆者が小道具の描写から人物設定を「解読」しているケースが多々見られます。以下はその一例。
これはあくまでも、執筆者が「解読」しているだけであり、公式サイト等で言及がない以上は、これが公式な設定であることの検証とはならないと考えます。ついてはこれらの記述をすべて除去されるか、画面上でこのような表記があった(公式な設定であるとは限らない)と正しく記す必要があると考えます。このことについて、執筆された方のご見解をお伺いしたいと思います。--Bsx(会話) 2013年8月25日 (日) 00:52 (UTC)
出典無き記述の一律除去(予告)1箇所を除いて要出典範囲を除去--Bsx(会話) 2013年9月16日 (月) 00:38 (UTC)
先のセクションでも申し上げましたが、本記事に書かれている記述の大部分が放送されたストーリーだけで語られていることを根拠にしている状況にあります。「NHKオンデマンドが出典になり得るか」という質問もありましたが、そもそもそのエピソードが第何話のどこに登場するかすら書かれていない状態では、150話以上の全ストーリーからそのエピソードを検索することを求めているのと同じで、これは執筆者が閲覧者に「ググれカス」と言っているようなものであり、事実上出典が全く示されてない状態にあるといわざるを得ません。 ついては、このたび出典がないと思われる範囲すべてに{{要出典範囲}}タグを付与させて頂きました。10日ほど待ちますので、これらの記述を残すべきと思われる方はすべてに出典(公式サイトや外部媒体などでそのことに言及のあるソース、あるいはせめて第何話のどこに登場したか)を付けてください。10日待って有意な出典がなかったと思われる記述については、出典無き記述としてすべて一律に削除します。念のため申し添えますが、私はこの間、出典付けの作業は一切行いません(出典を示す責任は掲載を希望する側にありますので)。また、出典が明示されないのに{{要出典範囲}}タグを除去するような行動が見られた場合は問答無用で差し戻しますし、これが繰り返された場合は荒らし行為と判断して保護依頼も検討します。--Bsx(会話) 2013年9月5日 (木) 03:08 (UTC)
除去予告に対する意見
確認ですが、春子について、極力注記をつけましたが、この情報があれば、出展として認められるのでしょうか。 --Moonstar24(会話) 2013年9月5日 (木) 17:38 (UTC)
回答、ありがとうございます。できれば、検証可能と判断された箇所については、徐々に、「要出典」を解除頂けると幸いです。意見としては、私は春子のシーンは良く覚えており、かつ、全ての回を録画しているので、話数のレベルであれば、録画を見直すことで、情報を追記することは可能ですが、そうでない状況(特に録画していないような状況)においては、皆さんがかなり連携でもしない限り、設定された期間において、注釈をつけるのでもかなり困難だと思います。春子については自分で記事を書いたこともあるので、それに関しては優先的に追記を行います。その後、時間があれば、他の出演者の方も極力、注釈を付けたいとは思いますが、休日を全てその作業に費やすわけにもいかず、期間は少し短いと思います。せめて、削除ではなく、まずは暫定的にコメントアウトにして、期間をもう少し延ばした方が良いとは思います。 ただし、出展がないものを機会的に削除やコメントアウトをしてしまうと、文脈がおかしくなってしまうことを懸念します。--Moonstar24(会話) 2013年9月6日 (金) 00:16 (UTC)
この記事名が「あまちゃんの登場人物」であるという時点で、既に出典は具体的に第何話と示さずとも明記されているのですから、出典の示されている記述を「出典無き記述は除去」という理由で除去することはできない。Bsxさんの主張は破綻しています。プロジェクト文章の後半は一見、Bsxさんと同じことを言っているようにも見えるかも知れませんが、実のところこのルールで除去できるのは、解釈が分かれる余地のある描写など、編集者の憶測が含まれている場合に限るわけです。記事が完璧な記事ではないことを、記事削除や記述大量除去の根拠にすることはできません。もちろん『朝の連続テレビ小説』シリーズのように話数が多い長編作品においては、記述の根拠となる描写が第何週第何話にあったエピソードに基づいているのか、明記されているのが理想でしょうから、仮にBsxさんが自主的に、現在の内容に出典を書き足していく形でそれを行うと言うのであれば、いくら「読みづらい」という反対意見がいくらあったとしても私は応援します。経験上、その作業がどれほど労力がかかるかというのはよく知っているつもりですので。ですがよく知ってるが故に、自分は何もせずに他人に労力を強要する主張を見過ごすことはできません。「10日間で何とかしろ」というのは、私の経験では無理難題です。検証作業のために部屋にこもりきって私生活の全てをなげうつ程の時間的余裕がないと不可能でしょう。最低限の検証可能性が保持されており義務ではない上に、実現不可能な目標を、一介のボランティアでしかない赤の他人に押しつけるのは、理不尽であって、反感しか買いません。まずいやり方です。どうか無茶なことを言って自滅して、「一文ごとに出典なんて明記したら読みづらいよ!」という意見の方々を勢いづかせたりしないでください。私もやりづらくなります。--Kanohara(会話) 2013年9月8日 (日) 17:29 (UTC)
除去されるのを待つという意見
更に本音をいえば、こちらのコミュニティの方々の中で、少しでもBsxさんの手法に疑問をお持ちになった方々は編集の手をやめ、Bsxさんによる記事の除去を静観し、その後Bsxさんがどのような編集を施されるのかを観察することを個人的におすすめいたします。現在の記事を、下手すればほぼ全除去するということは、その後の責任もとられるということを意味しますから、私はその責任の取り方を是非とも拝観したいと思います。--Megevand (会話) 2013年9月6日 (金) 02:18 (UTC)
出典付記に関する申し合わせ出典付記に関して、編集者さんによってバラバラなので、気付いたことをここに記し、時期がくれば申し合わせの議論材料と活用されることを期待します(つまりは、申し合わせは今やらなくても良いという考えですが、しかしあまりにもぐちゃぐちゃなのでせめてメモ程度に記した方が良いかと思います)。私以外で、気付いたことがあれば下記に足していって下さい。--Megevand (会話) 2013年9月8日 (日) 05:19 (UTC)
出典が付かなくて除去された箇所9月13日 (金) 02:57版 (18) → 9月15日 (日) 23:43版 (7)(差分:次) --Benzoyl(会話) 2013年9月13日 (金) 03:08 (UTC)
計
出典のレベルを基にした記述内容の推敲について先日から皆様のご尽力のおかげで、ほとんど出典の付与されていなかった本記事の大半の記述に出典が付与されたところではありますが、相変わらず雑多な記述(あるいは細かすぎる記述)が散見される状態であることは否めないと思われます。 そこで、出典の付与のされ方(何を出典としているか)に応じて、以下のように記述内容の重要度(特筆性の高さ)に関するレベル分け(案)を作成してみました。
今回付与された出典について、以上の7段階に類型化した上で、6.と7.については、本項目の主題たる「あまちゃんの登場人物」を説明するのに不要と言えるほど瑣末な情報として除去する方向で考えたいと思います。今のところ期限は定めませんが、皆様からのご意見が煮詰まり次第一定期間を定めた上で整理を行いたいと考えています。 ご意見がありましたら、よろしくお願いします。--Bsx(会話) 2013年9月16日 (月) 00:54 (UTC) 推敲提案に対する意見・質疑
もちろん、いま指摘したガイドラインにもあるように、記事に書くべき内容は社会的な反響があった事柄と、それに関連した描写が中心ということになるでしょう。ですがウィキペディアは、ドラマを毎日欠かさず見ている人のためのファンサイトではないので、そうでない人にも分かるよう、話題になった事柄が作中においてどのようなバックグラウンドを持った描写であるのかを詳しく説明する必用はあるはずです。--Kanohara(会話) 2013年9月16日 (月) 22:24 (UTC)
二次資料の取扱いに関する考察
これを改めて考察すると、荒巻の「キミにはプライドってものがないの?」という台詞 (1) と、83話の春子がユイに言った台詞が103話の回想シーンでの“春子の台詞”を連想させるという事柄 (2) の2つが直結していない、ということが判ります。確かに荒巻の台詞は103話の台詞であり、その後に春子の「プライドなんて、あるに決まってるじゃない」という台詞がつながることから、両者が間接的につながるのは確かなのですが、この表現だと(1)と(2)が直接関連のある事柄となっているかのような印象を与えかねないということがわかります。すなわち、荒巻の台詞に対してこのエピソード(というか演出家の考察)を加えることが冗長(あるいは「発表済みの情報の合成」)と判断したため、割愛を行った次第です。 その上で、Moonstar24 さんが 2013年9月29日 (日) 09:54 (UTC) におっしゃった「「伏線」についてある程度記載が進むことについては、先日申し上げた通り、このドラマの主題だと思っているので、肯定してはいます」という部分に関して敢えて言及すると、「伏線」「小ネタ」の多さはこのドラマにおいてある意味最大の特徴であると思います。たしかにある程度記載が進むことについてはこのドラマの主題につながることだとは私も思いますが、それに言及する場所は「登場人物」の項目ではなく、ドラマの「あらすじ」もしくはドラマの「特徴」としてとらえるべきことではないかと思います。上述の「プライド」という台詞を基にした伏線を見ても、こういった事柄・エピソードがその人物の人物像をクリアにさせるための要因になるとは考えにくい(むしろこういった事柄を全網羅しようとするが為に人物像を描くのに混乱を招きかねない)との懸念を持っている次第です。--Bsx(会話) 2013年10月7日 (月) 15:00 (UTC)
まず、議論の進み方を考慮して節タイトルを変更し、節分けの場所を移動しました。ご了承ください。 本題に戻りますが、議論のためにステラ増刊の当該箇所の記述を引用してみます。書籍からの引用ですので、誤字脱字がありましたらご指摘ください(太字はBsxが挿入した箇所)。
ここで言及されているのは、83話の「春子の言葉」が、103話の回想シーンの「春子(の言葉)」を連想させるということであり、「太巻の言葉」に対してこの言及を掛け合わせるのは、“情報の合成”の懸念があると判断した次第です。余談になりますが、この部分は演出の吉田照幸氏の言及(吉田氏のコメント箇所はカギ括弧でくくってある)ではなく、このページを編集したライターさんが書かれたものだと思います。外部媒体による言及であることには間違いないので、このこと自体を問題視はしませんが。二次資料を用いる場合には、二次資料がどういう形で(=誰が、どういうシチュエーションで)言及しているか、さらには二次資料に言及されている事項以上のことを語らないようにするのが、二次情報を用いて執筆する際にその事柄の信憑性を損ねないことにつながるのではないかと思います(二次資料そのものの信憑性を執筆者が検証することは不適当とされていますので)。 あと、先の私のコメントの繰り返しになりますが、「伏線」「小ネタ」の多さは「『あまちゃん』というドラマ」の特色であるのは確かなのですが、その事柄を逐一記述することが“登場人物を明らかにするのに必要な事柄かどうか”という点では疑問を持っています。そもそもの話として「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」には以下のような記述があります。
ということを踏まえれば、重要な「伏線」「小ネタ」に関しては主には「あらすじ」節で言及するべきだと考えますし、「伏線」「小ネタ」の多さという部分に着目するのであれば、別の項目で言及しまとめるのが妥当なのではないかとも考えます。--Bsx(会話) 2013年10月8日 (火) 21:01 (UTC)
過去ログ化します最近議論が沈静化しているのと、ノート容量が肥大しているため過去ログ化を提案します。上の節での議論を再開される場合は新しい節を作っていただくようお願いします。--Garakmiu2(会話) 2013年12月4日 (水) 21:53 (UTC)
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