ノート:ガイウス・ユリウス・カエサル記事名は、フルネームで、「ガイウス・ユリウス・カエサル」あるいは「ユリウス・カエサル」とすべきでは?秀の介 11:40 2003年10月5日 (UTC) 新参者なのでWIKIPEDIAの標準的な人名の取り扱いがわかりません。どなたかフォローして編集してください。というか、いくらなんでも「カエサル」が空白な百科事典はあんまりだと思ったので項目だけ作った次第です。Penguin 11:44 2003年10月5日 (UTC)
衝動的な行動をしてしまいました。早まった事をしてしまったと反省しております。m(_ _)mU.S.S.Momotaro 12:47 2003年10月5日 (UTC) いろんな意見があるものですね。ただし一歩進めないと開いていかないものです。 Penguin 12:51 2003年10月5日 (UTC) 善意で修正をしてくれていることは、みなさん、わかってくださっていると思います。とりあえず、ノートがある場合には、そちらを参照してから、手を着けてくれるとうれしいです。秀の介 12:57 2003年10月5日 (UTC) 帝王切開は俗説だったのですね。フォロー感謝です。今回、敢えて本筋とはあまり関係なさそうな 「7月」、「帝王切開」、「シーザー暗号」へのリンクを作りました。これらの言葉はいずれもカエサルの名前を冠しており、彼の言行/業績がいかに強く現代にも影響を及ぼしているか示す1例になるのではないかと思っています。また一見、非常に離れている概念同士をあるキーワードを介してリンクし、それぞれの概念間の(今まで見えなかった)関係を明らかにすることができるというのは、Web上の百科事典の最大の強みだと思っています。「ガイウス・ユリウス・カエサル」はこれらの概念間をリンクする一大拠点になりうる強力な項目だと思っています。古代ローマの中だけに閉じ込めて置くのはもったいないですよ。皆様の御意見、ぜひ頂きたく。 Azu 「賽は投げられた」のところで「全文を記す」と書かれていますが、たぶんカエサルは日本語で喋ったわけではないですよね。もとはラテン語だと思うのですがそちらの「原文」も表記した方がよいのではないでしょうか? それと記事中のものは原文の日本語訳ですが著作権とかは大丈夫なんでしょうか? U.S.S.Momotaro 01:42 2003年12月20日 (UTC) ここで「全文」として記した意図は、カエサルが置かれた状況を限られた紙面で表現するのに最適だと思ったからです。この部分から、カエサルは
が読み取れると思っています。 クリオらを通じた元老院との平和的妥協案、や「カエサルの長い手」でローマの政治状況を 完璧に把握していたこと、などから重層的に上記を明らかにしていくことも可能ですが、 相当長くなってしまいそうです。 さて、ラテン語ですが、少なくとも自分にとっては有意味情報になりえないため、結構長い全文をラテン語 として入れようとは思いません。interwikiもありますし。 ちなみに書籍に書いてあることをそのまま持ってきているわけではありません。 Azu 02:28 2003年12月20日 (UTC)
カテゴリカエサルが現在歴史家と呼ばれることは事実ですが、だからといって「古代ローマの歴史家」というのには違和感を感じます。カエサルが歴史家と呼ばれるのは現在から見て歴史資料を書いたからですが、本人も周囲も当時はそれを歴史書とは見ていなかったはずですから。個人的には著述家で十分だろうと思います。何もわざわざ分ける必要はないのでは?tanuki_Z 2004年11月21日 (日) 09:29 (UTC) 著述家というより政治家ですね。キケロなら著述家で文句ないですけども。Iulius 2004年11月21日 (日) 11:27 (UTC)
個人名ガイウス申し訳ありませんが、個人名ガイウスの由来が象であるというソースを示していただけませんか? 私の知る限りガイウスという個人名はローマでもっとも使われているにもかかわらずその由来は不明であったはずなのですが。そもそもローマで象が知られるようになったのはピュロスの侵入以降ですが、それ以前にはガイウスは使われていないとでも仰るのでしょうか? 私が知らないだけでしたら大変申し訳ないのですがソースを教えていただければありがたいです。 なお、「カエサル」は象が由来であるという説もありますが、そちらと勘違いされているのではないでしょうか?tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年6月18日 (土) 08:25 (UTC)
De Belloガリア遠征の節が完全に「ガリア戦記を参照。」と分離されていますが、数行ほどの説明があったほうがよいのではないかと思います。いまの記事ですといつガリア属州総督になったのかも記されていませんし、やや不備に感じました。 いかがでしょうか。--Aphaia 2005年8月16日 (火) 18:06 (UTC)
「葬儀の日にハレー彗星云々」の記事がありましたが、「ハレー彗星」の記事を読む限り、死後30年以上たって 現れたハレー彗星をアウグストゥスが「カエサルの魂」とこじつけただけのようです。 (そもそもカエサルの没年はハレー彗星の周期に該当しません) そうだとすると、その事実関係を修正したとしてもカエサルの記事にハレー彗星に関する記載があることの意味が 特に見いだせないため、当該記事を削除させていただきました。 ガリアでの蓄財ヒスパニア属州総督時代に蓄財したことは書かれているが、ガリア戦争で得た捕虜を売って莫大な利益を得たことは戦争の項にも人物像の項にも書かれていない。 --Ypacaraí(会話) 2015年6月10日 (水) 06:43 (UTC) 出典の明記についてこの分量で出典が60もなく、しかもほとんどがスエトニウスやプルタルコスで、肝心の解説部分にほとんど出典がなく、出典の追加が必要だと思います。なお、民衆派の記述を削りましたが、出典をつけて(おそらくモムゼンなどの古い文献になるでしょう)民衆派とすることについては異論はありません。--プブリリウス(会話) 2021年5月31日 (月) 10:39 (UTC) |
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