ノート:戦後民主主義2003年10月3日までの議論かんじんの戦後民主主義に関する事実説明がほとんどなく、220.108.221.238さんの政治解釈に終始しているように思えます。ここまで長いと加筆や修正で改善することも難しいです。一個の文章として無価値だとは思いません。しかし、ウィハペディアとは別の場所に置くのがふさわしいと思います。Kinori 21:04 2003年9月28日 (UTC) 上記Kinoriさんの意見に全面的に賛成です。ここは政治信条を吐露する場ではありません。また記述そのものも、あまりに一方的で、学問的に論証されているとは言い難い内容です。利用者より。--以上の署名のないコメントは、220.108.250.137(会話/Whois)さんが 2003年9月29日 (月) 01:16 (UTC) に投稿したものです。
”戦後民主主義”この言葉には、論じる人によって多様な意味が込められている。ある人は「個人の権利を重視しすぎたために、国家を軽視する風潮が生まれてしまった」といい、また「平等・自由等の西欧近代の価値を重視するものである」というものもいる。確かなことは、この言葉に関する、明確な定義は今のところないということだ。 ”戦後”民主主義というように、この言葉の最重要点は”戦争(第二次世界大戦)”である。近代政治理論の根本的な価値である民主主義の前に”戦後”という単語があることは見逃してはならない。”戦後民主主義者”と言われている人々に戦時中の記憶が強い影響を与えているのだ。 戦後民主主義の旗手と言われている丸山眞男や大塚久雄などにとっては、戦時中の不合理な軍隊での体験や、なぜあの(負けるとわかっていながら起きてしまった、またその流れを止められなかった)戦争が起きてしまったのか。そして国をあげて起こした戦争であったにも関わらず、私利私欲に走ってしまった軍人をはじめとした国民。これらに対する”悔やみ”があった。そこでの問題意識は”この国には近代的な価値(丸山眞男の言葉によれば”主体的な責任意識をもった個人”)は根付いているのか”というものであり、これが戦後の文筆活動に表現されていったのだ。 その問題意識は丸山眞男の主著である『現代政治の思想と行動』に表れているような、戦時中の日本をネガとしつつ戦後に築きあげられるべき価値や規範意識を主張したものとなって表現されることとなった。 だが彼らが主張したものは現在、批判にさらされている。それは冒頭に言及したような「国家を軽視する風潮を生み出した」というものであり、またはカン・サンジュン等からいわれている「結局彼らは、右派であろうと左派であろうと日本を信奉するものたちであった」というものである。(現在は前者の力が強く、後者のような批判はほとんど聞かれない。) ただ今後、彼らに関する”まっとうな評価”がなされるべきであるということは指摘しておくべきだろう。--以上の署名のないコメントは、210.224.215.173(会話/Whois)さんが 2004年6月12日 (土) 16:09 (UTC) に投稿したものです。 Tietewインチキ占い師は決して内容への議論に踏み込まず「もう少し勉強してから編集してね」なんていう虚勢を貼って信者を騙すんだろうなぁなんてのは容易に想像が付くが、wikiも汚染が深刻だな。 以下俺メモ 2005年8月16日 (火) 19:49 PPP Mのゴミのような反論 ↓ 2005年8月27日 (土) 04:46 MLfoGtBp 鮮やか、且つ美しい完全なる論破。 ↓ 2005年8月27日 (土) 05:06 PPP M 虚しい修正 ↓(この間わずか1分) 2005年8月27日 (土) 05:07 Tietew M (保護) マジで笑えるw [Tietew]記憶したぞ。 MLfoGtBp 2005年8月26日 (金) 20:41 (UTC)
MLfoGtBpの目的根拠の乏しい記述で無意味に誰かを攻撃し、削除合戦を引き起こして保護に持ち込み編集不能にする。これで満足を得る。これがMLfoGtBpの目的だ。 彼を出入り禁止にするしかないというのが私の意見だ。それが無理であるなら、彼がやる気をなくす方法を考えて行動していくしかない。 彼が書き込んだ記事を、安易に保護に持ち込むべきではない。編集不能が彼の目的であり、彼がここに来る理由なのだ。落書きの犯人を捕まえることが出来ないのであれば、落書きを根気よく消し続けていくしか解決方法はない。61.127.152.228 2005年8月28日 (日) 00:38 (UTC) 「激しい言葉は理由の薄弱さを物語る 」ユーゴー[1802-85] MLfoGtBp 2005年9月3日 (土) 14:48 (UTC)
「戦後民主主義」として批判されるもの「戦後民主主義」の定義はともかくとして、現実にどのような主張・風潮が「戦後民主主義」として批判されているのかを明らかにすることはそれなりに価値のあることだと思います。もっともそれをするなら「戦後民主主義批判」という項目を新たに作成したほうが適切かも知れませんが。 いわゆる「右翼」が戦後民主主義として批判する主張は大雑把に言えば「個の自由を唱え、これに否定的なルール・風潮・言論などを否定する一方、極端な結果平等論を唱え、差異・優劣を発生させるものを排除する性向」にあるのは確かだと認識しています。 ちなみに私はこういう「戦後民主主義」は現実には個の自由に拘る余り、他の「個の自由」を侵害するような行為を行うことまで黙認し、結果として「個の自由」を否定するものだと思っています。またいたずらに「結果平等」などの抽象的・観念的な理念を押し付けることで個性・自由を侵害するという点では「右翼」がこれまた「愛国心」「公共心」などの抽象的・観念的な理念を押し付けることで個性・自由を侵害しようとしているのと同じ穴の貉だと思っています。Knightofathena 2005年12月24日 (土) 17:05 (UTC) 戦後民主主義派はヨーロッパの戦う民主主義、つまり民主主義の敵は絶対に容認しないというスタンスにシンパを抱いているので、当然民主主義に否定的な保守・右翼勢力に対しては嫌悪感を抱いていることは間違いないでしょうね。予定調和的とされる傾向を重んじる日本の世論にはそうしたスタンスは理解しにくいかもしれませんが、丸山真男はすべての国民に銃を持てというスローガン、つまり抵抗権の思想を持てというスタンスですからね。--Tamachan21 2006年2月24日 (金) 16:01 (UTC) 2007年2月の編集保護「関連項目」のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの有無をめぐって編集合戦が起こり、編集保護になる。--経済準学士 2007年8月16日 (木) 11:42 (UTC) 保護解除の提案この記事は2007年2月25日より、長期荒らしとの編集合戦により無期限保護[1]されていますが、保護期間が1年半と長期に渡っていることにより、様子見での保護解除を提案します。長期荒らしが来たら来たで対処、ということで。 特に異論がなければ、タイミングを見て保護解除を依頼します。--Tatsujin28 2008年9月14日 (日) 16:22 (UTC)
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