ノート:日本のヘイトスピーチ/過去ログ2
ヘイトスピーチなのか?橋下徹の件はヘイトスピーチにかかる判例なのか?京都朝鮮学校公園占用抗議事件の件は明戸隆浩を出典にして補足していますが。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2015年3月14日 (土) 10:09 (UTC)--(追記)--橋下徹自身がヘイトスピーチとして認識していることは補足しました。高次出典や第三者の言及があれば差し替えまたは併記願います。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2015年3月14日 (土) 14:16 (UTC)
節「慰安婦問題におけるヘイトスピーチ」に慰安婦問題の影響を書いていったらヘイトスピーチからずれた論点で記述が増えるだけではないか?本項に書くべき正当な事由がなければ編集除去するか慰安婦等に転記する考え。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2015年3月15日 (日) 04:04 (UTC)
ええと・・・。何から話せば対話が成立するか見えづらい状況なのですが、Hyon Hyoroさんに倣ってジャコウネズミ個人の見解を何点か書かせていただきます。
--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2015年4月17日 (金) 09:26 (UTC)--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2015年4月17日 (金) 09:28 (UTC)
中立的な観点の確立が急務本記事記述には特定の一部論者による評論が確定的に述べられている箇所が散見されるがこうした記述は特定観点の推進である。ヘイトスピーチ自体、言論の自由と密接に絡まったデリケートな話題であり、明確な基準がないとされる状況において、一部論者の偏りのある評論を断定的にとりあげるべきではない。一部論者の評論を掲げる際には、「~によれば」といった伝聞調の記述を徹底すべきであり、また論者の社会的立場、立ち位置により記述すべき箇所にも注意を払わねばならない。学識経験者と一社会運動家の見解を並列して述べるなどは回避すべきである。--IP58xv(会話) 2015年4月29日 (水) 07:04 (UTC)
個人的に考えること。そもそも本項目の存在自体が(あるいは少なくとも項題が)中立性を欠いている。人種間、民族間、宗教間etcの対立は世界中様々な国で存在すると思いますが、それぞれ内容や背景が異なります。それらを「ヘイトスピーチ」と総称一括すること自体には(現になされていることですし)異議がないのですが、“総論を個別のケースに逆にあてはめる”ことには問題があるのではないか? 日本で起きている問題はもっぱら日韓関係の悪化に因るものであって、(それを「ヘイトスピーチ」と呼称して普遍的人権問題にすりかえたのは左翼の十八番としても)良識が求められるWikipediaでは「日本のヘイトスピーチ」などという誤解を招く項目名で取り扱うべきではない。なんとなれば、本項目に収載された個別のケースは一躍、人権問題として普遍性と正当性を獲得してしまうからです(思うにそれが項目作成者の狙いであったらしい)。--Hyon Hyoro(会話) 2015年5月6日 (水) 17:44 (UTC)
インデント戻します。まず2点目の方ですが現状「~などの罵声を浴びせる「常軌を逸した」(夕刊フジ・大高未貴の記述による)ヘイトスピーチが続けているとされる。これは米軍兵だけではなくその家族に~」となっておりますので「~などの罵声を浴びせるヘイトスピーチが続いているとされる。この様子を評して夕刊フジでは常軌を逸しているとしている。このヘイトスピーチは米軍兵だけではなくその家族に~」でいいのではないでしょうか。 さて、1点目の方ですが、「広島の平和運動」をしているからヘイトスピーチを受けたと書いてあると思いますが(市民団体「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」によると、昨年、全国各地でヘイトスピーチを伴うデモや街宣活動は少なくとも360件あった。対象は、在日だけでなく、反原発運動、広島の平和運動、生活保護など多岐にわたる[9])。つまり、あなたの論で行けば、「在日、反原発運動、広島の平和運動、生活保護」も定義部に追加しないと行けないことになるわけです。 大辞林によれば「考え方」は「① 思考の傾向。思想。 「それは危険な-だ」 」とされています[10]。「性格」も、物事をどのように考え、どのように表出するかを性格とすれば、それは考え方、思想といえなくもありません。 また、既に述べたように、知恵蔵miniではヘイトスピーチの定義を述べているのに対し産経の記事は違う訳です。同列に扱うべきではないのはあきらかでしょう。そもそも定義には「など」とされているのです。「など」は「いくつかのものを列挙したり,一つのものを代表として示したりした後に用いて,他にまだ同種のものがあることを暗示する。」とされています[11]。「など」が定義を述べた出典によってもとから付されているのに、定義を述べた訳でもない出典をもとにいちいち付け加えていくというのはおかしいと思いませんか?「など」は本記事だけで使用されている訳ではなく、他記事でも使用されている訳です。それらの記事でもいちいち逐一列挙すべしという考えなのでしょうか。であるならば、「など」を使用する意味があるのでしょうか。 本記事においても既に述べた「在日、反原発運動、広島の平和運動、生活保護」以外にもざっと見ただけで、「韓国人、中国人、一部の国、民族、琉球人、日本人、マイノリティ、被差別部落出身者、アイヌ・・・」などなどがあります。探せばまだまだあるでしょう。それらはすべて定義部に含めるべきなのでしょうか。最初からあなたの論理は破綻していると思います。いつまで続けるつもりなのでしょうか。--IP58xv(会話) 2015年5月15日 (金) 00:53 (UTC)
過剰な内容の整理提案以前にも話が出たようですが、自分としてはあまりにも瑣末な事項が記載されすぎでそれがバランスを欠いているようにみえる一因ではないかと思います。 新聞や雑誌の記事、書籍からの引用についてですが、出典があれば片っ端から載せようが構わない、というものではないかと思います。 それが代表的なものである、影響力の極めて大きい人物が主催している、数千、数万規模の参加者がおり社会現象化しているなどの物だけ載せるべきです。 また、全体的に引用の範囲が明確で無い事も挙げておきます。それが尚の事記事の修正・改善を難しくしています。 特に以下の物に対し本当にwikipediaに記載する必要があるか再考して頂ければ幸いです。除去、あるいは書き方の工夫により冗長にならないようにしていただきたいです。
Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針やWikipedia:出典を明記するを参考にして頂ければ幸いです。--126.197.78.235 2015年5月24日 (日) 08:46 (UTC)
ちょっと議論が錯綜しているようですが、わたしがこの節を立ち上げたのは冒頭でも述べているように一部論者の見解を確定的に取り扱い、特定観点の推進とならぬよう注意すべしとの注意喚起からの意味合いが一点。また、出典の信頼性に問題がある記載や、そもそも出典においてヘイトスピーチと述べられていないものを個人の判断でヘイトスピーチと決めつけている記載も問題でしょう。そうした問題は、個人の予断に起因しているものだと思います。つまり、○○こそがヘイトスピーチであるという予断はやめていただきたいということです。--IP58xv(会話) 2015年5月25日 (月) 11:33 (UTC)
戻します。ジャコウネズミさんに限らず、そもそも随分以前からして項目全体がWP:SYNに違反していたと考えます。私が指摘したところで言えば、1.冒頭がいきなり「日本にはヘイトスピーチを規制する法律はない」(本来ならあるべき、という特定観点の押しつけ)、2.国連の勧告や学識経験者、政治家などの専ら「規制すべし」という意見のみを寄せ集め、あたかも社会的合意が存在するかのような客観性を付与し、3.そして在日韓国人に対する「事例」のみが延々と連ねられていた、4.恐らく反感を持った人が付け加えたのでしょうが、それらは「対馬について」「沖縄について」などと矮小化、項題の偽装が施されていた。全体構成を提供しうる信頼できる研究が皆無に等しい(か、少なくとも合意の構成が不可能な)状況下、この際はっきり言わせていただきますが、完全に政治利用目的の立項だったと私は疑っております。--Hyon Hyoro(会話) 2015年5月30日 (土) 00:57 (UTC)
日本の団体なぜか、在特会には出典のないまま糾弾的な内容が多く、しばき隊関連には自団体のWebサイトをフルに活用した宣伝的記述が見られましたので、修正をしています。どちらの団体にも、ヘイト的な発言や行動が見られ、逮捕者も出ています。どちらかに肩入れしたような記述はなさらないようにお願いします。--RXX-7979Ⅲ(会話) 2016年6月23日 (木) 06:37 (UTC)
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