ノート:昭和天皇の戦争責任論/過去ログ1
題名を変更しませんかこれは正確には「昭和天皇の戦争責任」じゃないかと思いますが。それとも近代日本の琉球処分などから侵略行為が行われていたので、明治、大正、昭和の3代の天皇の戦争責任を追及するという論、あるいは昭和天皇が果していない戦争責任を今上天皇が責任を持って果すべきという論からという理屈もあるでしょうが、通常は天皇の戦争責任といった場合は昭和天皇の戦争責任じゃないかと思いますがいかがでしょうか。
改名されたようです。なおWikipedia:リダイレクトの削除依頼 2007年6月で天皇の戦争責任のリダイレクトの削除依頼を掛けているのでご意見をお願いします。--目蒲東急之介 2007年6月14日 (木) 08:15 (UTC) 中立性に関する議論中立的な観点で述べているつもりですが、どこが中立的でないか、ここで議論すべきではないですか。議論が煮詰まれば、本文の修正も可能ですが、そうでないならば、いくつか着いているマークは削除するしかありません。Sfwu(2006.9.5) 出典の明記というのは、個々の文について、マークするものじゃないのかな。一番上に、こういう記号を書いている人、是では議論にもならないが。Sfwu 天皇の戦争責任=重要で未解決の歴史的テーマであるという定義は、どこから持ってきたものなのでしょうか? 女性国際戦犯法廷(VAWW-NETジャパン)? それでは文字通り、人民によるリンチ裁判と言わざるを得ませんね(苦笑) --ちとせ 2006年12月28日 (木) 19:14 (UTC) どこから持ってきたものでもありません。私の判断です。ちとせさんは天皇の戦争責任が未解決の問題であることを否定するということでしょうか。戦後、現在まで、多くの人が、天皇の戦争責任について語ってきたし、しかも、それに対する納得のいく結論は出ていないという意味ですよ。一つの見解として女性国際法廷をあげたのですが、反論も併記しているつもりですが。私としてはそれはほぼ自明だと思っていたので、論証は省いています。天皇に戦争責任があるということではなく、天皇の戦争責任の問題が戦後の未解決の重要な問題だという命題ですよ。それについて、議論することには吝かでありません。 とりあえず、ちとせさんの立場を明確にしてくれませんか。--Sfwu 2007年1月1日22時JST 私の立場を明確に言うなら、天皇の戦争責任はとっくに解決された問題です。本人が亡くなっているのに、一体誰に責任を取らせるおつもりですか?日本人全員が責任を取るべきとでもおっしゃるのでしょうか?天皇の戦争責任の問題が戦後の未解決の重要な問題だという命題ですよ。と一方的な主張されるのなら、観点のテンプレートを張らざるを得ませんね。--ちとせ 2007年1月4日 (木) 15:10 (UTC) 残念ですが、私の質問の答えとして、著しく不完全です。どのように解決されたのでしょうか。それについて、どのような意見交換や議論が交わされたのでしょうか。結論だけではなく、もっと具体的に答えるべきではないでしょうか。そもそも、あなたがテンプレートを貼るというのは、記事の内容に問題があるというのではなく、天皇の戦争責任を論じたり、辞典のトピックの一つにあげること自体が問題だという姿勢を示しているように見えます。そういう状況をタブーというのです。タブー化されている問題は、決して「とっくに解決されている」問題ではありません。そのような偏った観点で記事を修正すべきではないと思いますがいかがでしょうか。--Sfwu 2007年1月6日9時45分JST あなたの主張はまったくおかしい。私の考えでは、天皇の戦争責任を問おうという声が一部の共産革命を理想とする共産党と左翼の間にあるのはもちろん事実ですし、それをwikipediaにその団体の主張としてそう記述することには全く何の問題もありませんよ。 日本共産党綱領 http://www.jcp.or.jp/jcp/Koryo/index.html より 「当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。(二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。 」 これを、どの団体がどのように主張しているかを書くことには、全く何の問題もありませんが、一部の団体の主張だけをもって、それが真実のごとく書く書き方は、誤っています。 貴方の偏った世界観を人類普遍の常識として記述するのなら、観点のテンプレートを付けざるを得ないわけですよ。--ちとせ 2007年1月6日 (土) 05:46 (UTC) どうも説明になっていませんね。この引用はどういう意味なんでしょうか。天皇の戦争責任の問題とは少しずれているのではありませんか。あなたが、日本共産党の意見に同調しない(実はしているのでしょうか?)ことと、天皇の戦争責任の問題と直接の関係はありません。要するに、あなたは日本にはそもそも戦争責任がなく、日本の昭和の戦争は正義の戦争、自存のための戦争、あるいはアジアを解放する戦争だったと考えているということでしょうか。そのような意見の日本人が少なからずいることは、本文の中でも指摘されています。しかし、そのような意見が万人の一致する見解ではないということもほぼ論証されています。おかしなレッテルを貼るのではなく、議論に参加するべきではありませんか。それがWikiの趣旨ですから。--Sfwu 2007年1月7日0時7分JST この引用は、天皇の戦争責任を追求しようとするある団体の一つが、どのような意図をもって行っているかを提示しただけです。 私は、あなたがどのような思想を持っているかを問いただしたりはしません。 あなたがどのような思想をお持ちであっても、wikipediaの編集に参加することを拒まれるものではありません。 ただし、主張の記述については、どのような立場の者がどのような主張を行っているのか明確に書くべきです。 「単に、論争に参加するのではなく、論争を描写するべくベストを尽くすべきだ、というものです。」 例えば政治的に論争の的になっているような事柄については、どのような立場の者が、こう主張しており、それに対してはこのような立場からこのような反論がある、という書き方をするべきでしょう。 また、根拠無く、ある特定の意見をさも常識や一般的であるかのように記述するのは止めましょう。 以下のルールをお読みになって、適切な編集をなさいますようお願いいたします。 編集に対する意見 (fromWikipedia:論争の解決) 論争を解決するための最も良い方法は、最初から中立的な観点に従い他者に敬意をはらって編集することで、それを回避することです。偏った編集や不正確な編集を元に戻す (revert) 衝動を抑え、代わりにその編集を改善し、要約で変更内容をうまく説明して下さい。「やじ」や悪態に対して報復し返すことで論争に持ち込むのも止めて下さい。 ひとつの帰結:敵のために書く (from Wikipedia:中立的な観点) 例えば政治的に論争の的になっているような事柄について常に自分の観点を主張しようとして、他の観点がフェアに提示されているかどうかについては気にしない人は、この中立性のポリシーに違反しています。中立性の方針は、執筆者が自分の立場だけでなく、自分と反対の立場についてもきちんと説明するように求めています。このポリシーを守るように努力しなければ、ウィキペディアはいまよりもずっと頼りない情報源になってしまうでしょう。われわれは皆、各人の観点をできるだけ好意的に説明するように努力すべきです。 客観的な視点など存在しない (from Wikipedia:中立的な観点) 客観性についての主張はこのポリシーには含まれていません。特に、このポリシーは客観性なるものがある、(トーマス・ネーゲルの言葉を借りれば「どこでもない場所に立った観点」)そしてその観点から書かれた記事は客観的に真である、 という主張すらもしていません。このポリシーはそういうものではないし、われわれの目的もそういうものではないのです! むしろ、われわれは「中立」「偏りのない」といった概念についてある独特の理解をします。これはわれわれの多くが慣れ親しんでいる解釈とは異なっているものです。このポリシーの主張するところは、単に、論争に参加するのではなく、論争を描写するべくベストを尽くすべきだ、というものです。--ちとせ 2007年1月6日 (土) 23:04 (UTC) ちとせさんの引用はいつも的外れなものですね。私の質問をはぐらかしているようでもあります。本文を訂正すると、不毛な編集合戦に発展しそうな状況なので、じっくりとここで議論しようとしているわけですが、多くのかたがたは勝手に本文を、かなりの低水準な観点で変更した上に、ここでの議論にも応答していない。そして、ちとせさんが、ここでまた的外れな「指摘」のようなものをして、議論が深まりそうになったところで、一般論に還元してしまっているというところでしょうか。私は、不毛で低水準な議論を繰り返すほどひま人ではないんですよ。--Sfwu 2007年1月14日 23:21 (JST) >天皇の戦争責任が未解決の問題であることを否定するということでしょうか。戦後、現在まで、多くの人が、天皇の戦争責任について語ってきたし、しかも、それに対する納得のいく結論は出ていないという意味ですよ。 国会と日本国憲法をあえて無視しないのであれば、大多数の国民も天皇の責任を問わないとする結論を出したと言うことでしょう。もちろんこれを、GHQの策略などと主張する「ごく一部の」方々も居ないわけではありませんので、その旨を書くことは何ら問題ないと思いますが。あと、現在のところ保護依頼は提出されていないようなので、保護タグは一旦削除させていただきます。--ちとせ 2007年1月17日 (水) 12:58 (UTC) >どのように解決されたのでしょうか。 解決されていないという人は「解決=天皇の犯罪人認定」というイデオロギーがあるんじゃないですか? --経済準学士 2007年4月1日 (日) 15:38 (UTC)
法的責任の是非
大日本帝国憲法第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス 経済準学士さんは、冗談を言っているのでしょうか。 たとえば、「聖書に基づけば、神が存在することは明らかでしょう。」と言ったら、だから何なんだということになりますが。Sfwu 2006.10.19 23:12(JST)
大分、壊してますね。Sfwu-- 2006.11.8 22:30 jst 一応、議論してから本文を直します。そうしないと、誤解する御仁もいるようです。 1.天皇の責任を道義的責任か法的責任かと二つに分けることができるのかどうか。 法治国家において、人々の行為は法によって制約されるが、法の根底には道徳があり、強制力はなくとも人々の行為は道徳によっても制約されるというのが、道義的責任と法的責任の区別の理論的根拠と考えられる。しかし、人間の行為およびその責任がこのように明瞭に区別できるためのは、その人間が所属しているある一定の社会においてであり、そしてその社会で確立した権力によって法が強行的に通用している場合に限られる。そのような法が明瞭に確立してない分野における責任を問う場合には、既存の法にその行為が適合して否かという基準は意味を持たない場合がある。 2.特に法的責任を問う場合に、大日本帝国が適切な規範か 昭和の戦争における天皇の責任は、日本国内だけで発生した事件ではなく、国際関係において発生した事件であるので、この場合、法をあたるのならば国際法を考えなければならない。しかし、国際法は法治国家の国内法のように整備されていないし、それを厳格に執行する強制力のある機関も存在しない。したがって、国際政治における責任を法的責任と道義的責任に区分することはあまり意味がない。 3.国内的にも大日本帝国憲法は適切な規範か 大日本帝国憲法は欽定憲法であり、天皇を中心とした日本の権力機構が任意に設立して日本「臣民」に与えたものであるから、天皇の行為の責任を免責する法としては国内的にも不適切である。 4.天皇の責任は政治的な責任である 天皇の責任は政治責任であり、政治責任は結果責任である。 5.これまで天皇に責任があると主張してきた人々は、法的責任を問わず、道義的責任に限定して問題にしてきたという主張は単純な事実誤認である。 大日本帝国憲法の規定に基づいて天皇の法的な責任を免責するというのは一つの意見であるが、天皇の責任を問うてきた人が常にそのような制約の下でだけ議論していたというのは事実誤認である。現に2000年に開催された女性戦犯国際法廷の判決書では、 個人の刑事責任について、部下の違法行為について知っていたか知るべき立場にあったのに必要な措置をとらなかった指揮命令責任の原則を論じ、それに基づいて、レイプと性奴隷制に対して、昭和天皇と8人に有罪、マパニケ村のレイプに対して、昭和天皇と山下奉文に有罪(ただし天皇は実行責任は無罪の判定を下しました。 http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/womens_tribunal_2000/judgment.html として、昭和天皇が法的に有罪であるという判断を示している。 しばらく、反論を待ちます -- Sfwu 2006.11.12 13:54 JST
>東京裁判の裁判長だった人物は「天皇に法的責任はない」と明言した上で、「道義的責任」を問おうとした例があります。 これについて、具体的に引用してください。これは一つの意見で、そうでない意見の人もいるのではないでしょうか。東京裁判は諸国間で有効な国際法が存在するという「前提」で開かれていると思いますので、そういう発想も出てくるのでしょう。 そもそも、今の議論であなたが証明しなければならないのは、東京裁判の関係者を含む、すべての人間が天皇には法的責任はなく、その根拠は大日本帝国の規定だという意見に賛成していたという事実です。一人の人間が天皇に法的責任がないといった(らしい)という話ではありません。
だから、法的責任と道義的責任に分ける意味がないといっているのですが、なぜ繰り返すのでしょう。
いいえ、無効論ではありません。しかし、天皇の責任を問う場合に天皇が決めた「天皇は責任を負わない」という規定は規範として使用できないといっているわけです。 >:政治責任というのが法律的政治構造に立脚したものである場合、法的責任と同義で天皇の場合は問えない。 政治責任というのはもう少し広い意味があるのではないでしょうか。法を何も犯していなくても政治的に悪い結果をもたらせば政治責任を負うことになります。 そもそも、東京裁判で裁かれた戦犯たちは、すべて大日本帝国憲法下の日本の法を犯したからではなく、別の視点で責任を問われ有罪とされたわけです。 >これは民衆法廷ですね。これも明治憲法3条を無視した法律論を超えた議論をしてました。だから「中には明治憲法3条を無視して、法律論を超えて、法的責任を問う者もいる」でいいんじゃないでしょうか? 私はこの法定の当否を問うているのではなく、法律論的な見方から天皇には責任があり有罪だと考える人がいるということを示しただけです。だから、あなたのいう、天皇の責任を問題にする人はすべて道義的責任を問題にしているという主張は事実誤認だということです。これは、意見の問題ではなく事実の問題です。 -- Sfwu 2006.11.12 21:4 JST 新しい書き込みは、上に書くのでしょうか、下に書くのでしょうか。統一した方がいいと思いますが。 「天皇の戦争責任」という言葉で、昭和天皇の日中戦争から第二次世界大戦までの戦争の責任という意味があると思っていました。詳しく書くと昭和天皇の戦争責任のことです。 Sfwu 2006.11.13 22:55 JST
>:Sfwuさんの論旨は「天皇の戦争責任とは、戦争の結果についての責任だ」ということになろうかと思いますが、もしそうだとすれば、天皇と戦争結果との両者にどのような因果関係があったのかを検討すべきではないでしょうか。 井上さんは二重に誤解していますね。まず、「お2人」の「議論」ですが、ここで天皇の戦争責任についての結論を出そうとしているわけではありません。そうでなくて、経済準学士さんの言っている、 >大日本帝国憲法の規定により天皇に法的責任がないことは明らかなので、誰も法的には天皇の責任を問えない。だから、天皇に責任があると考えている人は、道義的責任だけを問題にしてきた。 といったような趣旨の主張について、これを一部の意見としてでなくそのまま本文に書くことが妥当であるかどうかについて議論しているわけです。私は、天皇の責任というのは戦後の未解決の問題だと紹介しているのですから、基本的に各論併記しなければならないと思っています。未解決であるということは、いろいろな意見があるという意味ですから。 もちろん、ある見解が他の見解を圧して絶対的に正しいことが明らかな場合には、あえて各論併記する必要もないと思います。しかし、経済準学士さんの見解は、決してそのような絶対的に正しいとか、この問題について関心を持っているすべての人に共感されているというような見解ではないと思います。そのことを示す端的な例として、私は女性国際戦犯法廷の判決書を紹介しています。だから、経済準学士が他の見解を無視して自説をこの項目で絶対的に正しいものとして展開していることは非常に不適切だといっているわけです。 ところで、井上さんは経済準学士さんの見解に基本的に同意しているように感じたのですがそうなのでしょうか。私は、天皇の責任を問題にする人達で、たとえば社民党でも共産党でも井上清でも家永三郎でも女性国際戦犯法廷でも、法的な責任は問えないことが明らかだから道義的責任に限って問うべきだなどと論じている人は全く思い当たりません。これは、この項目の記述とはなれて自己の興味でお尋ねしたいのですが、そのような見解を述べている人を誰か知っているのならば、教えてくれないでしょうか。 Sfwu 2006.11.22 19:30 JST >法的な責任は問えないことが明らかだから道義的責任に限って問うべきだなどと論じている人は全く思い当たりません。これは、この項目の記述とはなれて自己の興味でお尋ねしたいのですが、そのような見解を述べている人を誰か知っているのならば、教えてくれないでしょうか。 冒頭文等への疑問冒頭に天皇の戦争責任を主張する人々とあり、その主張に
とあるが、これではまるで日本人以外の立場からの主張にとれる。これは、日本人として記述するならば
と記述すべきである。そうでないのならば、日本人以外の記した内政干渉に等しい論であり、甚だおかしい主張である。残りの文章も、ところどころ似た様な観点から記述されていると見受けられる。 『内政干渉? これは被害を被った全ての国の問題だ』と言う意見もあるが、そもそも諸外国への日本の戦争責任自体はサンフランシスコ条約締結で免除・解消されており、外国の介入する余地はないからであるし、『戦争責任の解消はまだである』という議論は別次元の問題で、『天皇の戦争責任』問題から派生したものでもなんでもないので、ここで持ち出すのはおかしい。 天皇への責任問題の是非は兎も角、もう少し日本人としての記述をしてはどうか? この項目は、あくまで日本人の問題として日本国の列記とした日本国籍を持った日本人による議論の記述をすべきであり、それ以外の人間の議論・介入を記述する余地はないし認められない。 それでいて、Wikipediaとして中立的に記述すればよいのである。 だいたい議論の項目であるのに、派生した議論が多すぎて主題の論点を簡潔にまとめられていないというのはどういうことか? 支離滅裂ではないか。派生した議論・事柄の項目に重きが置かれている。論点とその次に国内の主義主張を羅列、整理、紹介し、その後派生した議論の記述をせよ。『戦争の開始時期についての議論』なんてものは、派生した議論であり、本題ではない。『本当に苦痛を与えたか? 責任があったか?』がテーゼではないのか? そのテーゼを語る上で派生した議論について語ればよい。 派生した議論を中心として記述しては少なからず誤解・混乱を与えるだろう。 全て真偽が不明であることを明記し主題を示し、日本人としての議論を記述するべきである。 つまり、最初の項を
などとし、それ以下にその他の議論や論点を補う項を作成すればよい。更に中立・多元的に記述するならば、上記ノートの議論のSfwu氏の意見や、ちとせ氏の共産党からの引用等は多少必要であり、排他されるべきではない。(ただし簡潔明確中立かつ論理的に) と、幾つか考えますがどうですか?--Qoo 2007年3月6日 (火) 05:23 (UTC) 皇族の戦争犯罪訴追の可能性>しかし、不起訴どころか刑事被告人でもなく、容疑者でもなかった昭和天皇に「罪がある」とする主張は、人権上、近代司法上、許される行為なのだろうか?関係者は軽率な行為は慎まねばならないだろう。 定義について「昭和天皇の戦争責任(しょうわてんのうのせんそうせきにん)とは、支那事変から大東亜戦争までの戦争に対して、昭和天皇の戦争遂行に対する責任を追及するべきであるという主張。」とありますが、厳密に日本語として考えると「戦争責任」なのですから「~主張」ではなく「~昭和天皇の戦争遂行に対する責任」までが定義であると思うのですが。
利用者:Tencolarの名でまた荒らし利用者:Tencolarと利用者名を変えて、利用者:Mr.magicが、また荒らしをしています。Mr.magicはPeaceが複数アカウントの不正使用を目的に作成したソックパペット(別アカウント)として利用者:ジンベイの利用者名でも無期限ブロックを受けている常習者。履歴を読めば明らかなのだから、これ以上の荒らしはやめなさい。--Nahotoka 2007年10月11日 (木) 09:50 (UTC) 田中上奏文を出すことの必要性偽書としての話が定着している田中上奏文を天皇の戦争責任の項で出す必要性を感じません。出すのであればその必要性を説明してくださいCheckthere
「昭和天皇の戦争責任を追及する立場の人物が主張する説によれば、戦前の日本は人類の正義に反して世界征服を企み、非人道的な征服戦争を発動して人類一般に対する深刻な損害を与えたとする。」うぐい 2007年10月23日 (火) 17:37 (UTC) 田中上奏文を出すことの必要性を聞いているのです。取引するようなことではないでしょうCheckthere 2007年10月23日 (火) 17:40 (UTC)
保護依頼テンプレについて現在も保護依頼テンプレが貼られているようですが、編集合戦の一方が投稿ブロックとなったことで依頼への対処が終了とされているようですので、はがしておきます。--いたる 2007年10月28日 (日) 14:24 (UTC) 昭和天皇の戦争責任を追及する立場の節の注釈について「世界征服」という文字に対する注釈が意味不明なので除去しました。引用部は、天皇と国民とのあるべき関係について述べ、昭和初期から行われた天皇神格化を否定するという文脈にあります。この「世界ヲ支配スベキ運命」は具体的な政策を示すものではないので、何の説明にもなっていません。 --Yhiroyuki 2008年1月29日 (火) 13:29 (UTC) |
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