ノート:松本市立波田中学校
熱心すぎでは?相当の労作ですね。できることなら、すべてを包摂したいのですが、いかんせん内容に偏っていて、結局、この中学校がどういった特筆性を持つのか不透明になっている印象です。ウィキペディアは学校誌ではありませんので、一部冗長な記述を整理し、場合によっては記事を分割するのが、よいと思います。--Damena 2010年4月2日 (金) 02:54 (UTC)
なるほど初版立項者です。上記のご指摘を受けてみれば、新制中学成立時のことについて、しかも全国共通のことについて、ずいぶん言及しすぎかなという気もしますね。いずれ対処しましょう。 「この中学校がどういった特筆性を持つのか」は、むずかしい問いかけです。平凡な公立中学だと思います。ただ、校区となる波田地区は、1960年代ころまでは純農村地帯で農家の子弟がほとんどでした。その後は農家でない家庭も増えて・・・。そういう校区の変化も「特筆性」と言えるほどのものではないか? 「1976年以前に情報が偏っています」とのご指摘もあります。初版立項者は、参考文献にあげた『波田中学校三十年誌』の出版時には、すでに県外で社会人をしており、教育界にはいません。そのため、波田中学校のその後の情報に欠落があるとのご指摘は、私には解決困難です。主として『波田中学校三十年誌』を参考にし、幼児期や在校時の体験・記憶にもとづいた記述も加えました。 「中学校の校舎確保に悩んだ自治体の長が自殺に追い込まれたという話」については、若い時代に聞いたことであり、今回の記述にあたって裏を取りたかったのですが、取りきれませんでした。 機会がありましたら、内容の改善に努めます。ジガンザン8108.2010年4月5日(月)05:35(UTC)
内容の整理について7年前にも冗長な記述の整理が提案されているようですが、現在も沿革の新制中学校の発足・学年進行に伴う経過措置・<六・三・三・四制>の確立といった波田中学校と直接関係の無い内容が残ったままになっているのを拝見すると各セクションの改善がなされていないようです。また、wikiプロジェクト:学校/中学校テンプレートの体裁に合わせた修正を試みましたが、あまりに記事の分量が多いため加筆修正が不十分になっています。以上の点より、修正依頼タグを追加させていただいたと共に、出典に基づいた内容の整理をお願いいたします。--従六位上河内介(会話) 2017年11月20日 (月) 10:27 (UTC)
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