ノート:横浜市営バス港南営業所

2系統における「疑問点」について

#沿革の「1966年(昭和41年)4月18日 2系統(横浜駅 - 大船駅)運行開始」の項目と、#2系統_2の説明に正確性の点で疑問があると考えられる根拠は次のとおりです。

(1) 「神奈中や江ノ電、…1966年(昭和41年)に市営が新規参入した。」

  • 横浜市営バスが「鎌倉街道上」に路線を取得した時期は昭和3年と考えるのが妥当(横浜市営交通八十年史283頁~)。
  • 昭和3年当時は弘明寺以西を除き民間路線との競合はなく、むしろ戦後の事情で市営区間に民営バスが乗り入れて競合になった。(神奈川中央交通60年史1頁、横浜市営交通八十年史同341頁、同366頁)
  • 弘明寺以西についても競合関係にあったのは「相武自動車」と考えられる。(同)

(2) 「開業時は…大船駅を結んでいて」

  • 昭和20年に横浜駅前~弘明寺で運行を開始したと記録があり(八十年史年表)、これが事実上2系統の「開業時」と考えることができる(但し「2系統」とは書かれていない)。
  • 「横浜駅前~大船駅前」が年度末系統表で初めて確認できるのは昭和29年度(前年度は「横浜駅前~大船」)(「事業概要」)。

ただ、次の理由により、現在の記事の言及範囲に沿った形での修正は難しいと考え、行いませんでした。

  • 「2系統」という呼称は昭和24年制定の系統番号制によるものであり、それ以前の経緯を結びつけることは解釈や推測に頼らざるを得ない。
  • 複数資料の複数箇所から解釈または推論することは、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料に反する。
  • 資料が一次資料・準一次資料だけに依存することになり、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源に反する。
  • これらの点を明確に記した「信頼できる二次資料」は、思い当たるものがない。

このため、修正についてはどなたか編集経験豊富な方に委ねたいと思います。

なお、

  • 「1974年(昭和49年)、横浜駅…に分けられ」の時期は事業年報に照らすと昭和48年が正当とわかりますが、ここは先に修正するとかえって修正しにくくなってしまうと思い、あえて手を加えませんでした。
  • 昭和20年の「横浜駅前~弘明寺」を2系統を結びつけた資料は、一応ありますが、百科事典の出典とするには信頼性に疑問があると感じます。これについては#資料の信頼性についてをご参照ください。
  • 本文中の「地下鉄1号線の開通前時点では市営バス全体でも最混雑区間の1つに挙げられる程賑わい」と「横浜駅 - 大船駅の直通便は江ノ電との競合や道路事情の悪化によって徐々に減り」の部分についても、根拠が示されておらず、正確性に疑念を感じざるを得ないと思います。

--240B:11:1380:F700:ACF4:4EDC:FABF:84CD 2025年3月31日 (月) 13:07 (UTC)--240B:11:1380:F700:ACF4:4EDC:FABF:84CD 2025年3月31日 (月) 15:33 (UTC)(追記・一部表現修正等)返信

資料の信頼性について

出典[7]に挙げられている「路線の歴史」という資料は交通局自身によるものだと思いますが、信頼性には疑問があり、百科事典の出典とするにはやや不適当だと思います。理由は以下のとおりです。

  • 全体に、広報的な目的で「一目見て歴史を感じる」ことに主眼を置いたものと思われ、正確性が重視されていない。
  • 現行の系統番号制度が始まった昭和24年以前の記述にも現行の系統番号が付けられているが、末尾の注記に「運行開始当時の系統番号及び路線を表示」とあり、矛盾してしまっている。
  • 現行の系統番号と戦前の系統番号は異なるので、その点でも矛盾してしまっている。
  • その他の点でも、「横浜市電気局事業誌」や「事業概要」「事業年報」等と食い違う点(誤記を含む)が複数ある。 たとえば、
    • 昭和11年の「三ツ沢-横浜駅-関内循環線」は5か月足らずで廃止されているにもかかわらず【1系統】とある。
    • 昭和22年の「横浜駅-杉田線【68系統】運行開始」は4系統の誤り。
    • 昭和25年の「桜木町駅-亀の橋-磯子線【55系統】」は実在しない(21系統と昭和36年の55系統の混同と思われる)。
    • 昭和31年の「磯子車庫前-横浜駅前線【58系統】」は昭和36年の誤り(日付も誤り)。
    • 昭和45年の「横浜駅西口-三ツ沢下町-新横浜駅前線」の「三ツ沢下町」は「三ツ沢西町」の誤り。

など

他の記事(ページ)でも使われていますが、注意が必要だと思います。--240B:11:1380:F700:ACF4:4EDC:FABF:84CD 2025年3月31日 (月) 13:10 (UTC)返信

113→107の系統番号変更の理由

横浜市営バス港南営業所#沿革の1972年のところに、「横浜市電の代替路線である現・113系統に番号を充てたため」とあり、旧113系統を107系統に変更した理由が明確に市電の代替路線と関係があるように書かれていて、しかも「充ててしまったから変えた」というニュアンスになっていますが、このように断言できる根拠があるのか疑問に感じます。

しかも出典がありません(付いてはいるが後付けでしかも無効な出典)。

旧113系統を107系統に変更したことまでは確かに「のりあい自動車」196頁で確認できますが、そこでは市電の代替路線に使用する(した)ためだと書かれているわけではなく、解釈によってそう推定できるにすぎません。

このように断言できるような直接の言及をしている資料があればよいとは思いますが、どうなのでしょう。

なお、 http://blueline.web7.jp/pdf/OBusno06.pdf でほぼ同じことが書いてありますが、これは個人サイトで掲載しているものですから、もしここを根拠にしたのであれば検証可能性#自主公表された情報源に抵触すると思います。

またもし編集者が推定したものなら独自研究は載せないに当たる可能性があるのではないでしょうか。

いずれにしても正確性の点で違和感を感じざるを得ず、「疑問点」にさせていただきました。--240B:11:1380:F700:108:1046:5317:A569 2025年5月10日 (土) 02:59 (UTC)返信

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