ノート:無条件降伏/過去ログ1
「無条件降伏でなかったという説」について近年「日本は降伏の条件を認めて降伏したのであり、これは有条件降伏(ゆうじょうけんこうふく)である」と言う珍説が現れているが、って珍説といいほどおかしいのですかですか? --以上の署名のないコメントは、61.192.151.195(会話/Whois)さんが 2005年6月21日 (火) 12:58 (UTC) に投稿したものです。 「無条件降伏でなかったという説」と言うのは、いったい誰が言い出したのでしょうか?インターネットで稀に見られる言説ですが、この説を著名人が言い出した訳ではなく、インターネット上でしか扱われない珍説なら載せる価値なんて無いと思いますが。降伏の形式がどうであろうと戦後日本の現状を鑑みれば、無条件降伏を行ったと言って何ら問題ないものですし。無論、ちゃんとした有識者が言った説なら全然問題無いですが、それは誰なのかの明記が必要です。222.149.22.251 2005年7月4日 (月) 13:09 (UTC)
2008年10月5日(日)02:20編集の件
不適切な出典の削除「無条件降伏であったとする説は、軍隊が国家の組織であることに基づいている。これは、軍隊の行為と国家の行為は区別できず、それぞれが行う無条件降伏同士には違いはないという考え方であり、現在の日本政府の解釈もこれに準ずるものである。」の出典として、
が挙げられていますが、不適切な出典である為、削除しました。適切な出典の提示をお願いします。--廿粁 2009年4月20日 (月) 02:01 (UTC)
日本国の定義と無条件降伏「独自研究」タグが塗布され、また「独自研究」とのことで削除されたりしているのですが。この項目、引用元が十分に記述されており、また記述された内容が常識的と思うのですが。--大和屋敷 2009年5月21日 (木) 01:42 (UTC)
すいません。ちょっとおっしゃっている論旨がまったく理解できません。もう一度おねがいします。--大和屋敷 2009年5月22日 (金) 00:44 (UTC)
すみません読めない漢字があります。議論をお願い致します。私が上で提示した点について明示いただければ助かります。①~③は単なる言説上の修辞であるならば④だけでもけっこうです。--大和屋敷 2009年5月23日 (土) 02:02 (UTC)無条件降伏について改めて調べてみるに、単に「勝った負けた」だの「恥だ恥でない」といった感情的な趣旨で「無条件であったのかどうか」が重要なのでは全くなく、日本国にとってもっとも「無条件であったのかどうか」が焦点になるのは領土問題(講和条件)ではなかったのかと考えます。ユーゴスラヴィア王国の崩壊に関する論文を偶々(たまたま)発見したのですが、「 講和条約を締結する場合、(国家が無条件降伏をしているとすれば)戦勝国にこの条件で条約を受諾せよと提示された場合、法理論的には受諾しなければならない(昭和26年2月21日、第10回衆議院外務委員会外務事務官条約局長 西村熊雄)」のであって、無条件降伏に関する記事で領土問題を触れない手はないという印象を今のところ持っております。 資料追加:とりあえず分
日本外
--大和屋敷 2009年5月23日 (土) 03:09 (UTC)
なぜあなたは何度も同じことを繰り返すのですか。もう一度言いますが、引用元が明らかで信頼できる出典から中立的に引用された記述を「貴殿の独自の考えにもとづいて」勝手に削除する行為は「独自研究」にあたります。誰かが貴殿の投稿(小堀桂一郎氏の書籍からの引用)箇所をいきなり削除したら、貴殿も一旦もどして削除の理由を質すでしょう?ですから私も貴殿に再三伺っているのです。なぜ、引用元が明らかで信頼できる出典から中立的に引用された記述を削除されるのですか?理由をご説明下さい。--大和屋敷 2009年6月13日 (土) 07:55 (UTC)
まだやってんですか?国会議事録の検索システムについては以前よりご案内いたしておりますので、ご自身で検索いただくのが早いのですが、あえてのご質問のようですので、当該箇所は昭和二十六年二月二十一日(水曜日)の衆議員外務委員会において菊池義郎委員から『西村条約局長にお伺いいたしますが、無条件でもつて降伏いたしました場合は、講和条約の内容につきましても、日本は法的にはまつたく異議をさしはさむ余地がないものかどうか。これも抽象的意見でありますが、この点伺いたい。』(発言番号10)に対して、西村『御質問のように、私どもとしては五年前に無条件降伏したことは、絶えず念頭に置かなければならないことと存じております。これは条約問題を考える場合にも、その事態はお互いに忘れないで考えて行きたいと思つております。しかし今日対日平和問題について指導的な役割を演じておるアメリカは、今度の使節団の意向にも現われておりまするように、講和問題について日本とコンサルテーシヨン――話合いで日本側の希望を聞きたい、こういう態度に出ておられるわけでありますが、無条件降伏の事実を念頭に置きつつ、しかしながら今申し上げましたようなアメリカの態度というものを考慮に入れて、平和問題を処理して行かなければならないと考えております。』(発言番号11)菊池『今のお答えは、法理を離れての道徳的なお話でありまするが、無条件降伏した以上は、結局そうすると、法理的には異議をさしはさむ余地はないということになるわけでありますか。』(発言番号12)西村『法理論のところは、突き詰めて行けば、無条件降伏をした国であるから、連合国の方でこういう平和条約をつくりたいから、これを受諾しろと言われた場合には、受諾しなければなるまいという御質問だと存じます。私は【法理論としては】さよう心得ております。』(発言番号13)とあります。はっきりと書いていますね?なお、お分かりになっていないのかもしれませんが、西村氏は(むろん私も)日本国が「(講和条件を一切おかない完全な)無条件降伏をした」とは一言も行っていませんよ?言っていませんよね?どこにも。日本国の場合は「(ポツダム宣言を受託する形での)条件付の無条件降伏」というのが有力なのじゃないのですか?どうも廿粁さんからは「日本国は条件付休戦であって、断じて条件付無条件降伏ではない」という立場を強力に推し進めようとする編集方針から、都合の悪い言説を排除しようとする意志が見えてならない。べつに廿粁さんの思想信条はご立派だと個人的には思いますが。条件付休戦なら条件付休戦で結構なのですよ私は。そのような有力な学説もございますし。--大和屋敷 2009年7月30日 (木) 10:02 (UTC)
あーそちらの論点ですか。やっと見えましたよ。なるほどその観点(日本固有の問題と一般論)からは軽率な一文でした。[23]のp.11に、【「ポツダム宣言が無条件降伏とすれば、日本から固有の統治権は失われたと考えられるから、当然にこの説におちつくことになる」と長尾龍一説を引き・・】云々とあり日本固有の話題ではなく一般論を前提とした法理論が提示されているように読めます。ただし文脈の読み方の問題と言えばそのとおりの程度の扱いであり微妙といえば微妙ですかね。--大和屋敷 2009年7月31日 (金) 03:55 (UTC)
そこが全く理解できないですね。この編集時点[24]にもどし、より正確な文言『(日本国が)講和条約を締結する場合、(国家が無条件降伏をしているとすれば)戦勝国にこの条件で条約を受諾せよと提示された場合、法理論的には受諾しなければならないと外務省条約局は判断していた(脚注)昭和26年2月21日、第10回衆議院外務委員会外務事務官条約局長 西村熊雄。』程度として記載しておくべきでしょう。--大和屋敷 2009年8月1日 (土) 02:14 (UTC)
不適切な出典の削除「国家が無条件降伏の(下略)」の出典が不適切ですので削除し一連の記述をコメント化しました。それに続く文と合わせて適切な出典の提示をお願いします。--廿粁 2009年5月26日 (火) 00:53 (UTC)
降服について降服について降伏へと書換えられましたが、この日本国の「無条件降伏」は微妙な問題であり適切な用語が誤解を招く機会を減らすとの思いから、出典先の正しい用語へ戻しました。--廿粁 2009年5月26日 (火) 00:53 (UTC)
(インデント戻し)「聯」という文字は他の場所でも「連」と使い分けるべきかどうかで議論が出ているようです。こちらを待ってから文字のほうは解決してはどうでしょうか。 出典があるから「降伏」を使うというのは頷けます。実際、普段我々が使うであろう言葉では「降伏」のほうが多い(私の主観ですが)でしょう。ここで何故「降服」を使うべきかをもう一度整理して、こういう理由から「降服」を使うのが妥当であるという提案を行ってください。おそらく出典は新法律学辞典を指しているのだと思いますが、ご面倒でももう一度出典元をノートで明記していただけますようお願いいたします。--アルトクール 2009年6月1日 (月) 03:54 (UTC)
(コメント)大和屋敷さんの張られたリンクは京都大学教授永井和さんのサイトのようです。業績から見てWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源の「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。」に該当すると思われます。ちなみに同一サイトに降伏文書調印にあたっての天皇の詔書の原本写真が掲載されています。これを見る限り「降伏文書」という文字が使われています。--模様砂漠2 2009年6月4日 (木) 04:58 (UTC)
聯合と連合の表記
コメント依頼から来ました。地の文では可読性を優先して「連合」に統一するべきだと思います(…私自身、恥ずかしながら、最近まで「聯合ニュース」を「そうごうニュース」と読み間違えていました)。出典とした資料の表記がどうなっているかは、地の文の一部においてのみ「聯合」を採用する根拠にならないでしょう。--Bluebell 2009年8月11日 (火) 14:39 (UTC) 廿粁氏が併記やらルビに拘泥する姿は冀察政務委員会あたりで見たデジャヴがあるなあ。さておき、連と聯の話はここで見たデジャヴがあるなあ。--とおりかかったひと 2009年8月16日 (日) 12:39 (UTC) 出典不明、不適切と思われる記述について「無条件降伏であったという説」の項目下にある「ただし無条件降伏を最初に持ち出したフランクリン・ルーズベルトが当初から一貫して「無条件降伏」の具体的要件について明確化させない方針を採用したことから、「無条件降伏」の要件については今日でも議論がある。」について、前の文を受けたようでもあるが、出典は「フランクリン・D・ローズベルトの無条件降伏論」藤田宏郎(甲南大学法学部 甲南法学48(1)pp.1-36 20070900)」と捉えることが出来るような記述となっています。これについて不明確ですので、説明の上、適切な出典の提示をお願いします。--廿粁 2009年6月15日 (月) 02:06 (UTC)
文献情報メモ(当記事に関係するかもしれない資料、およびメモ)
(以上保管させて頂きます)--大和屋敷 2010年3月1日 (月) 09:02 (UTC) 無条件降伏肯定説からの見解「無条件降伏」説側から、説得力ある見解がでているので、加えてみましたがどうでしょうか。 ポツダム宣言には、「軍の降伏」しか明記がないが 降伏文書のタイトルには「[Title] Instrument of Surrender」 降伏文書八条「The authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander for the Allied Powers」とあり、日本政府と軍を区別せず降伏ついて明記している。 また、ポツダム宣言に掲げられている条項は、「国際法上当たり前の条件である」と「日本側が呑む条件」しか存在しないため、無条件降伏とする見解がある。
出展元として 『国際法辞典』(筒井若水編)の「無条件降伏」の項で、日本軍降伏の根拠としてポツダム宣言、日本政府の無条件降伏について、降伏文書全条文を引用しています。 逆に、ドイツに関しては、国際法上の定義はむしろ「デベラチオ(戦亡)」で無条件降伏ととらえていないようです。 国際法学会編著の「国際関係法辞典」も、やはり降伏文書の項で、日本側が無条件降伏したと記載しています。 国際法書籍では、降伏文書説の方が通説なのでは? >外交条約ですので日本国政府が署名するのは当然ですし 当然とはいえませんよ。政府だけが国家の条約主体とはいえません。 --Cbh87090 2010年11月26日 (金) 07:42 (UTC)cbh87090
ドイツ「軍」の降伏協定のタイトル [Title] ACT OF MILITARY SURRENDER 「日本」の降伏文書のタイトル [Title] Instrument of Surrender 「軍の降伏」で、どっちが「国の降伏」かということですが、明らかです。 国際法学者の分類はドイツは軍のみ降伏。日本は国の降伏というのが認識です --Cbh87090 2010年11月26日 (金) 07:45 (UTC)cbh87090
「第2次大戦の敵対行為の終結に関し,連合国は枢軸国に無条件降伏を求めた.これは,一部の軍隊ではなく一国の 全軍隊を無条件に降伏させるものであり,また,勝者が敗者の政治的,経済的な事項にも明確な影響を行使し,さらに, 戦争の終結および戦後設立する秩序を組織する手段であることから,従来の降伏とは異なるものとされる.」 『国際関係法辞典』の「降伏」の項より引用しましたが、降伏文書を直接の根拠としていませんでした。 これだと恣意的解釈とにりかるませんね。では辞典のことは忘れてください。 しかし、最高裁の判例は、(ポツダム宣言でなく)降伏文書六項を無条件降伏の根拠としてます。こちらはかなり明確です。 昭和24年(れ)第685号・昭和23年政令第201号違反被告事件 ・・・わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印し連合国に対して無条件降伏をした結果、 わが国は、ポツダム宣言を実施するため連合国最高司令官が要求することあるべき一切の指令を発し、 且つ一切の措置をとることを約した(降伏文書六項)
採用ありがとうございます。 個人的には、無条件降伏説のポツダム宣言13条根拠説ばかりとりあげられてて、降伏文書六条に触れている記事がなかっので不満に思っていました。
水交社事件ネットでgoogleったところ、裁判資料がまったく発見できませんでしたので検証不能でした。判例時報などに文献があるようですので、他の方のご尽力により検証よろしくお願いします。--大和屋敷 2011年1月22日 (土) 10:58 (UTC)googleったらまた例の2チャンネルしか出てこないのだけれども[65]415。名無しさんの断定(勝利宣言)の部分を除けば論点では「ハーグ条約は国内法人に適用される」「しかし右条約等は任意法規であり降伏文書の規定が優先し・・・日本は最高司令官の命令に服従しなければならない」と論じられているだけであり、ポツダム宣言及び降伏文書は、日本に国際法上保障された権利を、放棄させるための制限規定である[要検証 ]的なことは書いていないわけで。
さすがに全部の判例紹介しきれないから10個以内に収めたい。協力してほしい。 個人的には、大阪高裁の判例と東京地裁の判例は面白い。この二つは紹介したいな。貴方の意見を伺いたい。 ソースは判例秘書でも買ってください。買えば判例検索はワンクリックででてくるよ。 実務家目指すつもりなら高い買い物でもないから買ったらどうかな。 月曜になったら、「法学では有条件は主流」というミスリーディングな記事を削除してよろしいだろうか。 >そもそもこの裁判は原告の実質敗訴という和解だったとの話しなので判例ではないですよね。 どこの珍説か? 大体、この手の民事は最高裁までいかずに和解になるだろうが、高裁で止まろうとも、地裁で止まろうとも、和解で終わろうとも、出た判決は、裁判所の判断として「判例」になるだろう。
では、「有力」「通説」の類は非常にあいまいであるので 「一部の学者」は訂正させていただきました。 歴史学の世界はどうか知りませんが、法学の世界というのは、判例>>学説の世界なので、判例が完全に無条件降伏の立場では、法学の世界では有条件が有力だはいえません。学会といのうはそうでなくても百花繚乱ですからね。
>判例に関する記事 無条件降伏を主張する判例は数多発見され、特に201号政令の効力を争う事件も星の数ほどあるため、今紹介させられている判例がもっとも適当な判例であるともいえなくなってきました。ゆえに一旦削除して、もう一度整理、一旦削除しました。 なお、公平を期すため有条件降伏を主張する原告の見解も追加記事にしました。
いや、編集合戦なんて忙しい俺からしても願い下げだよ(笑 若干誤りのある記事なら、君に任せてもかまわないと思っているんだが、完全な誤り、論理矛盾の記事で酷すぎる部分が至る所にあるから「直してあげている」だけで アホな記事が至る所にあるが、時間無いのでまず明らかに恥ずかしい五点だけ削除ね。 これを再編集したいと君が言うなら、まず俺に相談してくれ。論理矛盾と法的な誤りがなければ通すから >歴史的断絶(w 占領されたくらいで歴史が断絶するのかあ。こんなのドイツ人がみたら怒るだろう。馬鹿w 「征服」とは、領域的権原を発生させる法的効果を持つ法律用語(アルマ国際法p157)だが、「歴史の断絶」を起こすようなアホな法的効果はない。 つーか。署名→征服とまで国際法の話なのに、なぜ突然、同一文の中で歴史の話になる?。ありえない論理的齟齬だろう。こういうミスは法学以前の問題だぞ。 よって、恥ずかしいから速攻削除。どうしても歴史的断絶とかいいたいなら、独自のブログでやってくれ。
>判例は日本政府がGHQの指示に従う必要性について一貫して認定している。 確かにそうは言っているが、それが判決の本旨じゃないだろ。こんな認定は降伏文書六条みりゃ誰でもできる。こんな幼稚園児でもできる認定のために、法ted'の最高権威である判例を記事にしたらこの議論自体が馬鹿だと誤解されかねない。不要。 >慰安婦と国外戦災者は「無条件降伏」を主張する。 どこの判例にそんなの書いてあるんだ?ソースプリーズ。でてくるまで削除ね。判例読めよ逆だよ逆。そもそも国賠においても過失責任主義が妥当するから、原告は無条件降伏説に立つと不利なんだよ。原告連中の主張は「戦後、国内外問わず連合国に酷い目に遭わされたが国は何も助けてくれなかった。日本は有条件降伏していただけだったから国民を保護する義務があるはずだ。放置していた責任とれ。賠償だ。」一方、国は「お気の毒ですが、当時の日本は無条件降伏をしていて貴方達を助けることをしたくてもできませんでした。よってあの当時の政府に責任はありません。」だろ? もちろん原告はすべての場面で無条件降伏について争ってる訳じゃないけどな。とりあえず、今のところは誤読か嘘かということで削除。 >水交社事件の注 おいおい。なんだこのとぼけた引用は。超有名判例だから、いくら君でもまさか引用に誤りがあるとは思わなかったんで今まで確認してなかったよ。もしかして先の妄想は、この引用から派生した妄想か? 老婆心ながらいわせてもらうが、君が引用したのは「判例」じゃないんだよ。そもそも。水交社事件と水交社事件の判例は全く別ものだとわからんか。判例とは「最終的な裁判所の判断」だ。事件そのものじゃない。君がなぜかやたらと強調している和解したとか慰安婦とかそんなのどうでもいい。事件そのものが判例という根本的な誤りは即時削除で問題なし。俺が正確な判例引用してやるから、きっちり大意を汲んで直しとけ。次はお前を信じるから。↓ 長文なので折りたたんであります。見るには右の[表示]クリック
【ID番号】 02130049 土地建物所有権取得無効確認及び所有権取得登記抹消並に引渡請求事件 【事件番号】 東京地方裁判所判決/昭和34年(ワ)第8428号 【判決日付】 昭和41年2月28日 【判示事項】 1、占領地の私有財産没収禁止の原則は国際法上の強行法規か 2、降伏文書と連合国総司令部の昭和23年3月1日付日本政府宛覚書「解散団体所属財産の処分に関する件」との関係 【判決要旨】 1、占領地の私有財産没収禁止の原則は国際法上の強行法規ではない。 2、連合国総司令部の昭和23年3月1日付日本政府宛覚書「解散団体所属財産の処分に関する件」による指令は降伏文書により連合国最高司令官に付与された権限の範囲内に属し、国際法上適法である。 【参照条文】 日本国の降伏文書、ヘーグ陸戦法規条約46 連合国総司令部の日本政府に対する昭和21年1月4日付覚書(AG091) 昭和23年3月1日付覚書(AG386・7) 昭和21年勅令101号4 昭和23年政令238号3 【参考文献】 下級裁判所民事裁判例集17巻1~2号108頁 訟務月報12巻4号475頁 判例タイムズ190号140頁 判例時報441号3頁 【評釈論文】 国学院法学4巻4号197頁 ジュリスト373号238頁 ジュリスト378号152頁 判例評論93号1頁 主 文 原告の被告らに対する請求は、すべてこれを棄却する。 訴訟費用は、原告の負担とする。 事 実 第一、原告の申立 原告訴訟代理人は、左記判決およびその第三項に限り仮執行の宣言を求めた。 一、別紙物件目録(省略)記載の不動産(以下、本件不動産と略称する)につき、原告が所有権を有することを確認する。 二、被告財団法人東京メソニツク協会は、原告に対して本件不動産につき所有権移転登記手続をせよ。 三、被告財団法人東京メソニツク協会は、原告に対して、本件不動産を明渡せ。 四、訴訟費用は、被告らの負担とする。 第二、被告らの申立 被告ら訴訟代理人は、第一次的に左記判決を求め、第二次的に主文同旨の判決を求めた。 一、本件訴を却下する。 二、訴訟費用は、原告の負担とする。 第三、被告らの本案前の主張 被告ら訴訟代理人は、本案前の主張として次のとおり述べた。 原告は、当事者能力を欠くから、本訴は却下さるべきである。即ち、原告は、昭和二〇年一二月三一日解散して、清算法人となつていたところ、同二一年八月二九日内務省告示第一二四号でいわゆる解散団体に指定された結果、法令上解散した。そして同二三年三月一日付連合国最高司令官総司令部(以下、総司令部と略称する。)覚書(AG三八六・七号)に基く同年八月一九日付政令第二三八号解散団体の財産の管理及処分等に関する政令により「解散団体の動産、不動産、債権その他の財産は国庫に帰属し、これを目的とする留置権、先取特権、質権及び抵当権は、消滅する」ものとされ、また、解散団体の債務についても、国家機関である法務総裁が右政令の規定により弁済し、清算するものとされた。(なお、前記政令第一六条は、法務総裁が解散団体の財産にして国庫に帰属したものの「管理、保全、維持、調査、回収その他の事務を都道府県知事又は解散団体財産売却理事会に行わせることができる」ものどし、これに基き右理事会を設置して、前記事務を掌らせた。)したがつて、この解散は特殊の解散であつて、同二一年八月二九日の告示と同時に完全に法人格を喪失し、以后は清算法人としても存続しないのであるから、原告はもはや当事者能力を有しないものというべきである。 第四、本案前の主張に対する原告の反論 原告訴訟代理人は、被告らの本案前の主張につき次のとおり反駁した。 一、原告の解散の経緯に関する被告ら主張の事実は認めるが、好ましからざる或種団体は、直ちに解散せしめらるべし(will beimmediately dissolved)との総司令部の昭和二一年一月四日付覚書(AG○九一)は、これに基き日本政府の発した同年二月二三日付勅令第一〇一号の第二条と相俟つて解すると、右の解散は、法人についてはわが民法にいう解散そのものにほかならない。しかも、占領中の連合国による目本の統治管理は、日本政府を機関として行わしめる間接管理方式をとつたので、特に総司令部の指令により改廃されない限り日本の現行法令は、そのまま適用されたのである。そして、民法七三条および破産法四条によれば、解散した法人は、直ちにその法人格が消滅するのではなく、清算又は破産の範囲内において、なお法人格が存続することが明らかである。 二、被告らは、解散団体の債務につき、法務総裁が政令の規定により弁済し、清算することを以て、原告が昭和二一年八月二九日の内務省告示以後清算法人としても存続しないことの一根拠に挙げている。しかし、解散団体の債務が解散後も存在すればこそ、その弁済ということがあり得るのである。(なお、その債務を、国が承継したと解すべきでないことは、その旨を規定した法律やポツダム政令等がないことからみても明らかである。まして、承継ではなく、債務が消滅するから、これに対する債権の損失補償をすることを規定した趣旨であるなどとは、右政令が明瞭に債務を支払うという字句を用いていることからみても、到底考えることができない。)このように解散団体の債務が存続する以上、債務の主体としての団体、即ち原告のばあい法人が、解散後も清算の範囲内で存続するものと解するほかない。ただこの場合、解散した法人の機関が自ら債務弁済等の清算事務を行わず、他の機関が行うことになつているが、かかる例は、破産の場合に破産管財人が破産者の財産を管理処分し、その収入金のうちから破産債権を弁済してゆくことにも見ることができ、理論上も可能というべきである。 三、よつて、原告は、右解散以降も清算の範囲内で法人として存続するから、何ら当事者能力に欠けるところはないのである。 第五、原告の請求原因 原告訴訟代理人は、請求原因として、次のとおり述べた。 一、原告は、旧海軍の高等武官及び高等文官、並びにかつてそれらの者であつた人々により組織された社交クラブであつて、 「海軍に関する学術の研究を為し、又社員相互の友誼を敦うし、及びその便益を図るを以て目的」とし、昭和三年五月一日主務官庁の許可を受けて設立せられ、同年五月一一日その設立登記を了した財団法人である。そして、その事業の主なるものは、 (一) 講話会其の他集会の開催、(二)機関雑誌及び図書の発行、(三)物品の配給、娯楽、宿泊の設備及び住宅に関すること等社員の便益を図る事項であつた。而して、本件不動産は、設立の当時から原告の所有に属し、原告の前記事業の本拠をなした社交クラブハウスである。 二、(一)、終戦後米軍の進駐に伴い、本件不動産も米軍の接収するところとなつたが、原告の財団法人としての事業活動及びその性格が官としての軍の事業とは全然別個であり、財政的にも独立していたため、その接収の形も賃貸借契約により、原告に賃料が支払われていた。そして、昭和二一年一月四日総司令部より日本政府に対し、「或る種の政党、協会、結社及び其の他の団体を廃止」すべき旨の指令(覚書AGO九一)がなされた際にも原告は、右に所謂「廃止せらるべき団体」の中には含まれていなかつた。しかるに、その後約七ケ月を経て総司令部の態度は俄かに変化を生じ、同年八月二日総司令部より日本政府に対して原告を前記「廃止せらるべき団体」の中に追加指定して来た。そこで、日本政府は、同年勅令第一〇一号「政党、協会、その他の団体の結成の禁止等に関する件」に基き、同年八月二九日付内務省告示第一二四号を以て、原告を廃止せらるべき団体として追加指定した。(但し、原告は、右追加指定の前年である同二〇年一二月三一日に目的事業の成功不能により解散しており、同二一年二月一三日に解散登記を了していた。)さらに、総司令部は、同二三年三月一日付覚書(AG三八六・七号)を以て、前記覚書および勅令により解散された団体(以下、解散団体という)の一切の財産権が同日限り日本政府に移転さるべき旨を指令し(第四項)、日本政府はこれに基き同年八月一九日付政令第二三八号「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」により、原告の本件不動産を含む解散団体の一切の財産を国庫に帰属させ(第三条)、法務総裁がこれを管理し、広く公告の上、入札の方法によつて売却することとなつた(第七条第三項)。ただ総司令部はその後同二四年八月二六日付の覚書を以て、日本政府に対し、医療、教育、宗教、慈善又は救護の事業を営む者が解散団体の被没収財産を使用せんとする場合は、随意契約によることが出来るよう改正すべき旨の指令を発したため、これに基き前記政令の条項は、同年一〇月一七日政令第三五一号第一一条第二項によつて、右指令に添うよう改正された。 (二)、しかして、同二五年四月一四日に宗教法人令(同二〇年勅令第七一九号)により日本の宗教法人として設立された被告東京メーゾニツク・ロツジ協会(以下、ロツジ協会と略称する)なるものが、同二五年六月三〇日随意契約によつて、被告ら補助参加人国から本件不動産を、代金八〇〇〇万円、二回に割賦延払の約で売却を受け、同年七月二日その第一回の割賦金二〇〇〇万円を払込み、一応その所有権を取得した形をとり、同年八月二五日東京都知事の嘱託によつてその旨の所有権取得登記がなされた。 (三)、ところが、被告ロツジ協会は、昭和二七年一〇月二日解散して清算法人となり、同三〇年一〇月二五日本件不動産を含むその一切の財産を新たに設立されようとしていた被告財団法人東京メソニツク協会(以下、メソニツク協会と略称する)に対して寄附し、被告メソニツク協会は同三一年一月七日設立登記を了え、本件不動産については、同三二年一一月五日所有権取得登記を完了した。 三、ところで、一九〇七年ヘーグ第二回平和会議の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(明治四五年一月一三日公布、以下、陸戦法規条約と略称ける)は、一八九九年へーグ第一回平和会議の同名の条約(明治三三年一一月二二日公布)と共に、当時既に万民法として文明国の間に成立していた陸戦慣習法規を確認声明したものであつて、確立された国際法の原則であるから、日本に進駐した占領軍も当然これに従わなければならないところ、右両ヘーグ条約の[陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」各第四六条第二項には「私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ズ」と規定され、この陸上私有財産不可侵の原則は、基本的人権の根本に関する鉄則である。したがつて、総司令部が日本政府に対してなす指令は、右陸戦法規第四六条第二項より下位の法規として、その拘束を受くべきものである。ところが、本件不動産の如き陸上私有財産を、何ら補償することなくして日本政府に帰属せしめた総司令部の前記覚書(AG三八六・七)による指令は、没収にほかならないから、著しく国際法に違反した行為であつて、法律上無効であるといわなければならない。 よつて、右覚書に基き発された昭和二三年八月一九日付政令第二三八号第三条による本件不動産の国庫帰属は無効であつて、本件不動産の所有権は、依然として原告に帰属するものである。 四、しかるに、被告メソニツク協会は、前記のとおり本件不動産につき所有権取得登記を了し、今日もなお登記簿上の所有名義人であり、且つ、本件不動産を占有している。 五、よつて、原告は、被告メソニツク協会との間において、本件不動産の所有権が原告に存することの確認を求めるとともに、同被告に対し、所有権に基き、本件不動産の各所有権移転登記手続をなすべきこと、および本件不動産の各明渡をなすべきことを求め、また、被告ロツジ協会は、本件不動産の前登記名義人であつて、原告の本件不動産の所有権を争うので、原告は同被告との間においても、本件不動産の所有権が原告に存することの確認を求めるため、本訴に及んだ。 第六、請求原因に対する被告らの答弁および主張 被告ら訴訟代理人は、請求原因に対する答弁および主張として、次のとおり述べた。 一、請求原因に対する答弁 (一) 請求原因一の事実のうち、原告がその主張のような海軍関係の財団法人であること、本件不動産がもと原告の所有であつたことは認めるが、その余の事実は不知である。 (二) 請求原因二(一)の事実のうち、総司令部が原告を追加指定したのは総司令部が俄かに態度を変じたためであるとの点は不知、その余の事実は、全て認める。 (三) 請求原因二(二)の事実のうち、原告の財産が原告主張の覚書および政令により法務総裁の管理の下におかれ、売却されることになつたこと、被告ロツジ協会が昭和二五年六月三〇日被告ら補助参加人から、原告主張のとおり本件不動産の売却をうけてその所有権を取得し、その旨の登記を経由したことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、随意契約は同二四年一〇月一七日改正以前の政令第三五一号第一一条第二項において既に認められていたものである。 (四)請求原因二(三)の事実は、すべてこれを認める。 (五) 請求原因三の事実のうち、一九〇七年のヘーグの陸戦法規条約が一般に確立された国際法の原則であり、同条約附属書「陸戦の法規慣例ニ関スル規則」第四六条第二項が「私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ズ」と定めていることは、認めるが、その余は否認する(なお、これに関する被告らの法律主張は後記二のとおりである。) 二、被告らの法律上の主張 (一) 陸戦法規条約には、右「規則オヨビ条約ノ規定ハ交戦国ガ悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限、締約国間二ノミ之ヲ適用ス」(第二条)という、いわゆる総加入条項があるところ、今次の世界大戦の交戦国中には、右条約の未批准ないし未加入国が多いのであるから、右条約および規則は、今次大戦に関しては適用がなく、したがつて、連合国軍の日本占領にも適用がないのである。尤も、このことは、陸戦法規条約それ自体の適用がない趣旨であつて、その内容が国際慣習法ないし文明国によつて認められた法の一般原則として、適用されるべきことを否定するものではない。 (二) 陸戦法規条約および規則においては、同規則第四二条に「一地方ニシテ事実上敵軍ノ権力内ニ帰シタルトキハ占領セラレタルモノトス」とあるように、一国の領土が戦闘の継続中に事実上他方の交戦国軍によつてその権力範囲に帰せしめられた場合を占領と定義しており、かかる場合に限りその適用が認められるのである。けだし、かかる場合には、双方の交戦国はまだ戦争を止める意思はなく、占領およびその条件についても双方の間にはいかなる協定もない状態のまま、占領者が敵国の領土において権力を行使するのであるから、その行使を規制することを必要とし、そのために、右条約ないしは国際慣習法によつて、その占領の法律関係を定めているからである。これに反し、今次大戦における連合国の日本占領は、双方の交戦国に予め戦争を止める意思が存し、その第一段階として戦闘を中止することとし、そのために降伏文書(休戦協定)に調印し、それに基いて占領が行われたものである(これを管理占領、保障占領、又は戦後占領ということができる)。したがつて、占領およびその条件についても、双方の交戦国の間には降伏文書という正式な合意があり、占領の法律関係は、この降伏文書によつて決定されるのである。それゆえ、連合国軍による日本の占領には、前記条約ないし国際慣習法の適用はないものというべきである。 (三) 仮りに陸戦法規慣例に関する条約等が日本占領にも適用があるとしても、右条約等は任意法規であるから、降伏文書の規定が優先する。すなわち、降伏文書は日本と連合国との間の国際協定であるが、その第六項は、「下名ハ妓ニ『ポツダム宣言』ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト並ニ右宣言ヲ実施スル為聯合国最高司令官又ハ其ノ他特定ノ聯合国代表ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ発シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス」と定め、同第八項は、「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当卜認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」と規定し、連合国最高司令官は日本の統治権の上に立つて、ポツダム宣言及び降伏条項実施のために適当と認める措置を執る権力を与えられており、日本は最高司令官の命令に服従しなければならないのである。 したがつて、連合国最高司令官がポツダム宣言及び降伏文書の条項を実施するため、昭和二一年一月四日付総司令部覚書をもつて、日本国政府に対し、日本国の侵略的対外軍事活動の支持又は正当化、軍事上の訓練、元軍人に対する特別な利益や発言権の附与、軍国主義や軍人精神の存続その他を目的とする「或る種の政党、政治的結社、協会及び其他の団体の廃止」を指令し、次いで、同二三年三月一日付総司令部覚書(AG三八六・七)をもつて、これらの解散団体の所属財産がすべて日本政府に移転さるべき旨指令して、これらの団体の経済的基礎を除去させ、日本国の民主主義的態勢を確立させたことは、その正当な権限の行使に属し、これを国際法違反とするいわれはない。そして、この解散団体所属財産の処分に関する覚書八G三八六・七)に基き、かつ、同二〇年勅令第四二号「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」に則り、同二三年八月一九日付政令第二三八号「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」が公布されたのであり、同政令第三条によつて「解散団体の動産、不動産、債権その他の財産は、国庫に帰属」するものとされたのであるから、右政令およびこれに基く行為は全て有効というべきである。(なお、右財産の国庫への帰属は、補償を与えないのであるから、これを没収といつても差支えないであろう。) (四) 仮りに、解散団体所片財産の処分に関する右覚書の指令が国際法に違反したとしても、その指令に基く日本国内における法令が直ちに当然に無効となるわけではない。したがつて、その法令に基く日本国内における私法上の権利関係が当然に無効となることはないのである。それゆえ、いずれにしても前記政令に基く解散団体の財産の国庫帰属を無効ということはできない。 (五) さらに仮りに、総司令部の覚書に基く解散団体の財産の日本政府への帰属が、国際法に違反するとしても、日本国と連合国との平和条約第一九条8項により「日本国は、占領期間中に占領当局の指令に基いて若しくはその結果として行われ、又は当時の日本国の法律によつて許可されたすべての作為又は不作為の効力を承認」するよう義務づけられているから、本件不動産の国庫帰属(没収)の無効を主張することは許されない。即ち、本件不動産の国庫帰属は、連合国最高司令官の指令に基づき「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」によりなされたものであるから、日本国は、その行為の効力を承認しなければならない。そして、日本国憲法第九八条第二項によれば、日本国が締結した条約は誠実に遵守しなければならないのであるから、裁判所も日本国の機関として右平和条約第一九条8項により本件不動産の国庫帰属の効力を承認しなければならないのである。 第七、請求原因に対する被告ら補助参加人の主張被告ら補助参加人指定代理人は、法律上の主張として被告らと同旨の主張をした。 第八、被告らおよび同補助参加人の主張に対する原告の反論原告訴訟代理人は、被告らおよび同補助参加人の主張に対し次のとおり反論した。 一、ヘーグの陸戦法規条約にいわゆる総加入条項が挿入されていることは、被告らおよび同補助参加人主張のとおりであるが、右条約は、かかる条項の存する他の諸条約とは異り、当時既に文明国間に多年に亘つて行われ、国際慣習法として成立していた陸戦の法規および慣習を成文化し、宣言したものであるから、総加入条項の有無いかんに拘らず、いずれの交戦国も遵守しなければならないのである。思うに、まず、このことは、右条約が「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」と称し、殊更に慣例という字句が用いられでいるのみならず、同条約の前文には、「陸戦慣習を明確に規定することを目的」とし、「人民及び交戦者が文明国の間に存立する慣習、人道の法則及公共良心の要求より生ずる国際法の原則の保護及び支配の下に立つことを確認する」と述べられていることから明らかであり、また、第二次大戦のドイツ戦争犯罪人を審理した一九四六年二ユルンベルグ国際裁判所が、被告人の総加人条項の主張を斥けて、ヘーグの陸戦法規条約は、「すべての文明国により承認せられたる戦時国際法及び慣習法を宣言したものである」と明言して、これに違反したドイツ戦争犯罪被告人を処罰し、この点について世界の国際法学者が何れもこれに賛意を表している(甲第八号証、参考甲第四号証など)ことからも、明らかである。(なお、仮りに総加入条項の適用があるとしても、被告らおよび同補助参加人が非締約国として列挙した諸国のうち、真に非締約国として認めうるのは、僅か人口百万人の共和国コスタリカが一つあるのみである。) 二、(一)、被告らおよび同補助参加人は、陸戦法規条約第四二条を根拠として、同条約は一国の領土が戦斗の継続中に事実上占領された場合のみに適用があり、戦斗が休止されたのちの占領には適用がないと主張する。しかし、国際法は単なる敵地侵入と占領とを区別し、占領という国際的事実につき、その成立要件と効果を定め、占領者に対して一定の範囲の権力を認むると同時に制限を課するものである。従つて、如何なる時期を以て占領が開始されたと認むべきかは極めて重要な問題となるのであり、右陸戦法規条約第四二条は、従来より存立する国際慣習を要約整理して、占領開始の時期および占領地域の範囲について明文を設けたものであつて、部分的占領と全般的占領とを区別してその効果を別個にしようとする趣旨では断じてない(信夫淳平「国際法提要]上巻六九三頁、立作太郎「戦時国際法論」二五四頁参照)。 (二)、被告らおよび同補助参加人は、連合国による日本占領がいわゆる管理占領(保障占領、戦後占領)であるから、陸戦法規条約の適用はないと主張する。 しかし、まず、戦後占領でないことは明らかである。すなわち、およそ交戦国の間に平和条約が成立し又は、戦争状態終結の宣言がなされない間は、たとえ現実の戦闘行為が行われていなくとも、国際法上戦争状態は継続するものであつて、このことは確立せる国際法の原則である。(英国控訴院の一九四七年英国王対ボツトリル事件判決、ドイツのハルレ高等裁判所同年六月四日判決、ウイス・バーデン憲法裁判所一九四六年九月二〇日判決およびゲラ高等裁判所同年九月二○日判決等参照。)したがつて、降伏文書により、日本の軍隊が無条件降伏をしたからとて、それで国際法上の戦争状態が終了したことにはならず、右休戦協定に基く連合軍の占領中は戦争状態が継続するものであり、右占領が戦後占領でないことは明らかであるから、これに陸戦法規条約は適用あるものというべきである。 また、「保障占領」は、国際法上、戦後平和条約の履行を保障するために行なわれる占領等の如きものを意味するところ、連合国による日本の占領がこれに当らないことは明らかである。さらに「管理占領」なる概念は、現実国際法上存在しないし、およそ占領が行なわれる場合には、占領軍による管理行政が行なわれ、右は戦時占領たると平時占領たると問わないから、もしこの趣旨において管理占領なる語を用いるのであるのならば占領の性質を分類する用語として無意味である。 三、被告らおよび同補助参加人は、ヘーグ陸戦法規条約が任意法規である旨主張する。ところで、国際法においても強行法規が存することは、内外の権威ある学者の認めるところであるが(立作太郎「平時国際法論」四八頁、L.Oppenheim,InternationalLaw,Vol.1 p19,G.Schwarzenberger, International Law as applied by International Courts and Tribunals, vol Ⅰ.3rd ed, pp.424など参照)、ヘーグの陸戦法規条約就中、陸上私有財産不可侵の原則などはその典型的な強行法規である。けだし、これは、占領軍という絶対的権力を有する者に対して人道の見地より被占領地の人民を保護しようという文明国間の多年の慣行に基いて規定されたものだからである。そして、右の理は、諸学者(P.Guggenheim, Traite de Droit Internationalpublic pp472; R.K.Woltzel, The Nuremberg Trials in Intrnational Law pp79;Lord Mcnair, The Laws ofTreaties pp213 参照)および諸外国の判例(甲第六号証参照)も認めるところである。したがつて、ヘーグ陸戦法規条約における私有財産不可侵ないし没収禁止の原則は、当事国間の条約等をもつてしても排除しえないものである。四、被告らおよび同補助参加人は、総司令部の覚書に基く解散団体の財産の日本政府への帰属が、日本と連合国との間の降伏文書による総司令部への授権に基くものであつて、ヘーグ陸戦法規条約の適用を排除しており、適法である旨主張する。なるほど降伏文書には「天皇及ビ日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当卜認ムル措置ヲ執ル連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」との文言があるが、降伏文書は形式において、連合国と日本との合意に基く国際約定とはいえないばかりでなく、右文言は、日本政府が占領軍の最高司令官の命令に従わなければならないこと、つまり被占領国政府と占領軍との間の関係を定めたものに過ぎず、占領軍の上に位する確立せる国際法の原則と占領軍との間の関係を定めたものではない。外交史上、交戦国の一方が完勝したばあい、その降伏規約において、敗者は勝者の占領軍司令官のいかなる命令にも服従すべしとの一項を挿入することは、むしろ普通のことである(一九四〇年六月二二日独仏両国間の休戦協定第三条、一九四五年五月八日ドイツ降伏に関する米ソ英仏四国政府宣言第一三条b項など)が、かかる場合にも国際法上は、ヘーグ陸戦法規条約は適用されるものとされているのであつて、現にニユールンベルグ裁判においても、右の様な休戦条約に基く占領下にあつたフランス其他の地域におけるドイツ軍の非人道的行為をヘーグの陸戦法規条約に対する違反行為として、その責任者を処罰しているのである。しかも、ポツダム宣言は日本国民の基本的人権尊重の条件を明示し、日本人を奴隷化せんとするものでないことを確言している。従つて、降伏文書の前記文言は、単に通例に従い日本政府の統治権が占領軍最高司令官により制限されるという占領の当然の結果を記したに過ぎず、右文言からは、日本国の統治は一切これを連合国最高司令官の専断恣意に委ね、連合国最高司令官の行動はすべてヘーグの陸戦法規条約の埒外にあると解することはできないのである。(なお、この点を連合国側が認識していたことは、昭和二〇年一一月一日付の連合国最高司令官に与えられた「日本降伏後における初期の基本方針」、同年一二月一九日付の「マツカーサー元帥の管下部隊に対する訓令」、同年九月六日付の「連合国最高司令官の権限に関するマツカーサー元帥に対する大統領通達」などによつて明らかである。) 五、被告らおよび同補助参加人は、日本国内における私法上の権利関係は、それを命じた総司令部の指令が単に国際法に違反したというだけでは当然無効の原因となるものではない旨主張している。しかし、行政法上、とくに重大な瑕疵のある公権行為は無効であることが認められているところ国際法違反の公権行為(没収の指令)は、とくに重大な瑕疵があるものと考えるべきである。したがつて、この無効な指令に基き日本政府が発した没収命令は無効であり、ひいては右命令により法律上当然行なわれた解散団体の財産没収も無効であり、さらにこの没収財産の譲渡による私法上の権利の取得も当然無効となるわけである。この点は、内外の学者(立作太郎「戦時国際法論」二六四頁、L. Oppenheim,op. cit,VolⅡ.p619;高根義三郎「行政訴訟の研究」二〇一頁以下など)および内外の判例(千葉地昭和三一年四月一〇日判行裁集七巻九八八頁以下、スイス連邦裁一九四八年六月三日判、べルギーのリユージユ控訴裁一九四五年一〇月一九日判、ギリシヤのヘラクリオン刑事裁一九四五年判決、イタリアのフロレンス裁判所一九四五年一二月一〇日判、ドイツ最高裁一九四八年二月一三日判など)も認めるところである。 六、被告らおよび同補助参加人は、たとえ解散団体の財産の日本政府への帰属が国際法違反であるとしても、平和条約一九条(d)項により、かかる行為の効力を承認すべく義務づけられているから、これは無効とはならない旨主張している。そもそも占領は、一時的状態であり、被占領地の領土の変更は講和条約でこれを定めない限り行なわれないものである。したがつて、占領地が領土所属国に復帰するときは、領土所属国の主権が当然完全に行われるようになり、いわゆる国際上の原状回復により、原則として占領前の状態が復活するのである。その際、領土所属国の正統政府が原状回復の原則を無制限に適用して占領軍の占領中に発した法令がたとえ国際法上適法なものであつても、これらを遡及的に無効化することが甚だ多い。また国際法学者の間でも、あくまで右原状回復の理論を貫こうとする者と、これに反し、占領軍が国際法上認められる権力の範囲内で合法的に行つた行為については、領土所属国は、占領地回復の後においても、これが法律上の効力を認むべきであるとする者とに見解が分れている。つまり平和回復後の国際法上の原状回復の原則の適用については、国際間の実例も国際法学者の学説も区々であるから、平和条約一九条(d)項は、この点を明確にすべく、総司令部が日本占領中、国際法上合法的に行なつた行為1指令およびこれに基くポツダム政令、規則によつて生じた事態-を、平和条約成立後、日本国が遡及的に無効としてはならないことを定めたものである。したがつて、国際法に違反した指令は、本来無効であつて、そもそも平和条約一九条(d)項の対象とはならないものである。 第九、証 拠(省略) 理 由 第一、原告の当事者能力の存否 原告が昭和二〇年一二月三一日解散して清算法人となつていたところ、同二一年八月二九日、同年勅令第一〇一号第四条第一号(イ)、第二条の規定に基く内務省告示第一二四号を以て、右勅令のいわゆる解散すべき団体に指定された結果、右勅令による解散をしたことは当事者間に争のない事実であるが、ここでまず原告がこの解散により直ちにその法人格を喪失するに至つたか否か、したがつて、現在当事者能力を有するか否かについて検討する。 一、総司令部は、昭和二一年一月四日附覚書(AG○九一)を以て、日本政府に対し、軍事的又は準軍事的訓練の実施、元陸海軍人たりし者に対する同等の民間人以上の恩典供与、又は特種の発言権附与、或いは日本国内に於ける軍国主義又は尚武心の保全其他一定の占領目的に反する団体又は個人の一切の活動を禁止し、(第一項)、右のような活動を目的とする団体を解散させ、(第二項)、かかる団体の自己の財産に関する取引を阻止し、その財産全部を接収保管す(同項)べき旨を指令し、日本政府は、右覚書に基き、同年二月二三日公布の勅令第一〇一号によつて、同旨の活動をなす団体の結成を禁止し(第一条)、かかる団体に該当するものとして法務総裁が指定する団体は解散することとして(第二条)、かかる団体が自己の資産に関する取引をなすことを禁止し、その資産を接収保管するものと定めた(第三条一、二項)。而して、これらの措置の主たる目的は、明らかにポツダム宣言第六項の実施、即ち、軍国主義的権力および勢力の除去にあるものと解されるから、軍国主義的諸活動を現在および将来にわたつて排除できれば足り、そのためには、かような活動をなす団体の新たな結成を禁止し、既存のそれを解散させ、さらにその資産を接収すれば充分であり、かかる団体が法人の場合に、解散による清算が結了するまで清算の目的の範囲内でこれが存続することまで禁ずる程の要請は含まれていないと考えられる。とすれば、上記の覚書および勅令が、そのいわゆる「解散」にとくに通常と異る意味を持たせ、民法第七三条の適用を排除して、この解散においては、直ちに法人格を消滅させ、清算法人としての存続すら許さない趣旨を定めているものとは解し難い。 二、ところで、さらに、上記勅令により解散された団体の財産の管理処分等については、総司令部は、昭和二三年三月一日附覚書(AG三八六・七)を以て、日本政府に対し、解散団体所属の一切の財産の権利を日本政府に同日附で移転し(第四項)、日本政府においてこれを売却し、(第六項)、解散団体財産収入金特別会計を設定して、解散団体からの収入およびその財産の清算による売得金はすべてこれに繰り入れ(第九項)、右会計に預け入れられた資金を利用し、これを一般会計に繰り入れ、承認された債務の支払総司令部の承認をえた解散団体の清算に関する処分のために利用す(第一〇項)べきことを指令した。そして、日本政府は右覚書に則り、同年八月一九日公布の政令第二三八号により、解散団体の財産はすべて国庫に帰属し、これを目的とする担保物権は消滅し(第三条)、法務総裁が原則として右財産を管理して、これを広く公告して入札の方法により、売却し(第七条)、右財産のうちの現金、預貯金又は財産管理による収益金若くは売得金は、解散団体財産収人金特別会計の歳入とし(第一三条)、解散団体に対する債権者にはその債権を一定期間内に申し出させて(第一五条)、そのうち法務総裁が承認した解散団体の債務は法務総裁が前記特別会計に属する収入金から支払う(第一四条)こととされた。そうすると、ここに勅令第一〇一号による団体の解散後の財産関係の整理がより明確にされたわけであり、これは要するに、解散団体の積極財産を国庫に帰属させ、国家機関がその売得金等から右団体の債務を支払うという方式であるから、その手続は形式上民法所定の法人の清算手続などとはかなり異るものの、実質においては、解散団体の清算そのものにほかならず、ただこの場合は、軍国主義的勢力等の除去を徹底的に行うために、当該団体の定める者ないしは理事者等に自主的な清算の執行を委ねずに国家機関がこれに代つて強制的に清算手続をなすに過ぎないものとみるべきである、とすれば、前記解散団体が法人のばあいには、解散後も右清算の目的の範囲内で存続するものといわねばならない。 三、したがつて、法人が昭和二一年勅令第一〇一号に基き解散させられたばあいには、以後その清算が結了するまで清算法人として存続するものと解すべく、同勅令に基き解散した原告は、解散と同時に消滅することなく、現在なお、清算法人として存続しており、その当事者能力に欠けるところはないものというべきである。(鑑定人入江啓四郎のこの点に関する鑑定意見は採用できない。) 第二、請求原因事実の存否原告主張の請求原因事実のうち、以下の事実については、当事者間に争いがない。 一、原告は、旧日本海軍の高等武官及び高等文官並びにかつてそれらの者であつた人々により組織された、「海軍に関する学術の研究を為し、又社員相互の友誼を敦うし、及びその便益を図る」ことを目的とする財団法人である。 二、ところが、前叙のとおり、原告は昭和二〇年一二月三一日に解散し、同二一年二月一三日に解散登記を了したところ、総司令部が同年一月四日付覚書(AG○九一)を以て、日本政府に対し「或る種の政党、協会、結社及び其他の団体」を解散さすべき旨を指令し、同年八月二日原告を右解散さすべき団体の中に追加指定してきたので、日本政府は同二一年勅令第一〇一号に基き、同年八月二九日付内務省告示第一二四号を以て、原告を解散すべき団体として追加指定した。そしてまた、前叙のとおり、総司令部は、同二三年三月一日付覚書(AG三八六・七号)を以て、解散された原告の所有に属する本件不動産を含む一切の財産に関する権利を同日附を以て日本政府に移転すべき旨指令し、日本政府は、右覚書に則り同年八月一九日公布した政令第二三八号によつて、原告の本件不動産を含む一切の財産は国庫に帰属するものとした。 三、しかして、被告ロツジ協会が、昭和二五年六月三〇日被告ら補助参加人たる国から本件不動産を代金八〇〇〇万円で買受け、同年八月二五日東京都知事の嘱託によつて、その旨の所有権取得登記を経由した。 四、ところが、被告ロツジ協会は、昭和二七年一〇月二日解散して清算法人となり、同三〇年一〇月二五日その頃新たに設立されようとしていた被告メソニツク協会に対し、本件不動産を含む一切の財産を寄贈し、同被告は翌三一年一月七日設立登記を了え、同三二年一一月五日本件不動産の各所有権取得登記を経由し、現に本件不動産を占有している。 第三、本件不動産の国庫帰属の適否 ところで、前項においてみた政令による原告所有の本件不動産の国庫帰属が適法であるか否かについて、検討しなければならない。 一、ヘーダ条約とその法的性格一九〇七年の第二回ヘーグ平和会議において採決された陸戦法規条約の第四六条第一項は、「家ノ名誉及権利、個人ノ生命、私有財産並宗教ノ信仰及其遵行ハ、之ヲ尊重スベシ。」と規定して、私有財産の尊重をその中に謳い、さらに、同条第二項は「私有財産ハ、之ヲ没収スルコトヲ得ズ。」と規定して、とくに私有財産の没収禁止を明らかにしている。 (一)、ところで、右条約の協定第二条は、本条約の規則・規定が「交戦国カ悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限リ、締約国間ニノミ之ヲ適用ス。」とのいわゆる総加入条項を挿入しているので、被告らおよび同補助参加人は、第二次世界大戦における連合国の中にはこの条約の未批准国があることを理由に、右条約が同大戦に関しては適用されない旨主張する。 なるほどヘーグの陸戦法規条約は、それが採択された当時現存した戦争に関する一般の法規と慣例とをより精確にし、或いは修正しようとしたものである(同条約前文第一項)が、こと占領地内における私有財産の尊重の慣行に関しては、近世に入つて、私有財産尊重の観念が認められるにともない、徐々に普及して行き、既に一九世紀初めには多くの文明国によつてこれが承認されて、国際慣習法上の原則として確立されるに至つていたため、かような国際慣習法を確認し宣明するという意味をもつにとどまり、したがつて、前示第四六条の規定するところは、右条約自体とは離れても慣習法化した独自の効力を有するのである。とすればたとえ総加入条項によつて、右条約そのものの適用が排除されるとしても、そこに規定された私有財産尊重、没収禁止の諸原則は、第二次世界大戦に関しても適用をみると解するのが相当である。(鑑定人田畑茂二郎、同前原光雄の各鑑定の結果、いずれも成立につき争のない甲第三、六、八、一〇号証、参考甲第四、五号証における諸見解参照。) (二)、ところで次に、ヘーグの陸戦法規条約(これによつて確認された国際慣習法を指す、以下同じ)が、具体的、に第二次世界大戦における連合国の日本占領に適用されるか否かに関する問題として、右占領がヘーグ条約のいう「占領」に該当するかどうか、および連合国軍最高司令官による解散団体の財産の国庫帰属の指令がへーグ条約の規定する「没収」に該当するかどうかについて判断するに先だち、ここで、同条約第四六条において確認された私有財産尊重、没収禁止の原則が、他の全ゆる条約その他国際上の合意に優先して適用されるべきものであるか否か、即ち、これらの原則が国際法上の強行法規か否かについて検討する必要がある。国内法秩序の下では、法が組織的、統一的に定立され、かつ公権力の背景の下に組織的、統一的に適用されるのであるから、個々の諸主体間の合意を法の規定に反するものとして無効とする強行法規の存在が可能である。ところが国際社会は、国際連盟や国際連合にみられるように、最近著しく組織化されてきてはいるものの、一般的な法規が多数決によつて定立され、これが全体の国々を拘束することを認めるまでには立ち至つていない。このような国際法秩序の下においては、法は基本的には法主体たる国家間の明示(広義の条約)ないしは黙示(国際慣習)の合意に基いて成立し、その合意をなした国々に及ぶにとどまるというほかはない。そして、その合意相互の間においては、とくに効力の優劣はないため、多数国間の一般的合意(一般法規)と同時に、同一事項についてこれと矛盾し、或いは相排斥し合う特定国間の特別の合意(特別法規)があるばあいには、一般法規が強行法規として特別法規を排除することはなく、ただ特別法が一般法を破るという法則がここでも妥当するにすぎない。したがつて、国際法は、原則として、補充法規的な性格をもち、任意法規と考えざるをえないのである。(鑑定人高野雄一、同田畑茂二郎、の各鑑定の結果、成立に争のない乙第一号証における見解、参照。鑑定人前原光雄の鑑定の結果および甲第七、三四、三七、四三号証における諸見解のうち、右判断に反する部分は採用しない。) もつとも、国際法も、法である以上、文明国において確立されている全ゆる法体系を支配する理念ないし基本的価値ともいうべき「公の秩序、善良の風俗」に反する国家間の合意にまでその法的効力を認めることはできないといい得るであろう。(鑑定人田畑茂二郎の鑑定の結果、成立に争のない甲第三五、三七、四三号証参照。)、したがつて、特定国間において、例えば、一定の人種を虐殺するとか、一地域の病院を一切閉鎖するとかを合意しても、これは明らかに国際法上の「公序良俗」に反するものとして無効といわざるを得ない。しかしながら、私有財産の尊重、没収禁止の原則は、前述のように近代法における重要な原則ではあるにしても、国内法上、国家体制のいかんによつては制度的に私有財産を否認し、または制限するものがあるし、資本主義国の場合にも、公共の目的のために私有財産に制限が加えられ、或いはその剥奪没収が行われることがあり得るのであるから、右の原則をおよそ文明国において認められている至上の法理念の一つということはできない。また、国際法上も海上では私有財産が大幅に捕獲没収の対象となるのであり、これに反して、とくに占領地の陸上私有財産の没収が禁止されるのは、これらの財産は、住民の生活に直接関連するものが多いため、その没収により住民の生活を圧迫混乱させ、かえつて、占領軍の立場を困難にし、軍事的にも得る所が少ないばかりでなく、占領では没収以外の手段により私有財産を占領軍のために利用できるし、また没収までしなくともそれらが敵国の戦力に利用されるのを容易に防止しうると考えられているからにほかならない。そうすると、国際法上私有財産が尊重され、その没収が禁止されているのは、超越的な法理念に由来するものでぱないと解せられ、したがつて、この原則は、いまだ国際法上の公序良俗と称することはできず、これに反する国家間の合意の効力を排除するものと考えることはできないのである。(鑑定人高野雄一、同田畑茂二郎、の各鑑定の結果参照。) 二、降伏文書と占領軍の権限 ヘーグ陸戦法規条約において成文化された私有財産尊重、没収禁止の原則が強行法規でないことが前項において明らかにされた。したがつて、右の一般法規に対して、これと異る或いはこれに反する特別の協定がなされ、特別法規が成立するとすれば、後者が前者に優先して適用されるわけである。そこで進んで、日本が第二次世界大戦において、連合国に降伏するに際し取り交された降伏文書を、右に述べた意味での特別の協定とみることができるかどうかについて考察する。 (一)、降伏文書の法的性格 第二次世界大戦における連合国による日本の占有は、日本が、連合国によつて提示されたポツダム宣言の条項を正式に受諾することを表明した降伏文書に基づいて行われたことは明らかである。そして降伏文書は、形式上は、一方、日本を代表する外務大臣および参謀総長が署名し、他方、連合国を代表する連合国最高司令官以下各国代表が署名し、実質的には、日本軍の連合国に対する降伏を約するとともに、日本と連合国との間の戦闘を停止するための条件について約したものである。したがつて、これは、日本と連合国との合意に基いて成立した国際的協定としての性質をもつているものといわねばならない。 もつとも、降伏文書の内容そのものは、連合国によつて一方的に決定され、日本としてそれをそのまゝ受諾すべきことを要求されたものであつて、アメリカ合衆国政府の昭和二〇年九月六日付マツカーサー元帥宛通達においても、「われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。」「ポツダム宣言に含まれている意向の声明は、完全に実行される。しかし、それは、われわれがその文書の結果として日本との契約的関係に拘束されていると考えるからではない。」とされている。そして右通達において、連合国と日本との関係が契約的基礎の上に立つていないというのは、降伏文書が対等の地位にあるものの間の取引的関係を基礎にした通常の国際協定と異ることを指摘したものといえよう。しかし、国際法においては、強制による協定も、国際協定として有効なものと認められるのであるから、たとえ、降伏文書が連合国の強力な軍事力を背景とする要求を日本が受諾するという形で締結されたものであつたとしても、その国際協定たる性質を否定することはできないのである。(鑑定人入江啓四郎、同高野雄一、同田畑茂二郎の各鑑定の結果、前掲乙第一号証参照。) (二)、降伏文書に基く連合国最高司令官の権限 降伏文書およびその内容として採り込まれたポツダム宣言の中には、占領地における私有財産尊重、没収禁止の原則を直接排除する規定はない。しかし、日本は、ポツダム宣言の条項を受諾し、かつ、降伏文書に調印することにより、連合国を代表する最高司令官が右条項を含む「降伏条項ヲ実施スル為適当卜認ムル措置ヲ執ル」権限を有し、かつ、日本が右権限に従属することを承認した(降伏文書第八節)のである。 他方、ポツダム宣言は、基本的人権の尊重が確立されるべきこと、および連合国が日本人を奴隷化する意図を有しないこと(同宣言第一〇項)を明らかにしているのであり、また、一般に降伏文書のような特別の合意は、降伏国の利益のために制限的に解すべきものとされている(鑑定人高野雄一の鑑定の結果参照)ことに鑑みれば、降伏文書に基く最高司令官の前記降伏条項実施の権限は、一般国際法上認められている被占領国民の権利ないしは自由を制限したり、或いは剥奪したりする点に関する限り全くの自由裁量と考えるべきではなく、その目的を達するために必要な行使、即ち客観的に降伏条項の実施に必要な限度においてのみ、その行使が許されるものと解されるべきである。 ところで、ポツダム宣言は、日本の降伏条件の冒頭において、「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙二出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢カハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」(第六項)とし、次いで、「右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国、戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ連合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ竝ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ」(第七項)と規定して、日本における軍国主義が徹底的に除去さるべきことを強調している。さらに米国は、降伏文書の調印後間もない昭和二〇年九月二二日連合国最高司令官に宛て、「初期の対日方針」なる文書を以て、降伏条項の実施方法を指示したが(なお、この基本方針は、その後日本管理に関する連合国の最高機関たる極東委員会の昭和二二年七月一一日決定「降伏後の対日基本政策」において、そのまゝの形で確認的に規定されている。)、その第三部「政治篇」の第一項「武装解除および非軍事化」には、日本の完全な武装解除、軍事的ないし準軍事的組織の解消、軍国主義および好戦的国家主義の積極的代表人物であつた者の公職追放などとともに、「極端な国家主義的又は軍国主義的な社会上、政治上、職業上および商業上の団体および機関」を「解消」すべきことが示されている。右は米国ないしは連合国の、連合国最高指令官に対する内部的指令であつて、連合国と日本との国際的約定でないことはいうまでもないが、連合国によつて起草されたポツダム宣言における抽象的な降伏条項の具体的内容を明らかにすべき重要な資料とみることができよう。そして以上を綜合すれば、ポツダム宣言および降伏文書に規定された降伏条項の一つである日本における軍国主義勢力の永久的除去は、その実施方法の一つとして軍国主義的団体の解消を予定し、軍国主義の永久的根絶という高次の目的を達成するためには、単にそのような団体を解散させるだけではいまだ充分とはいえず、その再起の芽をもつみとるために解散した団体の財政的基礎をも奪うことまで必要としていたと解すべきである。 してみれば、連合国最高司令官が総司令部覚書により、海軍に関する学術の研究等をする団体である原告を叙上の如き団体に該るものとして解散させ、その所有する本件不動産を国庫に帰属させたことは、第二次大戦における連合国の日本占領の性質がヘーグ条約にいう「占領」に該当するかどうか、また上記覚書に基く解散団体の国庫帰属が同条約の「没収」に該るかどうかの判断を俟つまでもなく、ポツダム宣言の降伏条項の実施に必要にして適当な措置ということができ、これは降伏文書によつて最高司令官に付与された権限の範囲内に属するものとして法的根拠を有し、国際法上何ら違法な行為ではないと考えるべきである。(この点に関する鑑定人田畑茂二郎の鑑定の結果には、同調できない。) 第四、結 論 以上の次第で、本件不動産の所有権は、国際法上根拠のある総司令部の指令に基き、前記政令によつて適法に国庫に帰属し、その結果、原告は、右不動産の所有権を失つたものといわざるをえない。したがつて、原告の本件不動産所有権を前提とする本訴請求は、いずれも爾余の点につき判断するまでもなく、失当である。 よつて、原告の被告らに対する請求は、すべてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、を適用して、主文のとおり判決する。 (裁判官 中田四郎 磯部 喬 加藤和夫)
土地建物所有権取得無効確認及び所有権取得登記抹消並に引渡請求事件 【事件番号】 東京地方裁判所判決/昭和34年(ワ)第8428号 【判決日付】 昭和41年2月28日 【判示事項】 1、占領地の私有財産没収禁止の原則は国際法上の強行法規か 2、降伏文書と連合国総司令部の昭和23年3月1日付日本政府宛覚書「解散団体所属財産の処分に関する件」との関係 【判決要旨】 1、占領地の私有財産没収禁止の原則は国際法上の強行法規ではない。 2、連合国総司令部の昭和23年3月1日付日本政府宛覚書「解散団体所属財産の処分に関する件」による指令は降伏文書により連合国最高司令官に付与された権限の範囲内に属し、国際法上適法である。 【参照条文】 日本国の降伏文書、ヘーグ陸戦法規条約46 連合国総司令部の日本政府に対する昭和21年1月4日付覚書(AG091) 昭和23年3月1日付覚書(AG386・7) 昭和21年勅令101号4 昭和23年政令238号3 【参考文献】 下級裁判所民事裁判例集17巻1~2号108頁 訟務月報12巻4号475頁 判例タイムズ190号140頁 判例時報441号3頁 【評釈論文】 国学院法学4巻4号197頁 ジュリスト373号238頁 ジュリスト378号152頁 判例評論93号1頁 主 文 原告の被告らに対する請求は、すべてこれを棄却する。 訴訟費用は、原告の負担とする。 事 実 第一、原告の申立 原告訴訟代理人は、左記判決およびその第三項に限り仮執行の宣言を求めた。 一、別紙物件目録(省略)記載の不動産(以下、本件不動産と略称する)につき、原告が所有権を有することを確認する。 二、被告財団法人東京メソニツク協会は、原告に対して本件不動産につき所有権移転登記手続をせよ。 三、被告財団法人東京メソニツク協会は、原告に対して、本件不動産を明渡せ。 四、訴訟費用は、被告らの負担とする。 第二、被告らの申立 被告ら訴訟代理人は、第一次的に左記判決を求め、第二次的に主文同旨の判決を求めた。 一、本件訴を却下する。 二、訴訟費用は、原告の負担とする。 第三、被告らの本案前の主張 被告ら訴訟代理人は、本案前の主張として次のとおり述べた。 原告は、当事者能力を欠くから、本訴は却下さるべきである。即ち、原告は、昭和二〇年一二月三一日解散して、清算法人となつていたところ、同二一年八月二九日内務省告示第一二四号でいわゆる解散団体に指定された結果、法令上解散した。そして同二三年三月一日付連合国最高司令官総司令部(以下、総司令部と略称する。)覚書(AG三八六・七号)に基く同年八月一九日付政令第二三八号解散団体の財産の管理及処分等に関する政令により「解散団体の動産、不動産、債権その他の財産は国庫に帰属し、これを目的とする留置権、先取特権、質権及び抵当権は、消滅する」ものとされ、また、解散団体の債務についても、国家機関である法務総裁が右政令の規定により弁済し、清算するものとされた。(なお、前記政令第一六条は、法務総裁が解散団体の財産にして国庫に帰属したものの「管理、保全、維持、調査、回収その他の事務を都道府県知事又は解散団体財産売却理事会に行わせることができる」ものどし、これに基き右理事会を設置して、前記事務を掌らせた。)したがつて、この解散は特殊の解散であつて、同二一年八月二九日の告示と同時に完全に法人格を喪失し、以后は清算法人としても存続しないのであるから、原告はもはや当事者能力を有しないものというべきである。 第四、本案前の主張に対する原告の反論 原告訴訟代理人は、被告らの本案前の主張につき次のとおり反駁した。 一、原告の解散の経緯に関する被告ら主張の事実は認めるが、好ましからざる或種団体は、直ちに解散せしめらるべし(will beimmediately dissolved)との総司令部の昭和二一年一月四日付覚書(AG○九一)は、これに基き日本政府の発した同年二月二三日付勅令第一〇一号の第二条と相俟つて解すると、右の解散は、法人についてはわが民法にいう解散そのものにほかならない。しかも、占領中の連合国による目本の統治管理は、日本政府を機関として行わしめる間接管理方式をとつたので、特に総司令部の指令により改廃されない限り日本の現行法令は、そのまま適用されたのである。そして、民法七三条および破産法四条によれば、解散した法人は、直ちにその法人格が消滅するのではなく、清算又は破産の範囲内において、なお法人格が存続することが明らかである。 二、被告らは、解散団体の債務につき、法務総裁が政令の規定により弁済し、清算することを以て、原告が昭和二一年八月二九日の内務省告示以後清算法人としても存続しないことの一根拠に挙げている。しかし、解散団体の債務が解散後も存在すればこそ、その弁済ということがあり得るのである。(なお、その債務を、国が承継したと解すべきでないことは、その旨を規定した法律やポツダム政令等がないことからみても明らかである。まして、承継ではなく、債務が消滅するから、これに対する債権の損失補償をすることを規定した趣旨であるなどとは、右政令が明瞭に債務を支払うという字句を用いていることからみても、到底考えることができない。)このように解散団体の債務が存続する以上、債務の主体としての団体、即ち原告のばあい法人が、解散後も清算の範囲内で存続するものと解するほかない。ただこの場合、解散した法人の機関が自ら債務弁済等の清算事務を行わず、他の機関が行うことになつているが、かかる例は、破産の場合に破産管財人が破産者の財産を管理処分し、その収入金のうちから破産債権を弁済してゆくことにも見ることができ、理論上も可能というべきである。 三、よつて、原告は、右解散以降も清算の範囲内で法人として存続するから、何ら当事者能力に欠けるところはないのである。 第五、原告の請求原因 原告訴訟代理人は、請求原因として、次のとおり述べた。 一、原告は、旧海軍の高等武官及び高等文官、並びにかつてそれらの者であつた人々により組織された社交クラブであつて、 「海軍に関する学術の研究を為し、又社員相互の友誼を敦うし、及びその便益を図るを以て目的」とし、昭和三年五月一日主務官庁の許可を受けて設立せられ、同年五月一一日その設立登記を了した財団法人である。そして、その事業の主なるものは、 (一) 講話会其の他集会の開催、(二)機関雑誌及び図書の発行、(三)物品の配給、娯楽、宿泊の設備及び住宅に関すること等社員の便益を図る事項であつた。而して、本件不動産は、設立の当時から原告の所有に属し、原告の前記事業の本拠をなした社交クラブハウスである。 二、(一)、終戦後米軍の進駐に伴い、本件不動産も米軍の接収するところとなつたが、原告の財団法人としての事業活動及びその性格が官としての軍の事業とは全然別個であり、財政的にも独立していたため、その接収の形も賃貸借契約により、原告に賃料が支払われていた。そして、昭和二一年一月四日総司令部より日本政府に対し、「或る種の政党、協会、結社及び其の他の団体を廃止」すべき旨の指令(覚書AGO九一)がなされた際にも原告は、右に所謂「廃止せらるべき団体」の中には含まれていなかつた。しかるに、その後約七ケ月を経て総司令部の態度は俄かに変化を生じ、同年八月二日総司令部より日本政府に対して原告を前記「廃止せらるべき団体」の中に追加指定して来た。そこで、日本政府は、同年勅令第一〇一号「政党、協会、その他の団体の結成の禁止等に関する件」に基き、同年八月二九日付内務省告示第一二四号を以て、原告を廃止せらるべき団体として追加指定した。(但し、原告は、右追加指定の前年である同二〇年一二月三一日に目的事業の成功不能により解散しており、同二一年二月一三日に解散登記を了していた。)さらに、総司令部は、同二三年三月一日付覚書(AG三八六・七号)を以て、前記覚書および勅令により解散された団体(以下、解散団体という)の一切の財産権が同日限り日本政府に移転さるべき旨を指令し(第四項)、日本政府はこれに基き同年八月一九日付政令第二三八号「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」により、原告の本件不動産を含む解散団体の一切の財産を国庫に帰属させ(第三条)、法務総裁がこれを管理し、広く公告の上、入札の方法によつて売却することとなつた(第七条第三項)。ただ総司令部はその後同二四年八月二六日付の覚書を以て、日本政府に対し、医療、教育、宗教、慈善又は救護の事業を営む者が解散団体の被没収財産を使用せんとする場合は、随意契約によることが出来るよう改正すべき旨の指令を発したため、これに基き前記政令の条項は、同年一〇月一七日政令第三五一号第一一条第二項によつて、右指令に添うよう改正された。 (二)、しかして、同二五年四月一四日に宗教法人令(同二〇年勅令第七一九号)により日本の宗教法人として設立された被告東京メーゾニツク・ロツジ協会(以下、ロツジ協会と略称する)なるものが、同二五年六月三〇日随意契約によつて、被告ら補助参加人国から本件不動産を、代金八〇〇〇万円、二回に割賦延払の約で売却を受け、同年七月二日その第一回の割賦金二〇〇〇万円を払込み、一応その所有権を取得した形をとり、同年八月二五日東京都知事の嘱託によつてその旨の所有権取得登記がなされた。 (三)、ところが、被告ロツジ協会は、昭和二七年一〇月二日解散して清算法人となり、同三〇年一〇月二五日本件不動産を含むその一切の財産を新たに設立されようとしていた被告財団法人東京メソニツク協会(以下、メソニツク協会と略称する)に対して寄附し、被告メソニツク協会は同三一年一月七日設立登記を了え、本件不動産については、同三二年一一月五日所有権取得登記を完了した。 三、ところで、一九〇七年ヘーグ第二回平和会議の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(明治四五年一月一三日公布、以下、陸戦法規条約と略称ける)は、一八九九年へーグ第一回平和会議の同名の条約(明治三三年一一月二二日公布)と共に、当時既に万民法として文明国の間に成立していた陸戦慣習法規を確認声明したものであつて、確立された国際法の原則であるから、日本に進駐した占領軍も当然これに従わなければならないところ、右両ヘーグ条約の[陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」各第四六条第二項には「私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ズ」と規定され、この陸上私有財産不可侵の原則は、基本的人権の根本に関する鉄則である。したがつて、総司令部が日本政府に対してなす指令は、右陸戦法規第四六条第二項より下位の法規として、その拘束を受くべきものである。ところが、本件不動産の如き陸上私有財産を、何ら補償することなくして日本政府に帰属せしめた総司令部の前記覚書(AG三八六・七)による指令は、没収にほかならないから、著しく国際法に違反した行為であつて、法律上無効であるといわなければならない。 よつて、右覚書に基き発された昭和二三年八月一九日付政令第二三八号第三条による本件不動産の国庫帰属は無効であつて、本件不動産の所有権は、依然として原告に帰属するものである。 四、しかるに、被告メソニツク協会は、前記のとおり本件不動産につき所有権取得登記を了し、今日もなお登記簿上の所有名義人であり、且つ、本件不動産を占有している。 五、よつて、原告は、被告メソニツク協会との間において、本件不動産の所有権が原告に存することの確認を求めるとともに、同被告に対し、所有権に基き、本件不動産の各所有権移転登記手続をなすべきこと、および本件不動産の各明渡をなすべきことを求め、また、被告ロツジ協会は、本件不動産の前登記名義人であつて、原告の本件不動産の所有権を争うので、原告は同被告との間においても、本件不動産の所有権が原告に存することの確認を求めるため、本訴に及んだ。 第六、請求原因に対する被告らの答弁および主張 被告ら訴訟代理人は、請求原因に対する答弁および主張として、次のとおり述べた。 一、請求原因に対する答弁 (一) 請求原因一の事実のうち、原告がその主張のような海軍関係の財団法人であること、本件不動産がもと原告の所有であつたことは認めるが、その余の事実は不知である。 (二) 請求原因二(一)の事実のうち、総司令部が原告を追加指定したのは総司令部が俄かに態度を変じたためであるとの点は不知、その余の事実は、全て認める。 (三) 請求原因二(二)の事実のうち、原告の財産が原告主張の覚書および政令により法務総裁の管理の下におかれ、売却されることになつたこと、被告ロツジ協会が昭和二五年六月三〇日被告ら補助参加人から、原告主張のとおり本件不動産の売却をうけてその所有権を取得し、その旨の登記を経由したことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、随意契約は同二四年一〇月一七日改正以前の政令第三五一号第一一条第二項において既に認められていたものである。 (四)請求原因二(三)の事実は、すべてこれを認める。 (五) 請求原因三の事実のうち、一九〇七年のヘーグの陸戦法規条約が一般に確立された国際法の原則であり、同条約附属書「陸戦の法規慣例ニ関スル規則」第四六条第二項が「私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ズ」と定めていることは、認めるが、その余は否認する(なお、これに関する被告らの法律主張は後記二のとおりである。) 二、被告らの法律上の主張 (一) 陸戦法規条約には、右「規則オヨビ条約ノ規定ハ交戦国ガ悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限、締約国間二ノミ之ヲ適用ス」(第二条)という、いわゆる総加入条項があるところ、今次の世界大戦の交戦国中には、右条約の未批准ないし未加入国が多いのであるから、右条約および規則は、今次大戦に関しては適用がなく、したがつて、連合国軍の日本占領にも適用がないのである。尤も、このことは、陸戦法規条約それ自体の適用がない趣旨であつて、その内容が国際慣習法ないし文明国によつて認められた法の一般原則として、適用されるべきことを否定するものではない。 (二) 陸戦法規条約および規則においては、同規則第四二条に「一地方ニシテ事実上敵軍ノ権力内ニ帰シタルトキハ占領セラレタルモノトス」とあるように、一国の領土が戦闘の継続中に事実上他方の交戦国軍によつてその権力範囲に帰せしめられた場合を占領と定義しており、かかる場合に限りその適用が認められるのである。けだし、かかる場合には、双方の交戦国はまだ戦争を止める意思はなく、占領およびその条件についても双方の間にはいかなる協定もない状態のまま、占領者が敵国の領土において権力を行使するのであるから、その行使を規制することを必要とし、そのために、右条約ないしは国際慣習法によつて、その占領の法律関係を定めているからである。これに反し、今次大戦における連合国の日本占領は、双方の交戦国に予め戦争を止める意思が存し、その第一段階として戦闘を中止することとし、そのために降伏文書(休戦協定)に調印し、それに基いて占領が行われたものである(これを管理占領、保障占領、又は戦後占領ということができる)。したがつて、占領およびその条件についても、双方の交戦国の間には降伏文書という正式な合意があり、占領の法律関係は、この降伏文書によつて決定されるのである。それゆえ、連合国軍による日本の占領には、前記条約ないし国際慣習法の適用はないものというべきである。 (三) 仮りに陸戦法規慣例に関する条約等が日本占領にも適用があるとしても、右条約等は任意法規であるから、降伏文書の規定が優先する。すなわち、降伏文書は日本と連合国との間の国際協定であるが、その第六項は、「下名ハ妓ニ『ポツダム宣言』ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト並ニ右宣言ヲ実施スル為聯合国最高司令官又ハ其ノ他特定ノ聯合国代表ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ発シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス」と定め、同第八項は、「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当卜認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」と規定し、連合国最高司令官は日本の統治権の上に立つて、ポツダム宣言及び降伏条項実施のために適当と認める措置を執る権力を与えられており、日本は最高司令官の命令に服従しなければならないのである。 したがつて、連合国最高司令官がポツダム宣言及び降伏文書の条項を実施するため、昭和二一年一月四日付総司令部覚書をもつて、日本国政府に対し、日本国の侵略的対外軍事活動の支持又は正当化、軍事上の訓練、元軍人に対する特別な利益や発言権の附与、軍国主義や軍人精神の存続その他を目的とする「或る種の政党、政治的結社、協会及び其他の団体の廃止」を指令し、次いで、同二三年三月一日付総司令部覚書(AG三八六・七)をもつて、これらの解散団体の所属財産がすべて日本政府に移転さるべき旨指令して、これらの団体の経済的基礎を除去させ、日本国の民主主義的態勢を確立させたことは、その正当な権限の行使に属し、これを国際法違反とするいわれはない。そして、この解散団体所属財産の処分に関する覚書八G三八六・七)に基き、かつ、同二〇年勅令第四二号「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」に則り、同二三年八月一九日付政令第二三八号「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」が公布されたのであり、同政令第三条によつて「解散団体の動産、不動産、債権その他の財産は、国庫に帰属」するものとされたのであるから、右政令およびこれに基く行為は全て有効というべきである。(なお、右財産の国庫への帰属は、補償を与えないのであるから、これを没収といつても差支えないであろう。) (四) 仮りに、解散団体所片財産の処分に関する右覚書の指令が国際法に違反したとしても、その指令に基く日本国内における法令が直ちに当然に無効となるわけではない。したがつて、その法令に基く日本国内における私法上の権利関係が当然に無効となることはないのである。それゆえ、いずれにしても前記政令に基く解散団体の財産の国庫帰属を無効ということはできない。 (五) さらに仮りに、総司令部の覚書に基く解散団体の財産の日本政府への帰属が、国際法に違反するとしても、日本国と連合国との平和条約第一九条8項により「日本国は、占領期間中に占領当局の指令に基いて若しくはその結果として行われ、又は当時の日本国の法律によつて許可されたすべての作為又は不作為の効力を承認」するよう義務づけられているから、本件不動産の国庫帰属(没収)の無効を主張することは許されない。即ち、本件不動産の国庫帰属は、連合国最高司令官の指令に基づき「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」によりなされたものであるから、日本国は、その行為の効力を承認しなければならない。そして、日本国憲法第九八条第二項によれば、日本国が締結した条約は誠実に遵守しなければならないのであるから、裁判所も日本国の機関として右平和条約第一九条8項により本件不動産の国庫帰属の効力を承認しなければならないのである。 第七、請求原因に対する被告ら補助参加人の主張被告ら補助参加人指定代理人は、法律上の主張として被告らと同旨の主張をした。 第八、被告らおよび同補助参加人の主張に対する原告の反論原告訴訟代理人は、被告らおよび同補助参加人の主張に対し次のとおり反論した。 一、ヘーグの陸戦法規条約にいわゆる総加入条項が挿入されていることは、被告らおよび同補助参加人主張のとおりであるが、右条約は、かかる条項の存する他の諸条約とは異り、当時既に文明国間に多年に亘つて行われ、国際慣習法として成立していた陸戦の法規および慣習を成文化し、宣言したものであるから、総加入条項の有無いかんに拘らず、いずれの交戦国も遵守しなければならないのである。思うに、まず、このことは、右条約が「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」と称し、殊更に慣例という字句が用いられでいるのみならず、同条約の前文には、「陸戦慣習を明確に規定することを目的」とし、「人民及び交戦者が文明国の間に存立する慣習、人道の法則及公共良心の要求より生ずる国際法の原則の保護及び支配の下に立つことを確認する」と述べられていることから明らかであり、また、第二次大戦のドイツ戦争犯罪人を審理した一九四六年二ユルンベルグ国際裁判所が、被告人の総加人条項の主張を斥けて、ヘーグの陸戦法規条約は、「すべての文明国により承認せられたる戦時国際法及び慣習法を宣言したものである」と明言して、これに違反したドイツ戦争犯罪被告人を処罰し、この点について世界の国際法学者が何れもこれに賛意を表している(甲第八号証、参考甲第四号証など)ことからも、明らかである。(なお、仮りに総加入条項の適用があるとしても、被告らおよび同補助参加人が非締約国として列挙した諸国のうち、真に非締約国として認めうるのは、僅か人口百万人の共和国コスタリカが一つあるのみである。) 二、(一)、被告らおよび同補助参加人は、陸戦法規条約第四二条を根拠として、同条約は一国の領土が戦斗の継続中に事実上占領された場合のみに適用があり、戦斗が休止されたのちの占領には適用がないと主張する。しかし、国際法は単なる敵地侵入と占領とを区別し、占領という国際的事実につき、その成立要件と効果を定め、占領者に対して一定の範囲の権力を認むると同時に制限を課するものである。従つて、如何なる時期を以て占領が開始されたと認むべきかは極めて重要な問題となるのであり、右陸戦法規条約第四二条は、従来より存立する国際慣習を要約整理して、占領開始の時期および占領地域の範囲について明文を設けたものであつて、部分的占領と全般的占領とを区別してその効果を別個にしようとする趣旨では断じてない(信夫淳平「国際法提要]上巻六九三頁、立作太郎「戦時国際法論」二五四頁参照)。 (二)、被告らおよび同補助参加人は、連合国による日本占領がいわゆる管理占領(保障占領、戦後占領)であるから、陸戦法規条約の適用はないと主張する。 しかし、まず、戦後占領でないことは明らかである。すなわち、およそ交戦国の間に平和条約が成立し又は、戦争状態終結の宣言がなされない間は、たとえ現実の戦闘行為が行われていなくとも、国際法上戦争状態は継続するものであつて、このことは確立せる国際法の原則である。(英国控訴院の一九四七年英国王対ボツトリル事件判決、ドイツのハルレ高等裁判所同年六月四日判決、ウイス・バーデン憲法裁判所一九四六年九月二〇日判決およびゲラ高等裁判所同年九月二○日判決等参照。)したがつて、降伏文書により、日本の軍隊が無条件降伏をしたからとて、それで国際法上の戦争状態が終了したことにはならず、右休戦協定に基く連合軍の占領中は戦争状態が継続するものであり、右占領が戦後占領でないことは明らかであるから、これに陸戦法規条約は適用あるものというべきである。 また、「保障占領」は、国際法上、戦後平和条約の履行を保障するために行なわれる占領等の如きものを意味するところ、連合国による日本の占領がこれに当らないことは明らかである。さらに「管理占領」なる概念は、現実国際法上存在しないし、およそ占領が行なわれる場合には、占領軍による管理行政が行なわれ、右は戦時占領たると平時占領たると問わないから、もしこの趣旨において管理占領なる語を用いるのであるのならば占領の性質を分類する用語として無意味である。 三、被告らおよび同補助参加人は、ヘーグ陸戦法規条約が任意法規である旨主張する。ところで、国際法においても強行法規が存することは、内外の権威ある学者の認めるところであるが(立作太郎「平時国際法論」四八頁、L.Oppenheim,InternationalLaw,Vol.1 p19,G.Schwarzenberger, International Law as applied by International Courts and Tribunals, vol Ⅰ.3rd ed, pp.424など参照)、ヘーグの陸戦法規条約就中、陸上私有財産不可侵の原則などはその典型的な強行法規である。けだし、これは、占領軍という絶対的権力を有する者に対して人道の見地より被占領地の人民を保護しようという文明国間の多年の慣行に基いて規定されたものだからである。そして、右の理は、諸学者(P.Guggenheim, Traite de Droit Internationalpublic pp472; R.K.Woltzel, The Nuremberg Trials in Intrnational Law pp79;Lord Mcnair, The Laws ofTreaties pp213 参照)および諸外国の判例(甲第六号証参照)も認めるところである。したがつて、ヘーグ陸戦法規条約における私有財産不可侵ないし没収禁止の原則は、当事国間の条約等をもつてしても排除しえないものである。四、被告らおよび同補助参加人は、総司令部の覚書に基く解散団体の財産の日本政府への帰属が、日本と連合国との間の降伏文書による総司令部への授権に基くものであつて、ヘーグ陸戦法規条約の適用を排除しており、適法である旨主張する。なるほど降伏文書には「天皇及ビ日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当卜認ムル措置ヲ執ル連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」との文言があるが、降伏文書は形式において、連合国と日本との合意に基く国際約定とはいえないばかりでなく、右文言は、日本政府が占領軍の最高司令官の命令に従わなければならないこと、つまり被占領国政府と占領軍との間の関係を定めたものに過ぎず、占領軍の上に位する確立せる国際法の原則と占領軍との間の関係を定めたものではない。外交史上、交戦国の一方が完勝したばあい、その降伏規約において、敗者は勝者の占領軍司令官のいかなる命令にも服従すべしとの一項を挿入することは、むしろ普通のことである(一九四〇年六月二二日独仏両国間の休戦協定第三条、一九四五年五月八日ドイツ降伏に関する米ソ英仏四国政府宣言第一三条b項など)が、かかる場合にも国際法上は、ヘーグ陸戦法規条約は適用されるものとされているのであつて、現にニユールンベルグ裁判においても、右の様な休戦条約に基く占領下にあつたフランス其他の地域におけるドイツ軍の非人道的行為をヘーグの陸戦法規条約に対する違反行為として、その責任者を処罰しているのである。しかも、ポツダム宣言は日本国民の基本的人権尊重の条件を明示し、日本人を奴隷化せんとするものでないことを確言している。従つて、降伏文書の前記文言は、単に通例に従い日本政府の統治権が占領軍最高司令官により制限されるという占領の当然の結果を記したに過ぎず、右文言からは、日本国の統治は一切これを連合国最高司令官の専断恣意に委ね、連合国最高司令官の行動はすべてヘーグの陸戦法規条約の埒外にあると解することはできないのである。(なお、この点を連合国側が認識していたことは、昭和二〇年一一月一日付の連合国最高司令官に与えられた「日本降伏後における初期の基本方針」、同年一二月一九日付の「マツカーサー元帥の管下部隊に対する訓令」、同年九月六日付の「連合国最高司令官の権限に関するマツカーサー元帥に対する大統領通達」などによつて明らかである。) 五、被告らおよび同補助参加人は、日本国内における私法上の権利関係は、それを命じた総司令部の指令が単に国際法に違反したというだけでは当然無効の原因となるものではない旨主張している。しかし、行政法上、とくに重大な瑕疵のある公権行為は無効であることが認められているところ国際法違反の公権行為(没収の指令)は、とくに重大な瑕疵があるものと考えるべきである。したがつて、この無効な指令に基き日本政府が発した没収命令は無効であり、ひいては右命令により法律上当然行なわれた解散団体の財産没収も無効であり、さらにこの没収財産の譲渡による私法上の権利の取得も当然無効となるわけである。この点は、内外の学者(立作太郎「戦時国際法論」二六四頁、L. Oppenheim,op. cit,VolⅡ.p619;高根義三郎「行政訴訟の研究」二〇一頁以下など)および内外の判例(千葉地昭和三一年四月一〇日判行裁集七巻九八八頁以下、スイス連邦裁一九四八年六月三日判、べルギーのリユージユ控訴裁一九四五年一〇月一九日判、ギリシヤのヘラクリオン刑事裁一九四五年判決、イタリアのフロレンス裁判所一九四五年一二月一〇日判、ドイツ最高裁一九四八年二月一三日判など)も認めるところである。 六、被告らおよび同補助参加人は、たとえ解散団体の財産の日本政府への帰属が国際法違反であるとしても、平和条約一九条(d)項により、かかる行為の効力を承認すべく義務づけられているから、これは無効とはならない旨主張している。そもそも占領は、一時的状態であり、被占領地の領土の変更は講和条約でこれを定めない限り行なわれないものである。したがつて、占領地が領土所属国に復帰するときは、領土所属国の主権が当然完全に行われるようになり、いわゆる国際上の原状回復により、原則として占領前の状態が復活するのである。その際、領土所属国の正統政府が原状回復の原則を無制限に適用して占領軍の占領中に発した法令がたとえ国際法上適法なものであつても、これらを遡及的に無効化することが甚だ多い。また国際法学者の間でも、あくまで右原状回復の理論を貫こうとする者と、これに反し、占領軍が国際法上認められる権力の範囲内で合法的に行つた行為については、領土所属国は、占領地回復の後においても、これが法律上の効力を認むべきであるとする者とに見解が分れている。つまり平和回復後の国際法上の原状回復の原則の適用については、国際間の実例も国際法学者の学説も区々であるから、平和条約一九条(d)項は、この点を明確にすべく、総司令部が日本占領中、国際法上合法的に行なつた行為1指令およびこれに基くポツダム政令、規則によつて生じた事態-を、平和条約成立後、日本国が遡及的に無効としてはならないことを定めたものである。したがつて、国際法に違反した指令は、本来無効であつて、そもそも平和条約一九条(d)項の対象とはならないものである。 第九、証 拠(省略) 理 由 第一、原告の当事者能力の存否 原告が昭和二〇年一二月三一日解散して清算法人となつていたところ、同二一年八月二九日、同年勅令第一〇一号第四条第一号(イ)、第二条の規定に基く内務省告示第一二四号を以て、右勅令のいわゆる解散すべき団体に指定された結果、右勅令による解散をしたことは当事者間に争のない事実であるが、ここでまず原告がこの解散により直ちにその法人格を喪失するに至つたか否か、したがつて、現在当事者能力を有するか否かについて検討する。 一、総司令部は、昭和二一年一月四日附覚書(AG○九一)を以て、日本政府に対し、軍事的又は準軍事的訓練の実施、元陸海軍人たりし者に対する同等の民間人以上の恩典供与、又は特種の発言権附与、或いは日本国内に於ける軍国主義又は尚武心の保全其他一定の占領目的に反する団体又は個人の一切の活動を禁止し、(第一項)、右のような活動を目的とする団体を解散させ、(第二項)、かかる団体の自己の財産に関する取引を阻止し、その財産全部を接収保管す(同項)べき旨を指令し、日本政府は、右覚書に基き、同年二月二三日公布の勅令第一〇一号によつて、同旨の活動をなす団体の結成を禁止し(第一条)、かかる団体に該当するものとして法務総裁が指定する団体は解散することとして(第二条)、かかる団体が自己の資産に関する取引をなすことを禁止し、その資産を接収保管するものと定めた(第三条一、二項)。而して、これらの措置の主たる目的は、明らかにポツダム宣言第六項の実施、即ち、軍国主義的権力および勢力の除去にあるものと解されるから、軍国主義的諸活動を現在および将来にわたつて排除できれば足り、そのためには、かような活動をなす団体の新たな結成を禁止し、既存のそれを解散させ、さらにその資産を接収すれば充分であり、かかる団体が法人の場合に、解散による清算が結了するまで清算の目的の範囲内でこれが存続することまで禁ずる程の要請は含まれていないと考えられる。とすれば、上記の覚書および勅令が、そのいわゆる「解散」にとくに通常と異る意味を持たせ、民法第七三条の適用を排除して、この解散においては、直ちに法人格を消滅させ、清算法人としての存続すら許さない趣旨を定めているものとは解し難い。 二、ところで、さらに、上記勅令により解散された団体の財産の管理処分等については、総司令部は、昭和二三年三月一日附覚書(AG三八六・七)を以て、日本政府に対し、解散団体所属の一切の財産の権利を日本政府に同日附で移転し(第四項)、日本政府においてこれを売却し、(第六項)、解散団体財産収入金特別会計を設定して、解散団体からの収入およびその財産の清算による売得金はすべてこれに繰り入れ(第九項)、右会計に預け入れられた資金を利用し、これを一般会計に繰り入れ、承認された債務の支払総司令部の承認をえた解散団体の清算に関する処分のために利用す(第一〇項)べきことを指令した。そして、日本政府は右覚書に則り、同年八月一九日公布の政令第二三八号により、解散団体の財産はすべて国庫に帰属し、これを目的とする担保物権は消滅し(第三条)、法務総裁が原則として右財産を管理して、これを広く公告して入札の方法により、売却し(第七条)、右財産のうちの現金、預貯金又は財産管理による収益金若くは売得金は、解散団体財産収人金特別会計の歳入とし(第一三条)、解散団体に対する債権者にはその債権を一定期間内に申し出させて(第一五条)、そのうち法務総裁が承認した解散団体の債務は法務総裁が前記特別会計に属する収入金から支払う(第一四条)こととされた。そうすると、ここに勅令第一〇一号による団体の解散後の財産関係の整理がより明確にされたわけであり、これは要するに、解散団体の積極財産を国庫に帰属させ、国家機関がその売得金等から右団体の債務を支払うという方式であるから、その手続は形式上民法所定の法人の清算手続などとはかなり異るものの、実質においては、解散団体の清算そのものにほかならず、ただこの場合は、軍国主義的勢力等の除去を徹底的に行うために、当該団体の定める者ないしは理事者等に自主的な清算の執行を委ねずに国家機関がこれに代つて強制的に清算手続をなすに過ぎないものとみるべきである、とすれば、前記解散団体が法人のばあいには、解散後も右清算の目的の範囲内で存続するものといわねばならない。 三、したがつて、法人が昭和二一年勅令第一〇一号に基き解散させられたばあいには、以後その清算が結了するまで清算法人として存続するものと解すべく、同勅令に基き解散した原告は、解散と同時に消滅することなく、現在なお、清算法人として存続しており、その当事者能力に欠けるところはないものというべきである。(鑑定人入江啓四郎のこの点に関する鑑定意見は採用できない。) 第二、請求原因事実の存否原告主張の請求原因事実のうち、以下の事実については、当事者間に争いがない。 一、原告は、旧日本海軍の高等武官及び高等文官並びにかつてそれらの者であつた人々により組織された、「海軍に関する学術の研究を為し、又社員相互の友誼を敦うし、及びその便益を図る」ことを目的とする財団法人である。 二、ところが、前叙のとおり、原告は昭和二〇年一二月三一日に解散し、同二一年二月一三日に解散登記を了したところ、総司令部が同年一月四日付覚書(AG○九一)を以て、日本政府に対し「或る種の政党、協会、結社及び其他の団体」を解散さすべき旨を指令し、同年八月二日原告を右解散さすべき団体の中に追加指定してきたので、日本政府は同二一年勅令第一〇一号に基き、同年八月二九日付内務省告示第一二四号を以て、原告を解散すべき団体として追加指定した。そしてまた、前叙のとおり、総司令部は、同二三年三月一日付覚書(AG三八六・七号)を以て、解散された原告の所有に属する本件不動産を含む一切の財産に関する権利を同日附を以て日本政府に移転すべき旨指令し、日本政府は、右覚書に則り同年八月一九日公布した政令第二三八号によつて、原告の本件不動産を含む一切の財産は国庫に帰属するものとした。 三、しかして、被告ロツジ協会が、昭和二五年六月三〇日被告ら補助参加人たる国から本件不動産を代金八〇〇〇万円で買受け、同年八月二五日東京都知事の嘱託によつて、その旨の所有権取得登記を経由した。 四、ところが、被告ロツジ協会は、昭和二七年一〇月二日解散して清算法人となり、同三〇年一〇月二五日その頃新たに設立されようとしていた被告メソニツク協会に対し、本件不動産を含む一切の財産を寄贈し、同被告は翌三一年一月七日設立登記を了え、同三二年一一月五日本件不動産の各所有権取得登記を経由し、現に本件不動産を占有している。 第三、本件不動産の国庫帰属の適否 ところで、前項においてみた政令による原告所有の本件不動産の国庫帰属が適法であるか否かについて、検討しなければならない。 一、ヘーダ条約とその法的性格一九〇七年の第二回ヘーグ平和会議において採決された陸戦法規条約の第四六条第一項は、「家ノ名誉及権利、個人ノ生命、私有財産並宗教ノ信仰及其遵行ハ、之ヲ尊重スベシ。」と規定して、私有財産の尊重をその中に謳い、さらに、同条第二項は「私有財産ハ、之ヲ没収スルコトヲ得ズ。」と規定して、とくに私有財産の没収禁止を明らかにしている。 (一)、ところで、右条約の協定第二条は、本条約の規則・規定が「交戦国カ悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限リ、締約国間ニノミ之ヲ適用ス。」とのいわゆる総加入条項を挿入しているので、被告らおよび同補助参加人は、第二次世界大戦における連合国の中にはこの条約の未批准国があることを理由に、右条約が同大戦に関しては適用されない旨主張する。 なるほどヘーグの陸戦法規条約は、それが採択された当時現存した戦争に関する一般の法規と慣例とをより精確にし、或いは修正しようとしたものである(同条約前文第一項)が、こと占領地内における私有財産の尊重の慣行に関しては、近世に入つて、私有財産尊重の観念が認められるにともない、徐々に普及して行き、既に一九世紀初めには多くの文明国によつてこれが承認されて、国際慣習法上の原則として確立されるに至つていたため、かような国際慣習法を確認し宣明するという意味をもつにとどまり、したがつて、前示第四六条の規定するところは、右条約自体とは離れても慣習法化した独自の効力を有するのである。とすればたとえ総加入条項によつて、右条約そのものの適用が排除されるとしても、そこに規定された私有財産尊重、没収禁止の諸原則は、第二次世界大戦に関しても適用をみると解するのが相当である。(鑑定人田畑茂二郎、同前原光雄の各鑑定の結果、いずれも成立につき争のない甲第三、六、八、一〇号証、参考甲第四、五号証における諸見解参照。) (二)、ところで次に、ヘーグの陸戦法規条約(これによつて確認された国際慣習法を指す、以下同じ)が、具体的、に第二次世界大戦における連合国の日本占領に適用されるか否かに関する問題として、右占領がヘーグ条約のいう「占領」に該当するかどうか、および連合国軍最高司令官による解散団体の財産の国庫帰属の指令がへーグ条約の規定する「没収」に該当するかどうかについて判断するに先だち、ここで、同条約第四六条において確認された私有財産尊重、没収禁止の原則が、他の全ゆる条約その他国際上の合意に優先して適用されるべきものであるか否か、即ち、これらの原則が国際法上の強行法規か否かについて検討する必要がある。国内法秩序の下では、法が組織的、統一的に定立され、かつ公権力の背景の下に組織的、統一的に適用されるのであるから、個々の諸主体間の合意を法の規定に反するものとして無効とする強行法規の存在が可能である。ところが国際社会は、国際連盟や国際連合にみられるように、最近著しく組織化されてきてはいるものの、一般的な法規が多数決によつて定立され、これが全体の国々を拘束することを認めるまでには立ち至つていない。このような国際法秩序の下においては、法は基本的には法主体たる国家間の明示(広義の条約)ないしは黙示(国際慣習)の合意に基いて成立し、その合意をなした国々に及ぶにとどまるというほかはない。そして、その合意相互の間においては、とくに効力の優劣はないため、多数国間の一般的合意(一般法規)と同時に、同一事項についてこれと矛盾し、或いは相排斥し合う特定国間の特別の合意(特別法規)があるばあいには、一般法規が強行法規として特別法規を排除することはなく、ただ特別法が一般法を破るという法則がここでも妥当するにすぎない。したがつて、国際法は、原則として、補充法規的な性格をもち、任意法規と考えざるをえないのである。(鑑定人高野雄一、同田畑茂二郎、の各鑑定の結果、成立に争のない乙第一号証における見解、参照。鑑定人前原光雄の鑑定の結果および甲第七、三四、三七、四三号証における諸見解のうち、右判断に反する部分は採用しない。) もつとも、国際法も、法である以上、文明国において確立されている全ゆる法体系を支配する理念ないし基本的価値ともいうべき「公の秩序、善良の風俗」に反する国家間の合意にまでその法的効力を認めることはできないといい得るであろう。(鑑定人田畑茂二郎の鑑定の結果、成立に争のない甲第三五、三七、四三号証参照。)、したがつて、特定国間において、例えば、一定の人種を虐殺するとか、一地域の病院を一切閉鎖するとかを合意しても、これは明らかに国際法上の「公序良俗」に反するものとして無効といわざるを得ない。しかしながら、私有財産の尊重、没収禁止の原則は、前述のように近代法における重要な原則ではあるにしても、国内法上、国家体制のいかんによつては制度的に私有財産を否認し、または制限するものがあるし、資本主義国の場合にも、公共の目的のために私有財産に制限が加えられ、或いはその剥奪没収が行われることがあり得るのであるから、右の原則をおよそ文明国において認められている至上の法理念の一つということはできない。また、国際法上も海上では私有財産が大幅に捕獲没収の対象となるのであり、これに反して、とくに占領地の陸上私有財産の没収が禁止されるのは、これらの財産は、住民の生活に直接関連するものが多いため、その没収により住民の生活を圧迫混乱させ、かえつて、占領軍の立場を困難にし、軍事的にも得る所が少ないばかりでなく、占領では没収以外の手段により私有財産を占領軍のために利用できるし、また没収までしなくともそれらが敵国の戦力に利用されるのを容易に防止しうると考えられているからにほかならない。そうすると、国際法上私有財産が尊重され、その没収が禁止されているのは、超越的な法理念に由来するものでぱないと解せられ、したがつて、この原則は、いまだ国際法上の公序良俗と称することはできず、これに反する国家間の合意の効力を排除するものと考えることはできないのである。(鑑定人高野雄一、同田畑茂二郎、の各鑑定の結果参照。) 二、降伏文書と占領軍の権限 ヘーグ陸戦法規条約において成文化された私有財産尊重、没収禁止の原則が強行法規でないことが前項において明らかにされた。したがつて、右の一般法規に対して、これと異る或いはこれに反する特別の協定がなされ、特別法規が成立するとすれば、後者が前者に優先して適用されるわけである。そこで進んで、日本が第二次世界大戦において、連合国に降伏するに際し取り交された降伏文書を、右に述べた意味での特別の協定とみることができるかどうかについて考察する。 (一)、降伏文書の法的性格 第二次世界大戦における連合国による日本の占有は、日本が、連合国によつて提示されたポツダム宣言の条項を正式に受諾することを表明した降伏文書に基づいて行われたことは明らかである。そして降伏文書は、形式上は、一方、日本を代表する外務大臣および参謀総長が署名し、他方、連合国を代表する連合国最高司令官以下各国代表が署名し、実質的には、日本軍の連合国に対する降伏を約するとともに、日本と連合国との間の戦闘を停止するための条件について約したものである。したがつて、これは、日本と連合国との合意に基いて成立した国際的協定としての性質をもつているものといわねばならない。 もつとも、降伏文書の内容そのものは、連合国によつて一方的に決定され、日本としてそれをそのまゝ受諾すべきことを要求されたものであつて、アメリカ合衆国政府の昭和二〇年九月六日付マツカーサー元帥宛通達においても、「われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。」「ポツダム宣言に含まれている意向の声明は、完全に実行される。しかし、それは、われわれがその文書の結果として日本との契約的関係に拘束されていると考えるからではない。」とされている。そして右通達において、連合国と日本との関係が契約的基礎の上に立つていないというのは、降伏文書が対等の地位にあるものの間の取引的関係を基礎にした通常の国際協定と異ることを指摘したものといえよう。しかし、国際法においては、強制による協定も、国際協定として有効なものと認められるのであるから、たとえ、降伏文書が連合国の強力な軍事力を背景とする要求を日本が受諾するという形で締結されたものであつたとしても、その国際協定たる性質を否定することはできないのである。(鑑定人入江啓四郎、同高野雄一、同田畑茂二郎の各鑑定の結果、前掲乙第一号証参照。) (二)、降伏文書に基く連合国最高司令官の権限 降伏文書およびその内容として採り込まれたポツダム宣言の中には、占領地における私有財産尊重、没収禁止の原則を直接排除する規定はない。しかし、日本は、ポツダム宣言の条項を受諾し、かつ、降伏文書に調印することにより、連合国を代表する最高司令官が右条項を含む「降伏条項ヲ実施スル為適当卜認ムル措置ヲ執ル」権限を有し、かつ、日本が右権限に従属することを承認した(降伏文書第八節)のである。 他方、ポツダム宣言は、基本的人権の尊重が確立されるべきこと、および連合国が日本人を奴隷化する意図を有しないこと(同宣言第一〇項)を明らかにしているのであり、また、一般に降伏文書のような特別の合意は、降伏国の利益のために制限的に解すべきものとされている(鑑定人高野雄一の鑑定の結果参照)ことに鑑みれば、降伏文書に基く最高司令官の前記降伏条項実施の権限は、一般国際法上認められている被占領国民の権利ないしは自由を制限したり、或いは剥奪したりする点に関する限り全くの自由裁量と考えるべきではなく、その目的を達するために必要な行使、即ち客観的に降伏条項の実施に必要な限度においてのみ、その行使が許されるものと解されるべきである。 ところで、ポツダム宣言は、日本の降伏条件の冒頭において、「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙二出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢カハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」(第六項)とし、次いで、「右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国、戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ連合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ竝ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ」(第七項)と規定して、日本における軍国主義が徹底的に除去さるべきことを強調している。さらに米国は、降伏文書の調印後間もない昭和二〇年九月二二日連合国最高司令官に宛て、「初期の対日方針」なる文書を以て、降伏条項の実施方法を指示したが(なお、この基本方針は、その後日本管理に関する連合国の最高機関たる極東委員会の昭和二二年七月一一日決定「降伏後の対日基本政策」において、そのまゝの形で確認的に規定されている。)、その第三部「政治篇」の第一項「武装解除および非軍事化」には、日本の完全な武装解除、軍事的ないし準軍事的組織の解消、軍国主義および好戦的国家主義の積極的代表人物であつた者の公職追放などとともに、「極端な国家主義的又は軍国主義的な社会上、政治上、職業上および商業上の団体および機関」を「解消」すべきことが示されている。右は米国ないしは連合国の、連合国最高指令官に対する内部的指令であつて、連合国と日本との国際的約定でないことはいうまでもないが、連合国によつて起草されたポツダム宣言における抽象的な降伏条項の具体的内容を明らかにすべき重要な資料とみることができよう。そして以上を綜合すれば、ポツダム宣言および降伏文書に規定された降伏条項の一つである日本における軍国主義勢力の永久的除去は、その実施方法の一つとして軍国主義的団体の解消を予定し、軍国主義の永久的根絶という高次の目的を達成するためには、単にそのような団体を解散させるだけではいまだ充分とはいえず、その再起の芽をもつみとるために解散した団体の財政的基礎をも奪うことまで必要としていたと解すべきである。 してみれば、連合国最高司令官が総司令部覚書により、海軍に関する学術の研究等をする団体である原告を叙上の如き団体に該るものとして解散させ、その所有する本件不動産を国庫に帰属させたことは、第二次大戦における連合国の日本占領の性質がヘーグ条約にいう「占領」に該当するかどうか、また上記覚書に基く解散団体の国庫帰属が同条約の「没収」に該るかどうかの判断を俟つまでもなく、ポツダム宣言の降伏条項の実施に必要にして適当な措置ということができ、これは降伏文書によつて最高司令官に付与された権限の範囲内に属するものとして法的根拠を有し、国際法上何ら違法な行為ではないと考えるべきである。(この点に関する鑑定人田畑茂二郎の鑑定の結果には、同調できない。) 第四、結 論 以上の次第で、本件不動産の所有権は、国際法上根拠のある総司令部の指令に基き、前記政令によつて適法に国庫に帰属し、その結果、原告は、右不動産の所有権を失つたものといわざるをえない。したがつて、原告の本件不動産所有権を前提とする本訴請求は、いずれも爾余の点につき判断するまでもなく、失当である。 よつて、原告の被告らに対する請求は、すべてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、を適用して、主文のとおり判決する。 (裁判官 中田四郎 磯部 喬 加藤和夫) 判例移動させておきます--大和屋敷 2011年1月22日 (土) 22:58 (UTC) 長文なので折りたたんであります。見るには右の[表示]クリック
損害賠償請求事件 【事件番号】 京都地方裁判所/平成19年(ワ)第3986号、平成20年(ワ)第797号、平成20年(ワ)第2263号、平成20年(ワ)第3884号、平成21年(ワ)第1575号 【判決日付】 平成21年10月28日 しかし,上記のとおり,被告が原告らを労役賠償として提供するという遺棄行為等が認められないから,前記最高裁判決の判示するとおり,原告らがソ連によるシベリア抑留によって被った損害は, 「日本が無条件降伏」したことにより,ソ連によって軍事捕虜として扱われ, ソ連領内に抑留されて,強制労働に従事させられること等によって生じたものであり,戦争によって生じた損害といえる。 そして,戦時中から戦後にかけては, すべての国民が,その生命,身体,財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされていたのであって, 戦争損害は,日本国民が等しく受忍しなければならなかったものであり,シベリア抑留者が長期間にわたる抑留と強制労働によって受けた損害が深刻かつ甚大なものであったことを考慮しても,他の戦争損害と区別とされるものではないことになる。 損害賠償請求事件 【事件番号】 札幌地方裁判所判決/平成15年(ワ)第2636号 ウ 被告の外交機能停止等 「被告は,上記のとおり,昭和20年(1945年)8月15日にポツダム宣言を受諾して無条件降伏」し,同年9月2日に降伏文書に調印したが, スイス及びスウェーデン等の6中立国との外交又は領事関係はポツダム宣言受諾後も継続しており, 中立国との関係維持はポツダム宣言の条項履行に反しないとする解釈をとっていた。しかし,GHQは,日本の占領政策を始め,同年10月25日,日本の占領及び管理と両立しないとして, 「外交及び領事機関の財産及び文書の移管方に関する覚書」等によって被告の外交機能を全面的に停止し, 外国との交渉はすべてGHQを通じて行うか,あるいはGHQが日本に代わって行うこととした。 被告の外交機能停止状態は,昭和27年(1952年)4月のサンフランシスコ平和条約の発効によって日本が連合国から独立するまで続いた。(乙総10)
(ア) 以上の主張等について検討するに、まず検察官の主張のうち、八月一四日の時点でポツダム宣言に法的な効力が生じていなかったとする点については相当でない。 すなわち、国家間での合意が文書等の一定の形式をもって行われる場合、通常は当該形式が整った時点において法的な効力が生じると解されるが、 ポツダム宣言の受諾は、日本が交戦状態にあった米国らによりなされた降伏勧告を受け入れるというものであり、国家間において通常の合意がなされた場合とは別異に考える必要がある。 「ポツダム宣言はいわゆる無条件降伏を日本に対し勧告する内容のもの」であり、 いわば緊急状況下における交戦国間の合意であって、その性質や受諾が為された以降降伏文書に署名がなされるまでの経緯などに鑑みれば、受諾がなされたときより戦争終結の条件とされた条項については、 当事国間において少なくとも国際法的な拘束力を生じるに至ったと考えられ、 その後になされた降伏文書への調印等は、ポツダム宣言の受諾がなされた事実を確認する意味合いのものであったというべきである。
【事件番号】 大阪高等裁判所判決/平成10年(行コ)第22号 我が国は同宣言を受諾して無条件降伏をしたのであるから、日本軍は解体され消滅することになったものである。 また、現実に連合国軍が日本を占領し、我が国の統治組織を支配下に収めるまでの間は、軍及び政府が事実上その機能を失っていなかったとしても、 国が無条件降伏をし、外地にある軍もこれに従う以上、軍人は、降伏した敵国の元軍人として、その滞在地を支配する国の取扱いにゆだねられることになるのは必然的な成り行きといわざるを得ない。 したがって、このような状況下にあっては、我が国がポツダム宣言を受諾して我が国の軍人に武装解除を命ずるに当たり、その軍人の帰還につき滞在地を支配する国(本件では当時の旧ソ連) の政府と軍人の帰還について外交交渉を尽くさなかったとしても直ちに安全配慮義務に違反したとはいえないというべきである(最高裁平成九年三月一三日判決参照)。
同年八月六日広島に原爆投下、八月八日ソ連対日宣戦布告、八月九日長崎に原爆投下、八月一四日我が国はポツダム宣言を受諾して連合国に対して無条件降伏 (もとより、カイロ宣言及びポツダム宣言記載の条件による降伏であって、形式的には条件付き降伏である。 しかし、一五項目にわたる条件を見ると、実質的にはほぼ無条件降伏に近い内容というほかない。本裁判においてポツダム宣言の受諾が無条件降伏というのは、その趣旨である。) 香港軍票補償請求事件 【事件番号】 東京地方裁判所/平成5年(ワ)第15280号 【判決日付】 平成11年6月17日 しかし、日本が無条件降伏をしたからといって、そのことから被告に軍票を換金する法的義務が新たに生じたと解することはできない。 したがって、原告らの右主張は採用できない。
【事件番号】 東京地方裁判所八王子支部判決/昭和63年(ワ)第1134号 会社がこのような万全の体制を整えたのに対し、組合は、なお全面ストライキを回避するために妥協線を求めるべく、いわゆるトップ交渉を申入れたが、 その際、社長は「歩み寄る気持は全くない、一〇〇日戦争をしても闘う、組合の無条件降伏あるのみ」と述べ、全く妥協する姿勢を示さなかった。
【事件番号】 東京高等裁判所判決/平成元年(ネ)第1556号 【判決日付】 平成5年3月5日 原判決理由欄一六五頁八、九行目の「二六日」を「二七日」と、同一六六頁一行目の「認められるから」から同五行目の「日本について」までを「認められ、右によれば、我が国政府は、前記のとおり無条件降伏により連合国の占領下に置かれ、 極めて制限された外交権能しか有しないという当時の状況において、不十分ながらも総司令部に種々働きかけた結果、米ソの政府間交渉や対日理事会の場で、 我が国の悲願であるソ連からの日本人抑留者の早期引揚げという要求の実現に向け協議等が継続的に行われたことが認められ、その効果の点はともかく、 少なくとも我が国政府が長期抑留及び強制労働を不当に放置していたとみるのは相当でなく、したがって」と各訂正する。
損害賠償請求事件 【事件番号】 東京地方裁判所判決/昭和56年(ワ)第4024号、昭和56年(ワ)第8983号、昭和57年(ワ)第731号、昭和60年(ワ)第12166号 【判決日付】 平成元年4月18日 ヘーグ陸戦規則は、その一条ないし三条において、正規軍の将兵以外に民兵及び義勇兵等に対しても捕虜の地位を承認しているけれども、交戦国の一方が無条件降伏後にその将兵が相手国の捕虜となりうることを規定してはいないこと前叙のとおりであるし、 二九年条約は、その一条で、同条約の適用対象者について 「一 陸戦ノ法規慣例二関スル千九百七年十月十八日ノ海牙条約附属規則第一条、第二条、及第三条二掲グル一切ノ者ニシテ敵二捕ヘラレタル者 二 交戦当事者ノ軍二属シ海戦又ハ空戦中二於テ敵二捕へラレタル一切ノ者(以下略)」 と規定し、伝統的捕虜の概念を維持している。 第二次大戦後、連合国は、日本の無条件降伏により連合国の手中に入った日本軍将兵を「降伏敵国人員」(SUR-RENDERED ENEMY PERSONEL)と呼称し、アメリカ政府は、一九四七年三月一七日付けで、 降伏敵国人員も二九年条約に規定された取扱いを受ける資格を有する捕虜とみなすべきであると考える旨を表明したが、赤十字国際委員会も、降伏敵国人員に対しても捕虜としての待遇を与えるべきとの見解を示した。
【事件番号】 東京地方裁判所判決/昭和59年(行ウ)第47号 【判決日付】 昭和63年9月29日 戦争犯罪人の厳重な処罰を含む無条件降伏をなすよう要求し、これを受け入れた我が国は同年九月二日、連合国に無条件降伏し、 同月二〇日、大日本帝国憲法八条一項に基づき、政府は「ポツダム宣言」の受諾に伴い連合国最高司令官のなす要求を実施するため特に必要ある場合には命令をもって所要の定めをすることができる旨の勅令(勅令第五四二号)が発せられた。 (注・これは判決でなく、被告(政府)の答弁書。つまり政府自身も「無条件降伏」を当然のものとして受け止めている)
【事件番号】 最高裁判所第3小法廷判決/昭和52年(オ)第1395号 【判決日付】 昭和57年3月30日 (二) ところで、本件各処分はいずれも終戦後平和条約発効前に行われたものである。わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合国に対し無条件降伏をした結果、 連合国最高司令官は、降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を有し、この限りにおいてわが国の統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かれることとなった(降伏文書八項)。
【事件番号】 東京高等裁判所判決/昭和38年(ネ)第528号 一方日本国としても敗戦の結果無条件降伏をし、連合国軍隊によつて国土を占領されており、事実上右連合国側の要求を拒否する自由を有しなかつたとはいえ、自国民の有する在外資産が賠償に充当されることを承認し、 その限度で賠償義務を免れた以上、それは日本国即ち日本国民全体の負担すべき賠償義務を特定の在外資産所有者の犠牲において解決したものと見るほかはない。 ポシダム宣言受諾、無条件降伏という異常な事態の中で、政府としては外地及び外国在留邦人間の多大な動揺と混乱の救済を急務としていたものであつて、右に対処すべき次のような決定がなされた。
【事件番号】 東京高等裁判所判決/昭和38年(ネ)第528号 一方日本国としても敗戦の結果無条件降伏をし、連合国軍隊によつて国土を占領されており、事実上右連合国側の要求を拒否する自由を有しなかつたとはいえ、自国民の有する在外資産が賠償に充当されることを承認し、 その限度で賠償義務を免れた以上、それは日本国即ち日本国民全体の負担すべき賠償義務を特定の在外資産所有者の犠牲において解決したものと見るほかはない。 ポシダム宣言受諾、無条件降伏という異常な事態の中で、政府としては外地及び外国在留邦人間の多大な動揺と混乱の救済を急務としていたものであつて、右に対処すべき次のような決定がなされた。
第三、請求の原因に対する被告の答弁と主張 一、請求の原因に対する答弁 請求の原因一は、原告徳田たつが徳田球一の妻であることを知らないほかは認める。 請求の原因二は認める。 請求の原因三の本件追放処分が無効であるとの主張は争う。わが国は、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合国に対して無条件降伏をし、その結果、連合国最高司令官は、降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を有するに至り、 この限りにおいてわが国の統治の権限は連合国最高司令官の制限の下におかれることになつた(降伏文書第八項)。 (注・これも被告の答弁書)
島市及び長崎市に原子爆弾の投下されたことを直接の契機として、日本国はそれ以上の抵抗をやめ、ポツダム宣言を受諾することになり、かくして連合国の意図する日本の無条件降伏の目的が達成され、第二次世界大戦は終結をみるに至つたのである。 このように原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによつて生ずる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。かような事情を客観的にみれぱ、広島長崎両市に対する原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い。 のみならず、その後も核兵器使用禁止の国際的協約はまだ成立するに至つていないから、戦時害敵手段としての原子爆弾使用の是非については、にわかに断定することはできないと考える。 (注・これも被告の答弁書)
【事件番号】 東京高等裁判所判決/昭和36年(ネ)第1678号 日本はポツダム宣言を受諾し連合国に無条件降伏をなし、昭和二十年九月二日降伏文書に調印した結果、降伏文書に基く連合国軍の占領を受諾したことは、公知な事実である。 占領に関する法律関係は降伏文書により規律されるわけであるが、降伏文書第八項は、「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当卜認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下二置カルルモノトス」と規定している。 節をわけますCbh87090さんにおねがいなのですが、ノートの情報量が膨大で閲覧や発言(投稿)に困難が生じますので、判例などを大量に貼り付ける行為は控えていただけませんか?基本的に「判例」の節は従前[70]申し上げましたように独自研究になりますので、「無条件降伏について判例の面から論じた」信頼できる引用元からの記述だけにしませんか?あきらかにWikipediaの範囲を逸脱しはじめていますよ。--大和屋敷 2011年1月26日 (水) 04:32 (UTC)ドイツの点については引用元の語句に正確におきかえました。判例については「貴殿がなにを根拠に」正しい、まちがっているを述べておられるのか検証不能ですので修正しませんでした。提案ですが「判例」節は一旦削除のうえ、「無条件降伏について判例の面から論じた」信頼できる引用元からの記述に置き換えませんか?ちなみに当方はそのような文献を持っておりませんので「全部削除」を推奨します。--大和屋敷 2011年1月26日 (水) 04:40 (UTC)たとえば大量の判例はウィキソース[71]にまとめ、そこにリンクをはることができますが、「判例を分類する」という(決して簡単でない・複雑な)行為は、学術的で本質的な作業ですので、無名の(互いにどこの誰とも分からない)編集者たちが勝手にやるには荷が重過ぎるような気がちとしています。--大和屋敷 2011年1月26日 (水) 04:48 (UTC) あのさ。あんたの判例解釈。国際法の解釈全部間違っているよ。 水交社事件で原告の慰安婦が無条件降伏を主張?逆だろ 「無条件降伏性」「歴史の断絶」ってなんだよ。馬鹿丸出し、独自見解はお前だろ
「判例百選の解説は見るな。判例がわからなくなる」というのは法学徒なら誰もが一度は聞く常識なんだよな(笑 調査官解説ならまだしも、学者の解説というのは、学者の変なバイアスや独自解釈がともなうだろう? これを読むと判例がわからなくなって「司法試験は落第する」とまでいわれたもんだ(笑 だから、判例をさらに二次加工した学者の解説じゃないとwikiでは駄目だなんて理解を超えるルールだよ。他の法律のページはそうなっているのか。そうでないだろう? 秀逸の解説もあるのは否定しないが、こいつの場合どうみてもそれにあたらないのは、実際君が見て判例と比べれば間違っているのは明らかじゃないかね。 少し部分変更。 判例研究その後いろいろ探したのですが、判例を網羅的にあつかい無条件降伏について論じた文献がちとみつかりませんので(高橋のように軽く評論した程度のものしかない)コメントアウトしました。今後の研究に期待したいところです。--大和屋敷 2011年2月4日 (金) 02:05 (UTC)つまり「研究領域として空白」な可能性がありまして、院なり助教なりやってらっしゃる方が論文を執筆したさい「おいそれウィキペディアに書いてあるじゃないか」などとウィキペディア初出を批判されればあまりにも気の毒すぎますのでご了承いただきたい所です。<(_ _)>--大和屋敷 2011年2月4日 (金) 02:12 (UTC) 判例の記事についてえーと、長くなりましたので節を分けます。 あと、ついでにCbh87090さんの記事は復活させていただきました。 Cbh87090さんの諸判例の記事を今更消去する必要性がないこと。 大和屋敷さんの「判例は学者の研究が付されてないと記事にできない」という主張に理由がないこと。 Cbh87090さんの出典元が正確で信用できるものである以上、全面消去には相当性がないこと。などが理由です。--以上の署名のないコメントは、Misstressthing(会話・投稿記録)さんが 2011年2月6日(日)07:11 に投稿したものです(大和屋敷による付記)。
いやいや、この場合、判例は二次資料でしょ? 裁判所の法的限界としての側面もあるけどさ、例えば、政府見解とどう違うんだい? wikiの他の法学のページは、判例はのせるな。学者の研究だけのせろ?って話しになっているかな? また、君は同じ口で、ナショナルな伝統とか、無条件降伏性とか独自見解のいってませんか。マナーは守りましょう。。--以上の署名のないコメントは、Cbh87090(会話・投稿記録)さんが 2011年2月6日 (日) 09:43 に投稿したものです(--大和屋敷 2011年2月6日 (日) 10:07 (UTC)による付記)。
依頼について。当方としては、何度も交渉に応じるといっているのに、突然のブロック依頼は、驚きです。 明らかに保護の必要生がないと思いました。 削除依頼のとこでも、書かせて頂きましたが、判例が虚偽であるというのなら ともかく、全部削除した上でのブロックは、虚偽の事実を記載した上での既成事実作成行為で在り保護依頼の権利濫用ではないですか? 何度もいってますが、判例の数が多い。ここは判例集じゃないんだ。という批判があるなら、それについては正論だからおうじますよ。 問題は、何を残して何を削除するかということなんでしょう。そこは編集人皆で決めていこうというははなしじゃないですか だったら、全部削除は少なくとも適当な解決方法にはなりませんよ。判例は無条件降伏論だけど、数が多いから、不要。全部削除だというのは、いくらなんでも、無条件降伏論の人に不公平でしょう。判例って法や条約の解釈適用の最高権威ですよ^^ : 例外有るけど。 無視(全部削除)なんてできるわけないですよ。あなたの考える編集方針と、無条件降伏を認定する数多の判例を、できるかぎり紹介したい紹介という対立点の仲でお互いの妥協点導きながら話しあって行きませんか?--Cbh87090 2011年2月6日 (日) 11:52 (UTC)
部分的な訂正にとどめ、必要な記載程度に判例はとどめました。 17行目 - 勝利者が国際法に定められたこと以外に何の約束もしないときやも一般的に無条件降伏と呼ばれる。(第13回参議院外務委員会昭和27年5月29日) 消す理由を教えてください。ここの記事には一切ないので記入していいのではないでしょうか。ご承知のとおり、無条件降伏の定義はバラツキがあり、参院外務委員会のそのひとつと示唆しますが。 45行目 「ナショナルな伝統」 いわゆる、法的断絶→歴史的断絶がダメときて、このような苦しい変遷のもとで、かくのような言葉がでてきたのですが疑念を感じます。 そもそも、条約の効力発生要件である署名の問題と、比較文化的な「ナショナルな伝統」なるものが同一文章で語られるのはおかしいのではないでしょうか。 これでは読み手に、「へー、条約って、ナショナルな伝統を分断させる」んだとか、「無条件降伏って伝統も分断させるんだ」とか間違った印象を与えかねません。 しかも、たぶんドイツの人が見たら疑念に思いませんか。「無条件降伏したけど、伝統が分断なんて勝手に決めるな。」と。 もちろん、比較文化の学者がそういっていることは事実なのでしょうけれども、国際法の話をする上では「不適」と疑問を感じざる得ません。 なぜ「ドイツの○○的分断」にこだわるのでしょう。もしそれを論じるなら、項を分けるなど工夫してほしいです。そもそも私は「不必要」と思っていますけどね。
すいません。ログインし忘れました。 もし、大和さんが高橋という人の論文を考慮せざる得ないというのなら、まあ、判例を紹介した後、反証として高橋意見を記述することについて私は中立的見地から賛成します。「判例・通説は無条件降伏を認定している。ただし一部学説に高橋の反対意見あり。」ならいいですね。ただし、高橋解釈によりすべての判例・通説が説明しきれているかといえばそれはいろんな意見もあるところですから、その点は大阪高裁や東京地裁のような深く立ち入った判例をなるべく原文ママに紹介した後、高橋解釈が正しいかどうかは記事を見る読者に判断させるとか。このあたりでしょうか。そうすれば我々が判断する必要性はなくなりますね。判例は真実かつ引用元もはっきりしているのでwikiの上記ルールは当てはまらないと思います。斜体文--Cbh87090 2011年2月7日 (月) 09:03 (UTC)
大和屋敷の編集について裁判資料の用語の使い方がおかしい 裁判と判例の用語の使い方がおかしい。 馬鹿丸出し。お前は編集するな--以上の署名のないコメントは、Misstressthing(会話・投稿記録)さんが 2011年8月23日(火)08:29(UTC) に投稿したものです(大和屋敷による付記)。
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