ノート:神代文字
ヲシテ文字ヲシテ文字のHPを見ましたが、仮名遣はむちゃくちゃ、四十八音図とやらもワ行のイ(ヰ)・エ(ヱ)がないのにヤ行のイやワ行のウがあるという摩訶不思議なもの。他の神代文字同様、とても学術的な批判に堪えるものとは思えませんね。 ponsaku 2005年12月12日(月)10:43 否定論に立脚しすぎている気がします詐欺まがいのものが多いことは承知しておりますが、だからといってすべてを否定することは不適切な態度だと考えます。 遠い過去のことを検証するのは非常に困難な作業であり、特に物証に乏しい場合は「断定できない」という程度が適切ではないでしょうか。 以下、現在の記述内容についての疑問点を列挙します。 1)記紀以前の記録をどのようにして保持したのか 日本最古の文献とされている「古事記」や「日本書紀」は、異なる方針で編纂されているものの、内容がほぼ一致していることが知られています。 双方とも文献成立よりもかなり遡った時代のことに言及しており、漢字以前に文字が無かったのならば、そのような内容をどのようにして異なる編纂者に伝達し得たのか、という素朴な疑問が湧きます。 なお、古事記も日本書紀も原本は存在せず、古事記は1371年、日本書紀は9世紀の写本が最古のものであることから、後年内容が改変・改竄された可能性や、成立年代が虚偽である可能性も考えられますし、もちろん、記述自体が虚偽である可能性も否定できないと思います。 2)上代特殊仮名遣による「88音節」は定説ではない 本文中に「字母数の問題」として上代特殊仮名遣を挙げ、「奈良時代には濁音節を含めて88音節存在したことが明らかとなっている」と断定していますが、「上代特殊仮名遣[1]」にも明記のとおり異説が提起されており、結論が出た定説ではありません。 つまり、「神代文字のほとんどは字母数が平安時代に作られたいろは歌や五十音図と同じである。これは神代文字が平安時代以降に創作されたものであることを示している。」とは断定できないはずです。 3)漢字を輸入したことをもって独自文字の否定はできない 本文中「日本にかつて高度な文明が存在し、独自の文字を使用していたならば、そもそも漢字を輸入する必要がないはずである。」と断定されていますが、政治的な変化によって文字が消滅したり、他の文字に取って代わられることは一般的にあることではないでしょうか。 例えば世界四大文明の一つである古代エジプトで用いられていたヒエログリフは、紀元前525年に古代エジプト王朝がペルシャ帝国に滅ぼされたのとともに使われなくなり、古代ペルシャ文字に変わった以降、現代エジプトではアラビア語を使っています。また、メソポタミア文明のシュメールで生まれた世界最古の文字とされる楔形文字も、複数の政変を経た後、次第に他の文字体系に取って代わられ、使われなくなっています。 このようなことから、漢字を取り入れたからといって「独自文字が無かった」とは断定できないと考えます。--以上の署名のないコメントは、203.181.90.32(会話/Whois)さんが 2006年9月6日 (水) 21:37 に投稿したものです(たわわちゃん(会話)による付記)。
「口口相伝」についてIzayohi氏より 2006年9月21日 (木) 18:53付けで「口口相伝」の「口口」を2字欠字であるとする編集が行われました。とりあえず修正はしておきましたが、また編集合戦になるのもつまらないので、証拠を挙げておきます。『古語拾遺』の最古の写本は嘉禄元年(1225年)2月23日卜部兼直書写の奥書を持つ嘉禄本ですが、天理図書館善本叢書『古代史籍集』(1972年7月 八木書店)の中に同本の影印が収められております。念のため確認しましたが、それにははっきりと「口口相傳」と記されており、欠字にはなっておりません。また、同本を底本とする岩波文庫『古語拾遺』(西宮一民校註 1985年3月)でも、本文を「口口に相伝(あひつた)へ」とし、校異として亮順本(1334年写)の「口々」を示しています。お疑いなら、ご自身の目で確認されたし。--Ponsaku 2006年9月22日 (金) 05:21 (UTC)
記事の編集について冷静な記述をお願いします。前の記事は辞書としての使用に堪える事が出来ない記述が多い為、当たり障りの無い文に差し替えておきました。閲覧者の思考を否定する政治的な主張が激く、また、手段を選ばず結論を急がせている印象を受け、どうしても一般的な使用者から見て健全な記事とは言えなかったからです。 ここで必要なのは何が正しいか、どう考えるべきか、どの主張を理解して欲しいかではなく、 閲覧した人が自分で調べて考察する手がかりの一つです。肯定、否定、何れの印象を抱かせる必要は無く、 結論を出す前に思考する余地があるべきです。 恐らく、研究に携わっている方々が記述なさっているのだと推測しますが、 Wikipediaを学説の普及や宣伝、論争に用いられるのは迷惑です。 あくまで辞書としての用途に耐えられる冷静な記述を心がけてくださるよう、よろしくお願いします。
「漢字導入の苦労」について[2]および[3]において、当方の行った除去の説明を求められましたので、申し添えます。「和漢混淆文」というのは和文特有の語彙・語法と漢文訓読特有の語彙・語法が混交したものであって、文字の混交を言うものではありません。文字の話で言えば、和漢混淆文の成立(平安末-鎌倉時代)以前から漢字と仮名の混用はありましたし、漢字の正用と万葉仮名との混用も含めればもっと遡ります。そして本題の、神代文字のことを言う際の「漢字導入の苦労」というのは、更にそれ以前の話です。日本語を表す際に、漢字という別言語を表すための使いにくい文字を使ってわざわざ日本語を表そうとした飛鳥-奈良時代、あるいはそれ以前のことを言っているわけです。つまり元記述のような奈良時代から鎌倉時代の話ではなく、列島に漢字が伝えられてから飛鳥-奈良時代に至り、更に平安初中期に仮名が成立するまでのことを言っているわけです。--КОЛЯ 会話 2012年6月4日 (月) 15:46 (UTC)
概要について江戸時代からその真贋について議論の対象となっており、偽作と主張されているものが多い。と書かれていますが現在においても決着がついていないとされており、中立的な観点から削除したいです。 Koyasanfish(会話) 2021年7月6日 (火) 16:01 (UTC) 「中立的な観点」とは、全ての意見を平等に取り扱うことではありません。当該ページにも書いてありますが、少数派の意見に不当に重み付けをしてしまうと、論争について誤った見解をもたらすことになります(いわゆる「偽りのバランス」)。神代文字についていえば、宗教的、政治的動機から熱烈に肯定する在野の研究者はいるものの、山田孝雄の「所謂神代文字の論」(1953)以降、学会では真贋論争に終止符が打たれており、否定説でほぼ固まっている状態です。あくまで偽書、偽史として研究する立場はあるものの、肯定説を支持する議論はほとんどないと言っても過言ではありません。 さらにいえば、現在より活発に真贋論争がなされていた戦前も否定説が主流であったようで、肯定説の中里義実ですら、「明治以来今日の学者は殆皆否定論者である」と認めるほどです。 以上のような現状を踏まえると、現在のこの記事も存在肯定説に甘すぎるくらいであり、重み付けの適正化(つまり、肯定説を減らし、存在否定説の側をより大きく載せる)をしても良いと思います。 現在もyoutubeなどで神代文字と検索すると肯定説よりの動画が多く出てきます(何故なら否定論者がわざわざ動画で情報発信するモチベーションもメリットも小さい)。 このような現状があるからこそ。多くの人が辿り着く可能性の高いwikipediaが、しっかりとした学術的根拠のある記事を提供し、誤った印象を与えないような記事作りを意識的にするべきだと思います。 ちょっと長くなってしまいましたが、概要欄については、現状の記述を変えないか、「ほぼ存在否定説で決着がついている」くらいの記述を加えても良いのではないかと考えます。--Saruike(会話) 2021年8月11日 (水) 18:12 (UTC) 記事内容の適切な重み付けと、情報源の問題点について現在、本記事では、権威ある学会による学術的な論争は、否定で決着がついているのにもかかわらず、否定派と肯定派の主張があたかも対等であるかのような印象を与えかねない記述が行われています。前述の通り、「中立的な観点」とは、全ての意見を平等に取り扱うことではありません。当該ページにも書いてありますが、少数派の意見に不当に重み付けをしてしまうと、論争について誤った見解をもたらすことになります(いわゆる「偽りのバランス」)。 肯定派の方は、「多数の研究者が支持している」と考えられているかもしれません。しかし、私がいう少数、多数の概念は、あくまでも、「学術的な権威を持つ研究者」に根ざしたものです。 つまり、学会誌に論文を書いたり、大学で教鞭をとっていたりする者の中で、多数の支持が得られている見解を優先すべきだということです。 wikipediaの信頼できる情報源の、信頼できる情報源#歴史、信頼できる情報源#偽の権威に注意等を参考にして頂きたいのですが、学術的なバックグラウンドや、歴史、考古学、言語学等の学会(大学の研究者が参加するような硬派なもの)への参加や、論文投稿などが確認できない人物の著書からの引用はできるだけ避けた方が無難ですし、そうした信頼に欠ける人物が何人神代文字を支持していたとしたも、それで学術的な主流派、非主流派が変わる訳ではありません。在野の研究者の貢献を否定している訳では無いです。ただ、もしそう言った研究者の言ったことに強い説得力があれば、絶対に権威ある研究者もなんらかの形で食いつくはずです。(前人未到の分野は彼らにとっては飯の種ですから!) 「信頼できる情報源」にもありますが、大学の教科書で使われるような書籍の多くに神代文字の実在が記されていれば多数派と言えるでしょうが、現状はそうでは無いと思います(もしそうなら教えてください)。 したがって、存在否定派の記述に重きをおくべきです。もし、文献が見つかりにくいようであれば、偽史研究などを行っている研究者の論文を参考にしても良いと思います。 私見になりますが、特に池田満らのヲシテ文字研究についてはほとんど削除してしまって構わないと思います。なぜなら、彼は、言語学ないしは文献批判についての専門知識があることを証明する資料(言語学や、歴史学への権威ある学会への参加や、学術雑誌の論文、関連の学位など)に乏しく、「信頼できる情報源#偽の権威に注意」のページの「専門知識を有することが検証可能な人物によるものを情報源としてください」の文面の趣旨に反するように思えるからです。(もしあると考える方がいればノートページでお示しください) また、江戸時代の研究者と、明治以降の研究者の主張が並列に書かれているのもよくないと思います。江戸時代と現代では研究の前提となる状況が違いますし、近現代の知名度の比較的低い研究者達の名前の中に「平田篤胤が肯定説をとっていた」などと書くと、論拠が強いように見えてしまう人も出てくるでしょう。 特に現在のページにある、「議論」の項目はあまり良く無いと思います。「全ての記述が神代文字全般にあてはまるわけではない。」とエクスキューズをつけているのは良いと思うのですが、「存在説に対する批判」「批判に対する批判」を同じくらいのスペースと行数を割いて両論併記してしまっています。本当に現在でも学会を二分するような論争になっているならそれで良いのですが、現実は先に述べた通りそうではありません。また、江戸時代の論者を多く提示することで、結果的に現在でも肯定と否定が伯仲しているように見せてしまっていることも問題です。確かに江戸時代は、伯仲気味であったかもしれませんが、明治以降は存在否定派の方が完全に主流になって行きます。昭和初期の肯定派の論客でも認めるほどです。 そういった問題点を払拭するため、私は、「議論」の項目を削除し、「論争史」の項目を作り(歴史の項目の拡充でも構いませんが)、偽史研究者などの研究成果を元に、議論の行われてきた歴史や、偽と判明した資料の成立時期などを含めて記述することを提案します。 そうすると、各議論の提起された時期や、背景なども推測しやすくなりますし、権威ある研究者からの支持がだんだん遠のいてくる様子がわかりやすくなると思います。また、学会において、終わった論争になっている理由も読者に理解してもらいやすくなります。 現状の私の知識と環境だと、書き切れるか微妙なので、できれば偽史研究などに詳しい方に信頼できる情報源とともに書いて頂ければ幸いです。 --Saruike(会話) 2021年8月16日 (月) 16:04 (UTC) 感得などという表現は適切ではないのでは?Wikipediaはネットのオープンな辞典です。ですから、誰が見ても理解できる平易な表現で腑に落ちるように 書かれたほうが良いと思います。感得したという表現がありましたが、この場合、自ら作り出したのか、はっきりしません。 霊感で思いついた、などとは辞典ではおおよそ適切な結びの句とは言い難いので、しっかりした述語で補ってください。--K.Kinop(会話) 2025年4月16日 (水) 13:37 (UTC)
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