ノート:紀州征伐/Log1改名提案国語辞典によれば、「征伐」とは、
とあります。しかし、言うまでもなく、雑賀や根来の勢力が一義的に「罪ある者」「悪い者」ではありません。記事名も記事の一部であるとすれば、中立性の観点から問題があると考えます。また、信長・秀吉による侵攻戦の結果、紀州は織豊政権に従属したのであって、もともと従属していたものが「反逆」したのではありません。その点では、「事実に反する記事名」ということになりかねません。そこで、「紀州攻め」への改名を提案します。ちなみに、戦国・織豊時代の泰斗でいらっしゃる小和田哲男先生も、『秀吉の天下統一戦争』のなかで「紀州攻め」「四国攻め」「九州攻め」「小田原攻め」の用語を用いていらっしゃいます。どうか、活発な御意見をお寄せ下さいますよう、お願い申し上げます。--Chokorin 2011年1月29日 (土) 06:18 (UTC)
コメント受付期間
賛否およびコメント
が記載されております。この中で認知度が高い、例えば「紀州征伐」より「紀州攻め」の方がより多くの文献で紹介されているという理由ならば良いかと思いますが、「事実に反する記事名」、「もともと従属していたものが「反逆」したのではありません」という理由は、どうしても改名しなければならない緊急性が乏しいのではないかと思います。私が今たまたま持っています資料『秀吉の城』P.112によりますと「雑賀攻め」「四国征伐」とありました。「紀州征伐」と「紀州攻め」に大差があるようには今のところ思えません。現時点では賛否は明確にせず、コメントのみとさせていただきます。--ブレイズマン 2011年2月1日 (火) 19:20 (UTC)
コメントを受けてコメント受付期間を終了しました。以後、議論にうつりたいと思います。--Chokorin 2011年2月7日 (月) 10:10 (UTC)
(インデント戻します)追加で調べた分を御紹介します。
2点、指摘しておきます。まず、新版県史シリーズ『和歌山県の歴史』においては「紀州攻め」の用語が用いられており、地方史分野においても「紀州征伐」よりも「紀州攻め」の方が認知度が高いと見なされること。もうひとつは、『戦国武将・合戦事典』において、『国史大辞典』では同じ岩沢愿彦による見出しが「紀州征伐」だったものが「紀州攻め」へと変わっていたことです。調べてみたら
ということでしたので、1983年の『国史大辞典』で「~征伐」という見出しだったものが、2005年には全て「~攻め」に転換しているようです。こうしてみると、ブレイズマンさんの掲げた、 1.認知度が高い という点だけをみても、「紀州征伐」よりは「紀州攻め」の方がはるかに優位性があると判断できると考えます。いかがでしょうか。--Chokorin 2011年2月19日 (土) 15:30 (UTC)
「紀州攻め」への改名提案あらためて「紀州攻め」への改名提案をおこないます。文献調査の結果は以下のとおりです。
Wikipedia:記事名の付け方の指針としては、
の5点があるようです。この中で <1.認知度が高い> のは、「紀州征伐」ではなくて「紀州攻め」です。特に21世紀に入ってからはその傾向が顕著であり、1983年に『国史大辞典』で「紀州征伐」の見出しで当該事象を説明した岩沢愿彦氏も2005年には「紀州攻め」の見出しを採用しています。ここから、「紀州征伐」→「紀州攻め」の用語転換の傾向もうかがえると思います。また、地元和歌山県でも「紀州攻め」の表記が確認できました。いかがでしょうか。みなさまの御意見をお待ちします。以下にコメント受付期間を通知し、コメント欄を付します。Chokorin 2011年2月20日 (日) 01:43 (UTC)(若干補筆)--Chokorin 2011年2月20日 (日) 02:47 (UTC) コメント受付期間
コメント
といった具合でChokorinさんの調査にあるように比較的古いものになるようですので、Wikipedia:記事名の付け方によった改名にはブレイズマンさんと同じく反対はしませんが、さりとて「征伐」が不適であるという学問的な公式指針や申し合わせが確認できず、改名せねばならぬという必要性も感じませんので、積極的に賛成もしません。 但し、改名となったとしても、自治体の公史でも「兵庫県史」のように、紀州・四国・九州・小田原を「征伐」にしているところも存在していることですし、事象の地元にかかるところでは『印南町史: 通史編 第2巻』(1990年、町史編集室、第一法規出版)も「紀州征伐」としているようですので、「紀州征伐」と呼ばれていることは記事中で記載すべきではあると思います。--ジャムリン 2011年2月20日 (日) 23:45 (UTC)
あと、前回の改名提案から一ヶ月も経ていませんが、この点も疑問です。通常、最低でも数ヶ月程度は期間をおくべきではないでしょうか。あまり頻繁に改名提案を行うようですと、自説の都合のいい結果が出るまで提案し続けていると見なされます。これはWP:POINT の「いつまでも「納得」しない」に抵触する恐れがあります。--薔薇騎士団 2011年2月21日 (月) 02:18 (UTC)
(インデント戻す)ブレイズマンさんのおっしゃることに理があると感じました。文献調査にたっぷり時間をかけることには意味があります。8日間コメント受付期間を延長することに同意いたします。3月7日 (月)23:59(UTC)までコメントを受け付けることといたしましょう。これならば休日を2回またぐことになるので、文献調査の進展が期待できるでしょう。--Chokorin 2011年2月21日 (月) 10:04 (UTC)
(インデント戻す)
いずれも、年代的には古いものですが、これらの用例が時代的背景を受けたものとは言いがたく、十分に信頼できるものであると考えます。--秋田城之介 2011年3月3日 (木) 03:45 (UTC) 修正・追記--秋田城之介 2011年3月14日 (月) 05:28 (UTC)
集計どのようにカウントするかという点については未だ決着がついていませんが、とりあえず今まで出てきた分について、重複するものも含めて掲げておきます。 紀州征伐もしくは紀伊征伐
紀州攻めもしくは紀伊攻め
紀州平定もしくは紀伊平定
その他
上記の通りです。--Chokorin 2011年3月17日 (木) 18:50 (UTC)
集計結果
(「雑賀攻め」・「根来雑賀攻め」を「紀州攻めもしくは紀伊攻め」に含めた場合)
という結果になりました。もし計算間違いがございましたら、訂正して頂けますようお願いします。文献調査して頂け方々は大変ご苦労様でした。ざっと見た感じ「雑賀攻め」・「根来雑賀攻め」を「紀州攻めもしくは紀伊攻め」に含めたとしても、「「紀州征伐」との文献数も一定数あり著しく「紀州攻め」の方が認知度が高いとまでは言えない」状態ではないかと思われます。私のコメントは、もう一度この結果や他者の指摘もありましたら、それらを参照し、今一度よく再考した後に述べたいと思います。--ブレイズマン 2011年3月21日 (月) 07:04 (UTC) 調査結果を受けてのコメント文献調査に御協力くださいました皆様、ありがとうございました。私自身は、この地震の影響で燃料不足その他の事情により図書館での文献調査はまったくできませんでした。その点は残念ですが、集計結果でだいたいの傾向はうかがえるのではないかとも思います。次の点についてコメントくださいますようお願いします。
以上3点です。以下にコメント欄を設けます。なお、「コメントに対するコメント」はお控えください。--Chokorin 2011年3月22日 (火) 11:04 (UTC)(微加筆)--Chokorin 2011年3月22日 (火) 11:16 (UTC)
コメント欄
という結果になりました。もし計算間違いがございましたら、訂正して頂けますようお願いします。この内容に基づき再考したいと思います。私のコメントは1週間後4月3日前後にさせて頂きます。--ブレイズマン 2011年3月30日 (水) 05:51 (UTC)
(インデント戻す)「同じような認知度」ということに異論はないですが、文献調査でも、下にジャムリンさんが掲げてくださったネット検索の調査でも、「紀州攻め」の方が「紀州征伐」よりは若干優位にあるようです。本改名議論が、改名に妥当性があるか否かの議論のはずであるということは筋論としてはよく理解できますし、また、おっしゃる通りだとも思うのですが、どちらが相応しいかの議論になることもまた不可避であろうと思います。その場合、
お答えいただければ幸いです。--Chokorin 2011年4月9日 (土) 05:41 (UTC)
(追記)もうひとつ。これは「改名の妥当性」そのものにかかわることです。ブレイズマンさんが以前「新しい指針」として2つ掲げてくださったこと、それはそれでいいと思います。そのうちの「なにかの理由によって「紀州征伐」という言葉が使われにくくなったという、文献もしくは信頼できる情報源」は、今のところ、確認できません。ただし、「九州征伐」の語については、文中でカギ括弧付きで示すような用例を4例(大賀郁夫、池上裕子、朝尾直弘、藤木久志)確認しており、複数の専門家のあいだに「征伐」の語をそのまま用いることに躊躇があることは確認されています。九州の時点で躊躇があるのなら、関白任官以前の紀州攻めの段階で「征伐」の語を用いるのはいっそう慎重であるべきではないのかとも考えられるのですが、それについては、いかがお考えでしょうか。また、「紀州征伐」という言葉が使われにくくなったという「文献もしくは信頼できる情報源」がなくても、大多数の人によって「現実に使われなくなってきているという事実」ないし「用語転換がおこっているという事実」が確認できるとすれば、それは「新しい指針」の3番目として加えられないでしょうか。--Chokorin 2011年4月9日 (土) 06:11 (UTC)
情報源の検証Wikipedia:検証可能性#情報源/ソースやWikipedia:信頼できる情報源の指針はもとより有効なわけです。その点からすれば、
の2つは情報源として良質かといえば疑問符がつきます。そのあたりは精査なさっていますか。--Chokorin 2011年4月8日 (金) 10:30 (UTC)
時系列的な用語変化の分析
(インデント戻す)後段については、やや混乱なさっているようにお見受けします。秀吉視点に立って歴史が語られることは当然あるでしょうし、別に「秀吉視点に立つな」などという見解があるわけではありません。そうではなく、学問の世界で、紀州側の立場を無視したり断罪したりしないで公平に扱おうとした場合の話をしています。そういう場合、「紀州征伐」の語が使われているかというと1980年代までならともかく、今日では使われていないでしょう。それは、あなたも加わった文献調査の結果から明らかなのではないですか。 前段について。用語転換があるかどうかは、表を素直に読めば言えることです。「Wikipedia:独自研究は載せない」は、議論の際、「客観的なデータをもとに自分の意見を表明するな」というような意味ではありませんので、よくお確かめください。用語転換の有無については、たとえば、
を比較すると、前者(「紀州征伐」)の冒頭は「天正13年(1585)羽柴秀吉が紀州雑賀・根来を中心に行った征伐。…」となっているのに対し、同じ岩沢愿彦による後者(「紀州攻め」)は「天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州雑賀・根来を中心に攻撃した合戦。…」となっていて、後者の説明で「征伐」の語が回避されている以外は、説明文は分量・内容ともほとんどまったく同じです。両方とも同じ出版社、同じ執筆者による事典の記事なわけですが、要するに、最近では「紀州征伐」ではなく「紀州攻め」が見出しとして採用されているのです。さて、これでも「用語転換はない」と言えましょうか。--Chokorin 2011年4月23日 (土) 21:03 (UTC)
紀州征伐が相応しいのか、紀州攻めが相応しいのかさて、なかなか決着が付かないようなので、「紀州征伐」と「紀州攻め」のどちらがこの記事の記事名として相応しいかについて、双方の意見を出し合うことにしませんか。わたしとしては、この記事に対し、「紀州征伐」という記事名のままでは加筆したくとも加筆できないわけです。というのも、根来や雑賀を一方的に「逆徒」と見なすことに反対だからです。少なくともそういう意味では、手前味噌ではありますが、「紀州征伐」のままにしておくことには一定のデメリットがある、それに対し、「紀州攻め」に改名することには、ささやかながらメリットがあるわけです。ただし、「紀州征伐」のままにしておくことにメリットなりしかるべき理由なりがあって、それが改名することのメリットや理由を上まわるというのであれば、改名は断念せざるを得ないでしょう。その場合、当然のことながら改名提案は取り下げます。しかしながら、現状では、改名を断念せざるを得ないほどのメリットや理由は何一つ出てきておりません。そこで、
の4点について、それぞれが思うところをリストアップしませんか。まずはわたしから申し上げます。 1. 紀州攻めが相応しい理由
2. 紀州征伐が相応しい理由
4. 紀州征伐が相応しくない理由
「3. 紀州攻めが相応しくない理由」については、思いつきませんでした(もし、ございましたら御指摘ください)。みなさまの御意見をお待ちします。--Chokorin 2011年4月24日 (日) 17:52 (UTC)
(インデント戻します)「今の名称では記事が書けない」というのは割と切実な問題であり、たとえば紀州惣国一揆に関する文献を入手して、それをもとに加筆しようという場合、「紀州征伐」すなわち紀州の勢力を一方的に「逆徒」とみなす立場に立って加筆するのは事実上無理だと思うのですね。それならば、よほど「加筆を断念しろ」と言われた方が私としてはありがたいわけです。逆に、「紀州攻め」であっても信長・秀吉の立場からの加筆を何ら妨げるものではないですし、「織田信長」や「豊臣秀吉」の記事のなかで「紀州征伐」の語を使うのは一向に構わないと考えます。ただ、この記事の場合は、双方の立場からの加筆が期待されているのではないでしょうか。もし、「お前だけは加筆を断念しろ」ということがジャムリンさんのみならずコミュニティの総意であるならば、それに従いましょう。--Chokorin 2011年4月28日 (木) 16:03 (UTC)
投票で解決するならノート:九州の役、ノート:小田原の役、ノート:武田征伐で改名が提案されています。もし、いずれかの項目が投票によって解決フェーズに移った場合は同じ方法で紀州征伐の改名問題について解決することを提案します。議論が長引くより良さそうな提案ですよね。征伐などに項目を統一したい人にも向いている解決法です。Tenseki 2012年1月24日 (火) 06:39 (UTC)
合意形成合意がないと指摘がありましたのでルールどおりに動向調査のための調査投票をすることを提案します。既に提示された条件から反対意見の方は投票の障害となる理由(取り除けば合意できる条件)を付けてください。。(なお、期間については合意形成後からの繰り延べとします多賀城佐 2012年1月31日 (火) 22:16 (UTC)追記) 賛成 提案票--多賀城佐 2012年1月30日 (月) 11:15 (UTC)
情勢投票に反対した方は代案の提出をお願いします。反対のための反対でないのなら。このままでよしとしているなら何も申しません。--多賀城佐 2012年2月11日 (土) 04:31 (UTC) 改名提案前の調査投票記事名支持の調査投票改名提案に先立って情勢把握のための調査投票を行います。なおこれは議決投票ではありません。 記事名候補比較投票予定者は投票開始までに下の比較表に支持候補の追加、支持候補の肯定的意見の追記、非支持候補の否定的意見の追記をまとめて編集してください。(投票開始後の編集は行わないこと)
紀州征伐の改名候補に対する調査投票
投票所投票要綱を確認の上、支持する記事名候補の下に一行ずつ署名を入れてください。
投票結果投票はしないで紀州征伐でいいことになりました。ありがとうございます。--Gamlin(会話) 2012年3月17日 (土) 07:02 (UTC) 過去ログ化の提案議論が停止して4ヶ月以上経過し、容量が160,000バイトを超えていることから、「初版から2012年3月17日 (土) 07:02時点までの過去ログ化」を提案します。--秋田城之介(会話) 2012年7月25日 (水) 15:37 (UTC) |
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