ノート:願証寺改名提案現在の記事名は願証寺ですが、これを正式な記述である「願證寺」に改名することを提案します。 「證」は「証」の正字ですが、まず当該寺院が「願證寺」という字を使用しており、桑名市のサイトにおいても同様です。「證」についてはJIS X 0208(JIS基本漢字)に含まれており、Wikipedia:記事名の付け方の問題も無いと考えます。なお、「願証寺」および「願證寺」については本記事の三重県桑名市のほか、三重県松阪市、岐阜県不破郡垂井町、滋賀県蒲生郡日野町、茨城県北茨城市にあることを確認しているため、本記事はとし、願証寺を願證寺へのリダイレクト化した上で願證寺を曖昧さ回避化することを検討しています。--KAMUI(会話) 2012年6月10日 (日) 11:12 (UTC)
立項の可能性としては願證寺 (垂井町)が比較的に高いとは思いますし、長島願證寺と現・願證寺との併記はなるべく早く解消すべきでしょう。ところで立花さんがお持ちの資料には本記事にある「慶長年間に七世准恵が復興し~」に関する記述はありますでしょうか? これだと先に貼った外部リンクの「天正2年(1574年)に信長に攻め落とされて、天正13年(1586年)の天正大地震と翌年の洪水にあった」「その後再興されず、明治の三川分流で故地が長良川の底になった」という記述と整合が取れませんし。--KAMUI(会話) 2012年6月14日 (木) 21:33 (UTC)
(インデント戻す)どちらにしても併記は避けられないと思います。「願證寺」意見が多数になるようであれば反対はしませんが、現時点では気が進みません。--立花左近(会話) 2012年6月20日 (水) 00:49 (UTC)
(提案取り下げ)Pooh456さん、Uraniaさんのご意見もありましたので、本提案については取り下げて願證寺は願証寺へのリダイレクト化します。なお、本記事を長島一向一揆における願証寺(杉江の願証寺)の記事とし、現在桑名市長島町又木にある願證寺は(将来的に)別記事とすることについては立花さんと上の方で議論しておりますので、基本的にはその方向です。
|
Portal di Ensiklopedia Dunia