いくらなんでもこの絵画を削除するのはマズいでしょう。
驚愕に掲載されていた絵画は妥当な絵画です。
「surprise(驚き)」と題された油絵[1]
驚愕に掲載しておいた絵画のウィキメディアコモンズの記述欄[1][2]にはっきりと「surprise(驚愕)」と書いてある。それにこれは誰が見ても驚愕している人の表情だ。絵画を描いた人が、驚愕している人の表情を選んで絵画にしたものだ。誰が見ても驚愕している人の表情だ。これが驚愕している人の表情に見えない、と言うなら、どうかしている。
なお、写真が発明される以前の時代、18世紀以前にものの姿を残そうとすると主に絵画が使われた。もしザなさん流の偏見「絵画は、題名は恣意的に決まっている、題名と描いているものは違っているから、削除してやる」という変な判断を許したら、写真発明以前の絵画も含めて絵画の写真を全部削除しなければならなくなる。そうなると、ウィキペディアでは18世紀以前の事物で、絵画には描かれたがすでに存在しなくなった存在、たとえば人物の絵画も掲載できなくなってしまう。たとえば有名な王を描いた絵画も掲載できなくなってしまう。もしザなさん流の「絵画の題名は、恣意的に決まってる」という偏見、奇妙な理屈、を振りかざして削除することが許されたら、これまでに「優良な記事」として認定された歴史的な人物や事物に関する記事だってズタズタにされてしまう。
「この概念に関する写真である」と書いている出典が無ければ掲載するな、と言い出したら、現在、りんごとか川とかに掲載してある写真だって、どこかの論文や本に「この画像ファイルは、りんごの写真の画像ファイルである」と書かれているわけではない。「この写真は、この事物の写真だ」明記している出典が無ければ写真は掲載できない、などと言い出したらりんごの写真すら掲載できなくなってしまう。現在ウィキペディアのリンゴに掲載されている写真も出典はありません。りんごの写真も、投稿者が、常識的な判断として、「まあ、これはりんごだろうなぁ。常識的な感覚として」と判断して掲載しているだけです。ザなさんのように猜疑心の塊になったら、りんごの写真すら掲載できません。それでは、まずいでしょう。そのやり方を放置すると、やがて ザなさん流をもっと徹底的にやる投稿者が何名も現れて、ウィキペディアの写真のほぼ全てが消されてしまいますよ。いけません。いけません。
それと同じで、今回の「surprise(驚愕)」と題された絵画も、明らかに驚愕の表情なので、りんごの写真が掲載され続けているのが妥当だというのと同じくらいの確かな理由で、掲載しつづけるべきです。「オレには驚愕の表情に見えない」などと異議があるなら、ウィキペディアの投稿者が50名〜100名くらい閲覧する場で、驚愕の表情に見えるか見えないか投票してみるべきでしょう。また、ザなさん流の偏見「絵画の題名は恣意的に決まっているから、絵画は削除だ」を本当に認めていいと皆が言うかどうか、投票(アンケート調査)してみるべきです。
それでも日本語版ウィキペディアの投稿者たちが「出典が無ければ、絵画や写真はガンガン削除していい」と判断するなら、そういう方向で日本語版は変化していくでしょう(いくことになってしまう、でしょう)。他の言語版は写真が掲載されているのに、ウィキペディア日本語版だけが、写真がほぼ無い、視覚的情報がほとんど欠如した、情報量が極端に少ない百科事典になってしまいますがね。--Suzukana Wami(会話) 2025年2月4日 (火) 01:30 (UTC)返信
- まずザなさんへの個人攻撃はしないようお願いします。その上で、「誰が見ても驚愕している人の表情だ」は独自研究ですが、絵画中に記載されたタイトルが「Surprise」であることから絵画の掲載自体は許容されるのではないかと思います。(コモンズにSurpriseと書いてあるからではありません。)また現状の説明文の「最高の~と書いてある。」は独自研究なので除去すべきです。--フューチャー(会話) 2025年2月4日 (火) 08:12 (UTC)返信
- 加えてですが、コモンズの記述欄を妥当性の根拠として提示するのはWP:SELFでしょう。それも含めて脚注から基礎情報以外を消したのです。脚注をつけるにしても基礎情報が精々でしょうし、画像をクリックすればコモンズに飛んで確認できるのですからそもそも不要とすら感じます。--横たわる猫(会話) 2025年2月4日 (火) 08:30 (UTC)返信
wikipediaの記事内容はすべて、ルールである「方針」の1つWikipedia:検証可能性を満たす必要があります。
例えば精神医学や心理学、あるいは他の人間研究の分野などの著述で、「驚愕」と呼ばれる状態の「典型例」などと言及されているのであれば、その「写真」なり「絵画」あるいは「動画」なりは「検証可能性」を満たした内容でしょう。
現状ではこれがルールである「方針」の1つ「検証可能性」に従った記述です。
もしルールに不都合があるなら、改定案等を出し審議を経てなりして変更してください。--ザな(会話) 2025年2月4日 (火) 12:12 (UTC)返信
- このページでJeffrey Isaac氏の絵画について「掲載自体は問題ないのではないか」という意見が出ているのを確認した上で除去するのはWP:POINTでしかありません。対立相手の問題や意見の内容がどうであろうと、今行われている議論を無視して自論を押し通そうとするのは非常に問題ある編集姿勢です。--横たわる猫(会話) 2025年2月4日 (火) 13:09 (UTC)返信
- 掲載可とする意見がある中で、記述内容の削除については謝ります。
- 一方でWikipedia:検証可能性の冒頭に
- 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
- 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源 ―出典(参考文献)― を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
- 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。
- と方針の方針として記述してあることも事実です。--ザな(会話) 2025年2月4日 (火) 13:46 (UTC)返信
- WP:POINTは意見内容に依らず問題視されると既に示した通りです。結果的に除去が妥当と結論付けられたとしてもあなたの編集姿勢に問題があったことには変わりありません。以前ブロックされた際には方針文書の細かい文言にまで強くこだわって反論していたのに今回はWP:POINTをおざなりにしWikipedia:検証可能性だけを優先して正当化を図るというのは、都合の良い方針文書だけ着目するダブルスタンダードに感じます。--横たわる猫(会話) 2025年2月4日 (火) 14:07 (UTC)返信
- 記事本文には典型例とは書かれていませんから典型例かどうかを検証する必要はないでしょう。検証が必要なのはタイトルが「Surprise」かどうかですね。--フューチャー(会話) 2025年2月4日 (火) 18:03 (UTC)返信
この記事は「驚愕」という人間あるいは動物の状態、状況について述べたものです。
画像内に「Surprise」とあるだけでは作成状況等も不明であり、Wikipedia:検証可能性に加えてWikipedia:中立的な観点を満たした内容かも不明です。
wikipediaは百科事典でありそこへ掲載する「画像」等であれば、「驚愕」という状態や状況をWikipedia:中立的な観点ら表しているというWikipedia:検証可能性も必要になります。方針Wikipedia:独自研究は載せないにおいても、画像の利用について「(特に検証可能性と中立的な観点)」との言及があります。これらを担保する「出典」等が現状では提示されていません。--ザな(会話) 2025年2月4日 (火) 19:09 (UTC)返信
- WP:POINT等の編集姿勢・議論姿勢については取り合うつもりが無いということでよろしいですね。前回ブロック時の議論を見ても、WP:検証可能性の方が方針だから序列が上で、そのためならガイドラインであるWP:POINTやWP:合意形成などは蔑ろにして構わないと考えているようにしか思えません。はっきり言って、ルールの根本精神をまったく理解していないWP:法律家ごっこでしかありません。--横たわる猫(会話) 2025年2月5日 (水) 00:16 (UTC)返信
- 少し違うところが気になったのでここにコメントします。そもそも驚愕=驚きとしているのはいいのでしょうか?例えばこちらでは「強く驚く」や「非常に驚く」こととされています。単なる驚きと違うと思うんですよね。さらに『surpriseあるいはastonishmentあるいはwonder』と英単語が並べられています。(そもそもWP:スタイルマニュアル#導入部#原語表記を見るに英語表示が不要な気もしますが…。)これらも使い分けされているはずです。私自身は英語が苦手なので他所に頼りますが例えばこのサイトではいろんな場合による英単語の細かい使い方の違いについて説明しています。しかしこれを見るにsurpriseを驚愕と紐付けてしまっていいのか疑問に思いました。その延長で問題になっている絵が「surprise」というタイトルであったとして「驚愕」の説明に適しているかどうかはまた違うのではないかと思いました。--ぷにを(会話) 2025年2月5日 (水) 01:00 (UTC)返信
- 英語版Wikipediaの作者ページにリンクされた公式ページに「40 emotional self portraits」としていろいろな感情の絵が連続で表示されていました。その中に「surprise」と「amazement」が含まれていることを確認しました。「amazement」はこちらを見るに「surprise」よりも「驚愕」に近い扱いをされています。だからこちらが正しいという分けではなく英語と日本語のニュアンスの違いがあるかもしれないので無理にあてはめるものではないのかもしれないと考えます。調べた情報の共有と私の意見です。--ぷにを(会話) 2025年2月5日 (水) 02:26 (UTC)返信
「掲載可とする意見がある中で、記述内容の削除については謝ります。」と謝意を示したつもりです。
ファイル名および関連ページの情報をそのまま受け取れば、画像作者が様々な自画像を作成しているわけですよね。
作者の考える「Surprise」という状態を演じてそれを作品にしたものですよね。
画像作者の「Surprise」状態に対する「独自研究」と捉える見方もできます。
読者は「出典」もないため「驚愕」記事を説明する画像として、Wikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性の内容か確認できません。
また別の方の疑問点である言語間および類似表現との差異も含め、「Surprise」と「驚愕」が共通する部分もあれば、共通しない部分もあります。
現状では「出典」が伴わないため議論の前提となる「検証」ができません。--ザな(会話) 2025年2月5日 (水) 03:47 (UTC)返信
- 何の検証ですか?何と何の対立に対する中立ですか?--フューチャー(会話) 2025年2月5日 (水) 07:37 (UTC)返信
- 対立有無とは無関係にwikipedia記事内容として方針であるWikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性が得られていません。
- 疑義の呈された画像よりもWikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性を満たす出典の伴う画像なりを掲載するほうがより建設的だと思いますが。--ザな(会話) 2025年2月5日 (水) 08:23 (UTC)返信
- この画像がWikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性に関してどのように問題と考えているのか具体的に説明してもらえますか。あなたが何を問題視しているのかがはっきり分からないと議論になりません。あと、議論のブロックが分かるように返信の際はインデントを下げてもらえないでしょうか。--横たわる猫(会話) 2025年2月5日 (水) 08:40 (UTC)返信
- 「対立有無とは無関係にwikipedia記事内容として方針であるWikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性が得られていません。」は日本語として意味不明です。検証可能性を問題視するなら何の検証が必要なのかを明らかにする必要がありますし、中立的観点を問題視するなら何と何が対立しているのかを明らかにする必要があります。ザなさんの考える「Wikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性を満たす出典」とは何ですか。--フューチャー(会話) 2025年2月5日 (水) 08:38 (UTC)返信
- wikipediaの「方針」として記事内容のWikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性が存在します
- 「方針」として存在するのにその一部である「検証」が必要かどうか問うのはおかしいでしょう。
- 「方針」の妥当性を問うのであれば「方針」の改定の話です
- 該当画像を記事に加えるにあたって「出典」として精神医学や心理学などの著述で、「驚愕」や「Suprise」の状態の一例として採用されている、などあれば実際にその著述を読んで「画像」の妥当性等を検証、確認することができます。
- 現状は「出典」もなくWikipedia:検証可能性も満たせず、それ以前の段階です。
- 該当画像が掲載にふさわしいと判断されているなら、その根拠となる「出典」などをWikipedia:検証可能性を伴うかたちで示してください。--ザな(会話) 2025年2月5日 (水) 09:17 (UTC)返信
- 「「検証」が必要かどうか」ではなく何の検証が必要かを聞いています。「「精神医学や心理学などの著述で、「驚愕」や「Suprise」の状態の一例として採用されている」かどうかの検証が必要」がそれに対する回答でしょうか。記事にそう書かないのであればそれは不要でしょう。出典が必要だとしたらタイトルの出典ぐらいでしょう。それと中立的観点の話はどうなりましたか?--フューチャー(会話) 2025年2月5日 (水) 20:01 (UTC)返信
- ルールとして「車検」が必要な地域で、この車の運転に「車検」がなぜ必要ですか?と問うのと同じ話です。
- 問題点があるならしかるべき手続きを経て「ルール」の変更を考慮するなりしたらいかがでしょうか。--ザな(会話) 2025年2月5日 (水) 09:24 (UTC)返信
- 車検の話で例えるなら「この車の運転に「車検」がなぜ必要ですか?と問うのと同じ話」ではなく「どこで車検を受ければいいですか」と聞いているのと同じです。ルールの変更は必要ありません。--フューチャー(会話) 2025年2月5日 (水) 20:06 (UTC)返信
- ルールである「方針」に従った記述内容について、どれがより良いか検討するなら建設的でしょう。
- 現状の画像掲載は、ルールである「方針」に従っていないように見えます。
- これ以上議論する必要がありますか?--ザな(会話) 2025年2月5日 (水) 09:39 (UTC)返信
- 学術的な記事でもないのに「精神医学や心理学などの著述で、「驚愕」や「Suprise」の状態の一例として採用されている」ことを求める意味が分かりません。年1回の点検で十分なものに「月1回点検していないからアウト」と言っているようなものです。そもそも、あなたの一存で議論を結論付けられるように振る舞っているのが一番おかしいです。議論参加者は対等な立場です。あなたにとって「ルールである『方針』に従っていないように見え」るから議論の必要なく却下してよいなんてことはありませんし、「現状は『出典』もなくWikipedia:検証可能性も満たせず、それ以前の段階」だから取り付く島もなく質問を却下するなんて、不合格を言い渡す試験官にでもなったつもりでしょうか。--横たわる猫(会話) 2025年2月5日 (水) 15:41 (UTC)返信
- ではザなさんの考える「ルールである「方針」に従った記述内容」の例を教えてください。--フューチャー(会話) 2025年2月5日 (水) 20:09 (UTC) 誤字修正。--フューチャー(会話) 2025年2月5日 (水) 20:10 (UTC)返信
「驚愕」についての著述を読み、その著述を「出典」として併記し、Wikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性やWikipedia:独自研究は載せないを満たし投稿するのがルールです。ある著述で該当画像が「Surprise」や「驚愕」の状態を示したもの、というのを読んで掲載したのなら、それを「該当画像」および「出典」の両方を記事に追加するだけです。「該当画像」がどの「出典」で言及されているか知るのは「追加」した人だけです。--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 00:45 (UTC)返信
- 精神医学だとか中立的な観点だとかの部分は半分理解できていないのでまた別の観点からですが有名な「ムンクの叫び」は原題「The Scream」ですが広く知られているように絵の中央の人物は「叫んで」いません。なのでタイトルが「Suprise」だから驚いている絵だとしてしまうのはちょっと躊躇します。せめて作者なり展覧会でのパンフレット、書籍で驚いている表情だと触れてくれていれば「驚き」の表情だとしてしまっていい気はしますが上でコメントした通り驚愕≠驚き、驚愕≠Surpriseであると考える私からすると画像は除去してしまっていいかなーと考えています。--ぷにを(会話) 2025年2月6日 (木) 03:08 (UTC)返信
- コメントありがとうございます。その場合は「展覧会パンフレット」や「書籍」というのが「出典」として使えますよね。--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 03:29 (UTC)返信
- この絵に満面の笑みが描かれていたならいくらタイトルが「Surprise」でもまずいとは思いますが(それこそ中立的とは言えないでしょう)、この絵に関しては驚いていると受け取って差し支えない表情と思いますし、それが「Surprise」と題されているのだからそこまで問題ではないと考えます(題名通りの絵なら「何を描いた」とわざわざ付記しない場合もあるでしょう)。無論「amazementの方が良いのではないか」というご指摘や「そもそも絵を付ける必要性があるのか」なども検討の余地がありますし、そういった落とし所を探りたいと思って議論をしているのですが、その前提としての質問をにべもなく却下されている状況であり、正直言って非常に疲弊しています。--横たわる猫(会話) 2025年2月6日 (木) 03:39 (UTC)返信
- 「出典」を付けてくださいと再三お願いしています。
- 画像内容が「驚愕」なのか「満面の笑み」か判断するのは、「信頼できる情報源」です。
- Wikipedia:中立的な観点とWikipedia:検証可能性とWikipedia:独自研究は載せないとにそれぞれその旨が書かれています。--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 03:52 (UTC)返信
- Jeffery Issac氏の個人ページへのリンクを貼ればそれで出典は十分なのですか。それともその他の情報が必要なのですか。少なくともあなたが提示した「精神医学や心理学などの著述で、「驚愕」や「Suprise」の状態の一例として採用されている検証」は過剰な要求です。精神医学がどうとか書くつもりは無いのですから。
- 何度聞いてもWP:中立的な観点上の問題を具体的に説明しないですが一体どういう意味なんですか。
- Wikipedia:独自研究は載せないで言うなら、この絵をJeffery Issac氏が「Surprise」と題しているのは事実です。それを「surprise(驚き)」と題された油絵」として表示することの何が独自研究なんですか。「驚いた人を描いた絵」とキャプションを付けたらそれは独自研究かもしれませんが、絵の題名が何であるかを示すことは独自研究ではありません。
- 何度こちらが「何がルールに反していると考えているのか」を尋ねてもあなたは「ルールに反しているから問題です」とばかり返してくる。はっきり言って議論が成立してないですしこちらも嫌気が差してきます。--横たわる猫(会話) 2025年2月6日 (木) 04:15 (UTC)返信
- 掲載する投稿者が、読んだ「出典」と「画像」とを併せて表記するものです。
- 画像内や画題に「10年後の未来予想」と記述されていても、その妥当性を判断するのは「信頼できる情報源」です--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 04:42 (UTC)返信
- Wikipedia:検証可能性に「通常は信頼できないとされる情報源」として「自主公表された情報源」が挙げられています。
- Wikipedia:独自研究は載せないに「一次資料と二次資料」として「公表済みの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません。」と記されています。--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 04:55 (UTC)返信
- 「驚愕の表情を描いた絵画について」という節名に引っ張られていましたが横たわる猫さんが言うように「Surpriseと題された絵」と「Surpriseの表情をした人の絵」では必要な出典情報が違いますね。その上で記載したい内容とそれに必要な出典み齟齬がなければ投稿者でなくてもいいはずですし、タイトルがそうであることを示すのに二次資料を求めるのはやりすぎです。例えば芸能人のページであれば芸名の出典は公式ページです。WP:独自研究でも『事実について率直な記述を行う場合』には許可されています。--ぷにを(会話) 2025年2月6日 (木) 05:01 (UTC)返信
- 「Surpriseの表情をした人の絵」を「驚愕」の記事に掲載するのは百科事典としてそれなりに妥当ではないでしょうか。(言語による違いや単語の意味する範囲など問題点はありますが)
- 一方で「Surpriseと題された絵」を「驚愕」の記事に掲載するのはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに照らしても疑問を生じます。--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 05:32 (UTC)返信
- 「ムンク」の「叫び」と題された「画像」について(原題は知りませんでした)
- 「絶叫」という記事に掲載するなら「信頼できる情報源」による「人間の絶叫する様を描いた云々」の批評記事などが「出典」として必要ということですよね
- 一方で「絶叫」の記事中に何の出典もなく「叫びと題された絵画」と掲載されても、絶叫してないので記事とは無関係ともなります
- 作者である「ムンク」や「叫び(絵画)」の記事なら掲載は妥当ですがね--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 05:47 (UTC)返信
- 条件が難しいので少し簡単に返させていただくと「叫び」という記事に収蔵された美術館などを出典に「叫びと題された絵画」として記載するなら可、「叫び」という記事に同一の出典を使って「叫んでいる人を描いた絵画」とするのは不可という意見だと思っていただければと思います。絶叫と叫びが一緒かどうかはその先の話しかと思うのでそこはそれ単体で議論すればいいかと思います。--ぷにを(会話) 2025年2月6日 (木) 06:01 (UTC)返信
- 関連がありそうな過去議論置いときます。Wikipedia:井戸端/subj/全ての画像は独自の調査か、Wikipedia:井戸端/subj/画像や音声等のファイルの、検証可能性や独自研究を載せない方法。私としては画像そのものに厳密な出典を求めるのはやり過ぎなんじゃないかと思います。WP:OIは自作の画像を許容していますし、例えば建物の写真を自分で撮ってきて載せるといったありふれた作業の敷居が高くなりすぎるのではないかと。それと、ザなさんは度々こういった画像除去をやっているようなので「驚愕」限定の話になるこのノートではなく画像利用の方針やどこかのプロジェクトで話した方がよくありませんかね?--肉巻きハンバーグ(会話) 2025年2月6日 (木) 10:46 (UTC)返信
- 方針Wikipedia:独自研究は載せないの「オリジナル画像」で「また画像の利用には、ウィキペディアの他の方針およびガイドラインが適用されます(特に検証可能性と中立的な観点)。 」とあります。
- 「敷居が高く」==「手続きが大変」というのであれば「方針」に問題があるのであって、そちらの「改定」を議論して解決するものです。
- 車検に費用や時間がかかり「手続きが大変」でも、法律を変えるか、車を利用しないか、どちらかでしょう。--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 11:00 (UTC)返信
- この議論の中で画像除去を強固に主張しているのはあなただけです。ほぼ全員が「車検は年ごとで十分」と言っている中に一人だけ「月1回実施しなければならない」と言っている人がいたとして、なぜそっちに合わせなきゃいけないんですか。そこまでして画像除去を推し進めたいならザなさんがそのコンセンサスを取るのが筋です。
- あと、いい加減WP:中立的な観点上の問題が何なのかについて具体的に解答してください。質問は黙殺するのに唐突に別のルール(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)を持ち出して意見を追加するのは、あなたが説明責任を果たさないまま自論を無理矢理押し通そうとする、周囲にとって不毛な議論しか引き起こさないコミュニティを消耗させる利用者であると感じるレベルです。--横たわる猫(会話) 2025年2月6日 (木) 11:15 (UTC)返信
- これまでも具体的に書いてきました。
- Wikipedia:検証可能性について、「通常は信頼できないとされる情報源」とされるファイル名やコモンズの記述を「出典」としているため、違反していると判断しています。
- Wikipedia:独自研究は載せないについて、上記と同じ理由で、違反していると判断しています。
- Wikipedia:中立的な観点に違反しているとはしていません、確認がとれないとしています。
- 逆にあなたが、方針への違反等なく無問題とされるなら、その根拠となる「方針」なり併せてご提示されたらいかがでしょうか。--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 11:41 (UTC)返信
- つまりWikipedia:中立的な観点に関して問題があるかもわからないのにこのルールを持ち出して反対を繰り返していたということですね。問題があるかもしれないというだけで反対意見が通るなら何でもかんでも言ったもん勝ちです。やはりあなたとの議論は不毛であるしか思えません。
- Wikipedia:検証可能性・Wikipedia:独自研究は載せないに関してなら、タイトルを示すだけであればJeffery Issac氏の個人ページを示せば問題ないという見解をすでに提示済みですしぷにをさんからも賛同を得ています。--横たわる猫(会話) 2025年2月6日 (木) 12:05 (UTC)返信
- Wikipedia:検証可能性とWikipedia:独自研究は載せないの方針への違反は、ここでの議論でどうこうなるものではないはずです。--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 12:09 (UTC)返信
- 現状で追加されていない「出典」とそれを根拠とする記述は、未来のことなので「異議」も「反対」もしようがありません。
- どなたが追加するつもりかも存じませんし。--ザな(会話) 2025年2月6日 (木) 12:32 (UTC)返信
- もう結構です。賛同意見が無い状況で「Wikipedia:検証可能性とWikipedia:独自研究は載せないの方針への違反」という自論を前提として話をごり押すのでは、根本的に合意形成・共同作業が不可能と判断するしかありません。あなたの編集姿勢・議論姿勢に関してのコメント依頼を提出させていただきました。--横たわる猫(会話) 2025年2月6日 (木) 16:28 (UTC)返信
- ザなさんが無期限ブロックされましたので最終的な着地点について確認したく思います。恐らく残る参加者の中で違うのではないかと思っているのは私だけかもしれませんが「驚愕」=「驚き」、「驚き」=「Surprise」ゆえに「驚愕」の記事に「Surpriseと題された絵」が掲載されるのに問題はないとしてこの議論は終了となるのでしょうか?参加者の方のご意見をお聞きしたく思います。--ぷにを(会話) 2025年2月26日 (水) 04:19 (UTC)返信
- 私の意見は「少なくともコモンズがどうたらの説明文は独自研究だから除去すべき」です。絵自体も除去すべきという意見が多数なら反対はしません。--フューチャー(会話) 2025年2月26日 (水) 04:42 (UTC)返信
- 私も概ねフューチャーさんと同じですね。載せてもよいとは思いますが積極的に載せるべきとは考えていません。その上で、この絵(『surprise』)を「驚愕」という記事の表題絵にするべきかは微妙というのはその通りだと思います。現状では除去寄りです(本当は最初からこういう話をしたかったんですがね)。--横たわる猫(会話) 2025年2月26日 (水) 11:17 (UTC)返信
- Suzukana Wamiさん、肉巻きハンバーグさんはあれ以降活動されていないようなので議論に参加していて活動されている方の意見は出揃ったかと思います。その上で私が思う案を出してみます。
- 1.「驚愕」≠「Surprise」なので画像を除去する
- 2.そもそも記事の内容が「驚愕」ではなく「驚き」であることから記事名を「驚き」に改名する(であればSurpriseが残ってもいいのかな?)
- ただ、2の場合は改名の流れに触れることがなかったためそれらの手続きが(個人的な)ネックです。その他、案があるかもしれないのでご意見をお待ちしています。個人的な理由で月末月初が忙しくなりそうなので大掛かりな作業ができるのは3月中旬以降になるとは思います。--ぷにを(会話) 2025年2月27日 (木) 00:59 (UTC)返信
- ぷにをさんのおっしゃる「驚愕」≠「Surprise」に関して異なる認識で、「驚愕」と「Surprise」のニュアンスの違いは分かりますが翻訳する上で起こる表記揺れの範疇、イコールではないがノットイコールと言うほど違ってもいないと思っています。加えて、かなり大げさに表情を描かれていることもあり驚愕の顔の例として違和感はありません。ただし記事内容的にこの画像が必須というわけでもありません。記事中に表情についての記載が詳しく書かれていれば、その補足としてあった方がいいのかもしれませんが。以上まとめると、「このままでも、除去してもいい」という毒にも薬にもならない意見なので後はお任せします。--肉巻きハンバーグ(会話) 2025年2月27日 (木) 09:26 (UTC)返信
- 皆さんの意見や驚愕反応とそれに付けられた出典を改めて読むに軽い驚きに対する反応でも驚愕反応という言葉を使っている辺りで「驚愕」≠「Surprise」というより「驚愕」≒「驚き」≒「Surprise」であるという点にある程度自分の中では納得したところがありこのままか画像を外すかでもいいかなと思い始めたところです。積極的に除去を考えている方がいないくらいなので現状のままでもいいのかもしれません。一人でから回っていて申し訳ないです。--ぷにを(会話) 2025年3月4日 (火) 10:14 (UTC)返信
- とりあえず、独自研究の注釈については先行して除去して構わないでしょうか。--フューチャー(会話) 2025年3月5日 (水) 14:49 (UTC)返信
- 返信遅くなり申し訳ありません。独自研究の注釈について除去に賛成します。--ぷにを(会話) 2025年3月7日 (金) 07:37 (UTC)返信
- 注釈については反対がなかったため除去しました。--フューチャー(会話) 2025年3月17日 (月) 06:03 (UTC)返信
脚注
- ^ 画像ファイルのDescription欄に English: Jeffrey Isaac, surprise, 2009, oil on paper, 38x53cmと書いてある。ファイル名にもsurpriseとはっきり書いてある。