バリー・マクスウェル (初代ファーナム伯爵)![]() 初代ファーナム伯爵バリー・マクスウェル(英語: Barry Maxwell, 1st Earl of Farnham PC (Ire)、1723年 – 1800年10月7日)は、アイルランド王国の貴族、政治家。1756年から1779年までアイルランド庶民院議員を務めた[1]。 生涯初代ファーナム男爵ジョン・マクスウェルとジュディス・バリー(Judith Barry、1699年12月15日洗礼 – 1771年4月5日、ジェームズ・バリーの娘)の息子として[1]、1723年に生まれた[2]。1748年にダブリンのキングス・インズで弁護士資格免許を取得、1757年にキングス・インズの評議員に選出された[1]。1741年から1800年までアイルランド庶民間訴訟裁判所首席書記官を務めた[1]。 1756年から1760年までキャバン・カウンティ選挙区の、1761年から1768年までアーマー・バラ選挙区の、1768年から1779年までキャバン・カウンティ選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[1]。また、1771年に母方の祖父の遺産を継承したとき、姓をバリー(Barry)に改めたが、1779年11月16日に兄ロバートが死去するとファーナム男爵位を継承、それに伴い姓をマクスウェルに戻した[1]。 1781年1月10日にアイルランド貴族であるキャバン県におけるファーナム子爵に叙され、同年10月10日にファーナム子爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[1]。1785年6月22日に同じくアイルランド貴族であるキャバン県におけるファーナム伯爵に叙され、30日にファーナム伯爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[1]。1796年6月6日、アイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。 1800年10月7日にダブリンで死去、息子ジョン・ジェームズが爵位を継承した[1]。 家族1751年1月15日、マーガレット・キング(Margaret King、1766年12月4日没、トマス・キングの娘)と結婚、1男2女をもうけた[3]。
1771年8月5日、グレース・バーデット(Grace Burdett、1734年 – 1816年3月8日、アーサー・バーデットの娘)と再婚[1]、2女をもうけた[3]。
出典
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