第10代クイーンズベリー侯爵、1912年撮影。
第10代クイーンズベリー侯爵 パーシー・ショルト・ダグラス (英語 : Percy Sholto Douglas, 10th Marquess of Queensberry 、1868年 10月13日 – 1920年 8月1日 )は、スコットランド貴族 。爵位継承から18か月も満たないうちに財産を使い果たし、破産宣告を受けた[ 1] [ 2] 。
生涯
第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラス と1人目の妻シビル(Sibyl 、旧姓モンゴメリー(Montgomery )、1935年10月31日没、アルフレッド・モンゴメリーの娘)の次男として、1868年10月13日に生まれた[ 3] [ 4] 。兄フランシス・アーチボルド (英語版 ) は政治家になり、1893年にケルヘッド男爵に叙されたが、1894年に生涯未婚のまま死去していた[ 3] 。
イギリス海軍 で士官候補生 (英語版 ) を務めた後、1889年から1891年までスコティッシュ・ボーダラーズ (英語版 ) 第3大隊の少尉を務めた[ 5] 。
1893年、「聖職者の娘と結婚した」という理由で父から「あの鼻つまみの我が息子」(that so-called skunk of a son of mine )と勘当された[ 1] 。その後、西オーストラリアのゴールドラッシュ (英語版 ) によりオーストラリアに渡り[ 4] 、帰国した後に父と和解した[ 1] 。1895年、父とオスカー・ワイルド の裁判の最中に父から襲われた[ 1] 。さらに父の死去直前、父から面会を許可されたが、面会の最中に唾を吐かれた[ 1] 。そして、1900年1月31日に父が死去すると、クイーンズベリー侯爵 位を継承した[ 3] 。『オックスフォード英国人名事典 』では父のかんしゃくの理由を梅毒 と推測している[ 1] 。
爵位継承から18か月も満たないうちに侯爵家の財産を使い果たし[ 1] 、1901年8月に破産宣告を受け[ 2] 、債務整理ののち1903年6月12日に破産状態を解除した[ 6] 。しかし、その後も1912年[ 7] 、1920年[ 8] に破産裁判所で判決を受けた。
1902年8月9日、エドワード7世とアレクサンドラ王妃の戴冠式 (英語版 ) に出席した[ 9] 。
1911年よりシカゴ やニューヨーク市 で記者を務めた[ 4] 。
1920年8月1日に死去、長男フランシス・アーチボルド・ケルヘッド (英語版 ) が爵位を継承した[ 4] 。
家族
1893年9月11日、アンナ・マリア・ウォルターズ(Anna Maria Walters 、1917年4月25日没、聖職者トマス・ウォルターズの娘)と結婚、2男1女をもうけた[ 4] 。
ドロシー・マデリーン(Dorothy Madeline 、1894年7月5日 – 1939年以降) - 1923年10月4日、エズモンド・ブラスネル・パーマー(Esmond Brasnell Palmer 、1953年8月5日没、ウィリアム・クレイトン・パーマーの息子)と結婚。第一次世界大戦 と第二次世界大戦 で英国赤十字社 の一員としてボランティア活動を行った[ 4]
フランシス・アーチボルド・ケルヘッド (英語版 ) (1896年1月17日 – 1954年4月27日) - 第11代クイーンズベリー侯爵[ 4]
セシル・チャールズ(1898年12月27日 – 1981年2月26日) - 1927年7月20日、ルビー・カークリー(Ruby Kirkley 、1981年5月9日没、ジョージ・ド・ヴィアー・フェンの娘、セント・ベッド・カークリーの未亡人)と結婚、1女をもうけた[ 4]
1918年12月4日、マリー・ルイーザ・モーガン(Marie Louisa Morgan 、1956年4月4日没、リチャード・ビッケルの娘、アーネスト・モーガンの未亡人)と再婚した[ 4] 。
出典
^ a b c d e f g Davis, John (9 January 2014) [23 September 2004]. “Douglas, John Sholto, ninth marquess of Queensberry”. Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/7909 . (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ a b “No. 27360” . The London Gazette (英語). 1 October 1901. p. 6432.
^ a b c Paul, James Balfour, Sir , ed. (1910). The Scots Peerage (英語). Vol. VII. Edinburgh: David Douglas. pp. 154– 155.{{cite book2 }}
: CS1メンテナンス: 複数の名前/editor (カテゴリ )
^ a b c d e f g h i Mosley, Charles , ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語) (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 3241. ISBN 978-0971196629 .
^ Kelly's Handbook to the Titled, Landed & Official Classes (英語) (44th ed.). Kelly's Directories. 1918. p. 1271.
^ “No. 27566” . The London Gazette (英語). 19 June 1903. p. 3901.
^ “No. 28583” . The London Gazette (英語). 23 February 1912. p. 1402.
^ “No. 31765” . The London Gazette (英語). 3 February 1920. p. 1502.
^ “No. 27489” . The London Gazette (Supplement) (英語). 29 October 1902. p. 6859.