ヒロシ・“ハーシー”・ミヤムラ (Hiroshi "Hershey" Miyamura、漢字:宮村 浩 、1925年 10月6日 - 2022年 11月29日 )は、アメリカ合衆国 の軍人 、実業家 。朝鮮戦争 にアメリカ陸軍 の兵士として従軍し、名誉勲章 受章者の1人となった[ 1] 。
経歴
生い立ち
ヒロシ・ミヤムラは日本人移民の両親の元、ニューメキシコ州 ギャラップ (英語版 ) にて、日系二世 として生を受けた[ 2] 。地元の中高を卒業した。
1941年に第二次世界大戦 においてアメリカが日本との間に開戦し、ミヤムラは軍に入る適齢期に達したが、ミヤムラはアメリカ人ながら日系人であるため人種差別を受け最初は従軍することは認められず、認められた時には戦争は終わりに近づいていた。なおニューメキシコ州にあるギャラップは日系アメリカ人の強制収容 の対象に入ったが、地元の市町の反対により強制収用は免れていた。
軍歴
1945年1月、アメリカ陸軍 に入隊[ 3] 。ミヤムラは第100歩兵大隊 (100th Infantry Battalion)への配属を志願した[ 4] 。同大隊は主にハワイないし本土の日系アメリカ人によって構成されていた[ 5] 。日本が降伏 して第二次世界大戦が終結するとミヤムラは除隊し、予備役に編入される。
朝鮮戦争
そして朝鮮戦争の折に軍に復帰した。後に1951年4月24日から25日にかけて、彼は第3歩兵師団 第7歩兵連隊 (英語版 ) 第2大隊に勤務する伍長として韓国 の大田里におり、この間の中国人民解放軍 との戦闘で英雄的かつ献身的な軍事行動に関して名誉勲章を授与された。
ミヤムラはアメリカにおける名誉勲章受章者の内、初めて極秘(Top Secret)に分類された受章者である。彼は受章理由となった戦闘の直後、北朝鮮側に捕虜として囚えられており、後の授与式に際してラルフ・オズボーン准将はミヤムラ本人と記者団に対して次のように語った。
仮に彼(ミヤムラ)が多大な戦果を上げた素晴らしい兵士だということに気づいていたら、アカどもは捕虜にした後に何らかの報復を行ったかも知れない。そうなると、彼は帰って来なかった。
[ 1]
その後中国人民解放軍に捕えられたミヤムラは、28ヶ月間もの間北朝鮮軍の捕虜生活を送ることになる[ 6] 。朝鮮戦争が停戦し、1953年8月20日に解放されるとすぐにアメリカ本土に送り返されたが、体重は47キロにやせほそっていた。
病院で検査後陸軍から名誉除隊を果たす。なおこの後ギャラップに戻った際に大歓迎をうけた。1953年10月に、ドワイト・D・アイゼンハワー 大統領がホワイトハウス にて改めて名誉勲章の授与を行った。
名誉勲章勲記
ミヤムラに授与された名誉勲章の勲記には、次のように記されている。
H中隊所属ミヤムラ伍長は著しい勇敢、大胆不敵、課せられた義務を凌駕する行動でその名を知らしめた。4月24日夜、H中隊は敵の侵攻が予想される防衛陣地に所在していた。機関銃分隊長のミヤムラ伍長は、部下の身に危険が迫っていることを察知すると躊躇なく遮蔽物から飛び出し、銃剣を用いた白兵戦によっておよそ10人の敵兵を殺傷した。彼は遮蔽物に戻ると、負傷した部下に応急処置を施した上で退避を指揮することになる。まもなく別の敵部隊が突破を試み進出してきた為、彼は銃弾を使い切るまで機関銃で牽制射撃を加えさせた。射撃が出来なくなると、彼は部下に後退を命じた。分隊は浸透していた敵兵を銃剣突撃で蹴散らしつつ、第2火砲陣地までの進路を切り開き、砲兵らの支援を行なった。激しい攻撃の中で中隊はミヤムラ分隊にも撤退を命じたが、ミヤムラは部下の撤退を援護する為にその場に残ったのである。彼は手持ちの銃弾を使い切るまでに、ひどく負傷しながらもおよそ50人の敵を殺傷した。そしてその地点が敵に突破されるまで攻撃を続け、彼は血まみれになりながもその重要な役割を果たし続けていたのである。最後に目撃された時、彼は圧倒的な数の敵兵に対して果敢に戦い続けていたという。ミヤムラ伍長の不屈の英雄的行動と義務へのこれ以上ない献身は、彼自身に最大の栄誉をもたらし、また軍人の輝かしい伝統を守ることにつながった。
[ 1]
除隊後
除隊後地元でガソリンスタンドなどを経営する実業家として成功する。また、現在のアメリカ陸海空軍の将校のテキストには、ミヤムラの事例がアメリカ陸軍兵士の伝統的かつ英雄的な行動として必ず記載されている。
ミヤムラは傷痍軍人支援団体の「Wounded Warrior Project 」にも名を連ねている。2014年の二世週日本祭 では、「グランドマーシャル(Grand Marshal )」としてパレードを指揮した[ 7] [ 8] 。
2022年11月29日、アリゾナ州フェニックスにて死去[ 9] 。
家族
この節の
加筆 が望まれています。
(2009年12月 )
ミヤムラ夫妻と孫娘マリサ。スコット空軍基地 にて(2010年)
ミヤムラは第二次世界大戦中に日系人強制収容所 で過ごした経験を持つ日系人女性、テリー・ツチモリ(Terry Tsuchimori)と結婚した。彼らは3人の子供と4人の孫をもうけた。孫娘の1人、マリサ(Marisa)はアメリカ空軍 の士官である。
ミヤムラの名前が冠されたもの
ニューメキシコ州ギャラップには、ミヤムラの名前に因んで名付けられた地域が存在する[ 10] 。またヒロシ・H・ミヤムラ・ハイスクール (英語版 ) も彼の名を取って名付けられた[ 11] 。
州間高速道路40号線 (I-40)には、彼の名に因むインターチェンジが存在する[ 12] 。これは「ミヤムラ高架道路(Miyamura Overpass)」と呼ばれるとも通称されているという[ 13] 。
脚注
^ a b c US Army Center of Military History, "Medal of Honor Recipients, Korean War" ; retrieved 2012-12-24.
^ Japanese American Veterans Association, "The Nisei Legend of the Korean War" ; retrieved 2012-12-24.
^ U.S. National Archives and Records Administration (NARA), WWII Army Enlistment Record #39868194 (Miyamura, Hiroshi) ; retrieved 2012-12-24.
^ Go for Broke National Education Center, "About Us, Veterans Honor Guard" ; retrieved 2012-12-24.
^ "100th Battalion, 442nd Infantry" at Global Security.org ; retrieved 2012-12-24.
^ Bartelt, Eric S. "Secret Hero Recounts his Unforgettable Korean War," Special to American Forces Press Service, April 24, 2001; retrieved 2012-12-24.
^ “INTRODUCING THE 2014 NISEI WEEK GRAND MARSHAL AND PARADE MARSHAL ”. Rafu Shimpo (2014年8月7日). 2014年8月26日閲覧。
^ “[http://www.ladowntownnews.com/arts_and_entertainment/celebrating-past-and-future-at-nisei-week/article_d7e25b6c-1c12-11e4-8f5d-0019bb2963f4.html?mode=jqm Celebrating Past and Future at Nisei Week -
Little Tokyo Festivities Include a Parade, Ramen Festival and Traditional Dancing]”. LADTNEWS (2014年8月12日). 2014年8月26日閲覧。
^ “Medal of Honor Recipients Announce Passing of Medal of Honor Recipient Hiroshi “Hershey” Miyamura ” (英語). Medal of Honor Society (2022年11月29日). 2022年11月30日時点のオリジナル よりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
^ City of Gallup Growth Management Master Plan, "IV. Land Use Element" (August 2009), p. IV-23 [PDF 23 of 60] ; retrieved 2012-12-24.
^ Gallup-McKinley County Schools, "High Schools" ; Hiroshi H. Miyamura High School website ; retrieved 2012-12-24.
^ New Mexico Department of Transportation, Initial Evaluation of Alternatives, Allison Road Corridor and Interstate 40 Interchange Study, NMDOT Project Number SP-GA-5459(201)/SP-GA-5459(202), CN C7G801/C7G802
September 2010; "Table 4-6: I-40 Total Crashes by Mile Post," p. 4-32 [PDF 51 of 210] ; retrieved 2012-12-24.
^ City of Gallup, p. IV-45 [PDF 45 of 60] ; retrieved 2012-12-24.
外部リンク