ビクトル・エストレーリャ・ブルゴス
ビクトル・エストレーリャ・ブルゴス(Victor Estrella Burgos, 1980年8月2日 - )は、ドミニカ共和国・サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス出身の元男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス43位、ダブルス135位。身長173cm。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。これまでにツアーシングルス3勝を挙げている。 日本語では、"Victor"には「ビクトル」「ビクター」など、"Estrella Burgos"は「エストレーリャ・ブルゴス」「エストレージャ・ブルゴス」「エステラ・ブルゴス」「エストレラ・ブルゴス」などの表記が存在する。 ドミニカ共和国初のATPツアー優勝者であり、シングルスで3勝。そのすべてがエクアドル・オープンでのものである。さらに初開催の2015年から同大会で3連覇を成し遂げ、16連勝を達成した。 選手経歴ジュニア時代8歳のときにテニスを始めた。15歳になると1996年7月にドミニカ共和国で開催されたジュニアの大会に初出場。ジュニア時代はシングルスで6大会、ダブルスで5大会しか出場しておらず、あまりジュニアの大会には出場していないが、シングルスでベスト4入り、ダブルスでは準優勝をしている。ジュニアグランドスラムにも出場はしていない。ジュニアの世界ランキングはシングルス360位。ダブルス292位。 2002年 プロ転向2002年の22歳のときにプロ転向するも、しばらくは下部大会に出場して世界各地のツアーを巡る。 2003-2013年 低迷経済的に行き詰まり一度は引退するも、2006年に現役復帰。2012年に右肘の故障で離脱するなど苦労をしながらもツアーを巡る。 2014年 グランドスラム3回戦進出地道にランキングを上げ、2014年3月に33歳でトップ100入りし、2014年全仏オープンで4大大会初出場を果たす。大会史上最年長デビューとなった2014年全米オープンではグランドスラム初勝利を果たすと、2回戦で17歳年下のボルナ・チョリッチに勝利、3回戦で第5シードのミロシュ・ラオニッチに敗れたものの、3セットともタイブレークに持ち込む善戦を見せた。 2015年 ツアー初優勝2015年エクアドル・オープンでATPツアー初の決勝進出。決勝でフェリシアーノ・ロペスに6–2, 6–7(5), 7–6(5)で勝利し、ツアー初優勝を果たす。34歳6ヶ月でのATPツアー優勝は、ATPがオープン化以降初優勝としては当時の最年長の記録となった[1] (現在の最年長初優勝記録はパオロ・ロレンツィの34歳7ヶ月)。この優勝で48位になり、トップ50入りした。 2016年 ツアー2勝目前回優勝者として迎えた2016年のエクアドル・オープンは2年連続で決勝に進出。決勝でトマス・ベルッチに4–6, 7–6(5), 6–4で勝利し、大会2連覇を果たした。 2017年 ツアー3勝目2017年もエクアドル・オープンの決勝に進出し、決勝でパオロ・ロレンツィに6–7(2), 7–5, 7–6(6)で勝利し、3連覇を果たした。 2018年 トップ100位陥落2018年のエクアドル・オープン2回戦でついに敗れ、世界ランキングもトップ100圏外となってしまった。その後も結果を残せず、年間最終ランキングでは278位まで落ちた。 2019年 引退2019年はチャレンジャーツアーのみ出場したが早期敗退に終わり、10月に故郷・ドミニカ共和国で開催されたサントドミンゴ・オープンで引退。最後の試合となった2回戦で敗れると涙を流し、試合後にはセレモニーが開かれた[2]。 ATPツアー決勝進出結果シングルス: 3回 (3勝0敗)
ダブルス: 2回 (0勝2敗)
成績
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会最高成績
脚注
外部リンク
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